父が亡くなったのは 平成4年。
2006年の5月の平日、
その祥月命日の日に
私は 朝 電話をしてから
実家に墓参りに行った。
駅からタクシーで行くからね、と言ったら
「うん。」とかわされた。
いつもなら 同じ事を言っても
「いや、いいよ。
迎えに行くから。
上野で電車に乗る時に電話をくれれば。」
と言ってくれるんだけどな、と思いつつ、
忙しい義兄の手をわずらわせるのもまた
罪悪感があるし。。。
常磐線の駅を降りて
私はおそらく初めて 墓参用の花を買った。
駅ビルで探したら花屋がない。
少しうろうろ歩き回って花屋を見つけたら
カーネーションの鉢植えを見つけた。
母の日は過ぎたけど、
カーネーションを買って行きたい気分。
やさしいクリーム色のカーネーションが気に入った。
花束と鉢植えをかかえてタクシーに乗り込む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/50/aa4c3c11c6f0bff3016c8d40f7774063.jpg)
今までに無く遅れて着いたのは
花屋を探していたせい?
私が好きな握り寿司をとっておいてもらっていた。
母は
「おめ(お前)が遅いがら、
おらぁ、先、食っちゃったあ。」
と言っている。
年をとると 辛抱がなくなるというか
待つのが不得手になるような気がする。
はらぺこで 姉夫婦とまずはお寿司を食べ、
しかるのちに本堂へ。
本堂の前には 豪華に切花がどっさりバケツに入っていた。
「どうしたの?」
と聞くと
「おめがら 電話きてがら、慌でで買ってきたんだ~。」
父の命日を 母も姉も義兄も
今年は誰も思い出さなかったのだそうだ。
おとっつあん、ごめんね。
でも、14年もたつと、誰でもこんなもんだよね?
花を持って 墓地に行こうとしたら
その前に本堂に、と言う。
どうも忘れていた罪滅ぼし?に
義兄が簡単に法要を営むつもりらしい。
ああ。
めんどくさ(笑)。
それは口には出さず、神妙に読経を聞く。
お経本やそのコピーがないと唱えられない私(涙)。
これは【期間限定】、
本堂にかかっている、私の祖父の肖像。
父がまだ幼い頃に亡くなっている。
だから、私は会ったことがない。
いいオトコだった、という話だが
こうして見るとタレメ。
父とは似ているが
父の方が同じ年齢の時には いいオトコだったと思う。
実家も三人の子どもたちが大きくなって
(姪は結婚して)
それぞれに暮らしているので
面白くもなんともない大人だけの家庭。
楽しくもなんともないけれど
なにしろ久しぶりの里帰りだ。
義母の葬儀の後に
「うちにちょっと寄って帰るか?」と
姉に聞かれたが
亭主の実家と 自分の実家とを
行ったり来たりすると
けっきょくどちらの家にも落ち着けない。
ちょっと立ち寄った、くらいで
暇乞いをすることになる。
今回も 亭主についでに義父のところに寄るように、
と言われたが
「このまえ 私の実家に寄るのを断ったから。」
と言い訳して
今回は亭主の実家には行かないことにした。
花を供え、線香を手向け、
たくさん並んだ墓石
(なにしろ、歴代住職の墓地)の
ひとつひとつに水をかけ、
合掌して
(義兄が)簡単な読経を済ませると
不思議なもので
「お墓参りを済ませた」
と落ち着いた気分になることができる。
胸のつかえが取れた気分というか。
お盆やお正月にも 里帰りしない娘だから
こうしてたまの墓参りは
本当に罪滅ぼしみたいなもの。
でも 今年こそは
もう少し頻繁にお参りにこれるかな?
母の野草園?は まだ荒れたままだが
ホタルブクロは瑞々しい様子で
可憐な花がぶら下がっていた。
2006年の5月の平日、
その祥月命日の日に
私は 朝 電話をしてから
実家に墓参りに行った。
駅からタクシーで行くからね、と言ったら
「うん。」とかわされた。
いつもなら 同じ事を言っても
「いや、いいよ。
迎えに行くから。
上野で電車に乗る時に電話をくれれば。」
と言ってくれるんだけどな、と思いつつ、
忙しい義兄の手をわずらわせるのもまた
罪悪感があるし。。。
常磐線の駅を降りて
私はおそらく初めて 墓参用の花を買った。
駅ビルで探したら花屋がない。
少しうろうろ歩き回って花屋を見つけたら
カーネーションの鉢植えを見つけた。
母の日は過ぎたけど、
カーネーションを買って行きたい気分。
やさしいクリーム色のカーネーションが気に入った。
花束と鉢植えをかかえてタクシーに乗り込む。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/25/50/aa4c3c11c6f0bff3016c8d40f7774063.jpg)
今までに無く遅れて着いたのは
花屋を探していたせい?
私が好きな握り寿司をとっておいてもらっていた。
母は
「おめ(お前)が遅いがら、
おらぁ、先、食っちゃったあ。」
と言っている。
年をとると 辛抱がなくなるというか
待つのが不得手になるような気がする。
はらぺこで 姉夫婦とまずはお寿司を食べ、
しかるのちに本堂へ。
本堂の前には 豪華に切花がどっさりバケツに入っていた。
「どうしたの?」
と聞くと
「おめがら 電話きてがら、慌でで買ってきたんだ~。」
父の命日を 母も姉も義兄も
今年は誰も思い出さなかったのだそうだ。
おとっつあん、ごめんね。
でも、14年もたつと、誰でもこんなもんだよね?
花を持って 墓地に行こうとしたら
その前に本堂に、と言う。
どうも忘れていた罪滅ぼし?に
義兄が簡単に法要を営むつもりらしい。
ああ。
めんどくさ(笑)。
それは口には出さず、神妙に読経を聞く。
お経本やそのコピーがないと唱えられない私(涙)。
これは【期間限定】、
本堂にかかっている、私の祖父の肖像。
父がまだ幼い頃に亡くなっている。
だから、私は会ったことがない。
いいオトコだった、という話だが
こうして見るとタレメ。
父とは似ているが
父の方が同じ年齢の時には いいオトコだったと思う。
実家も三人の子どもたちが大きくなって
(姪は結婚して)
それぞれに暮らしているので
面白くもなんともない大人だけの家庭。
楽しくもなんともないけれど
なにしろ久しぶりの里帰りだ。
義母の葬儀の後に
「うちにちょっと寄って帰るか?」と
姉に聞かれたが
亭主の実家と 自分の実家とを
行ったり来たりすると
けっきょくどちらの家にも落ち着けない。
ちょっと立ち寄った、くらいで
暇乞いをすることになる。
今回も 亭主についでに義父のところに寄るように、
と言われたが
「このまえ 私の実家に寄るのを断ったから。」
と言い訳して
今回は亭主の実家には行かないことにした。
花を供え、線香を手向け、
たくさん並んだ墓石
(なにしろ、歴代住職の墓地)の
ひとつひとつに水をかけ、
合掌して
(義兄が)簡単な読経を済ませると
不思議なもので
「お墓参りを済ませた」
と落ち着いた気分になることができる。
胸のつかえが取れた気分というか。
お盆やお正月にも 里帰りしない娘だから
こうしてたまの墓参りは
本当に罪滅ぼしみたいなもの。
でも 今年こそは
もう少し頻繁にお参りにこれるかな?
母の野草園?は まだ荒れたままだが
ホタルブクロは瑞々しい様子で
可憐な花がぶら下がっていた。