ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

la méritocratie

2020-11-21 22:12:12 | 雑誌雑読
定期購読雑誌を読む気力なく積んでるだけだが3日連チャンのお休みでざっと目を通した。何故かくもトランプ大統領が票を集めたか驚愕だったが、その心理を分析した日本でもお馴染みのマイケル・サンデル氏の記事に、錐でチクリとけれど深く胸を刺された気がした。この記事は私のこれからの生き方に幾ばくかの影響を及ぼすと思う。いつもながら6ページと短いインタヴュー記事ながら時間を見つけて読んで行こうと思う。サンデル氏は日本で言うところの自己責任、自分の悪い運命は努力の足りない自分のせいだよ、運命は自分で切り開くもの、努力した故のご褒美、勝ち組は勝ち組に値すると言うla méritocratieという私にとって初めて耳にした言葉を使い、負け組に押しやられた心理を分析しポピュリスムの根源を探ります。今日、明日とお仕事なので今回はタイトルのみ。



さて、お仕事の私の第2ステージはレジダンスの一人一人の名前、部屋番号、好みを覚えること。例えば誰それさんはデザートの時はミルクをお持ちするとか、誰それさんはイタリアドレッシングが嫌いだからマヨネーズを用意するとか。肉体労働そのものは問題ないのですが、とにかく記憶力減退で覚えが悪く悲しくなります。それも姓名を暗記しなければならないので、毎回今回は5人と決めて家に帰って繰り返し覚え叩き込むようにしてます。例えばノエラ ボワヴァンさんは何号室でメニューが牛肉の時は消化が悪いのでお魚にするとかね。70人ほど覚えなければなりません。でも、覚えなければ、いつになったら覚えるのと叱られるので頑張ります。

崩壊学 COLLAPSOLOGIE

2020-04-01 08:53:55 | 雑誌雑読
 哲学者や芸術家は時に未来を予見するという。2020年2月号の雑誌フィロゾフィーは崩壊学で、あなたはこの世の終わりを信じますかと問いかけてます。2月発売なので、まだコロナウイルス出現の前に編集されていた事になります。けれど内容はまさしく現状況を予言したもの。読まなくとも、じゃどうすれば良いかは、最悪に備え生き残るために、自給自足、小屋暮らし、帰農等々、聞き慣れてることなので目新しいことないと言えるけど、以下の部分を読んだ時、それが現実となってることに目を止めざるを得ませんでした。
 
「、、、もし明日、パンデミックが1918年のスペイン風邪のように何千人、何百万人と死に至らしめるような事になれば怖ろしい危機となり、皆が恐れ、家に閉じこもるだろう、、、私は今の社会は病気だとよく耳にするが、かつてないほど現代人は健康だし、長生きしてるし世界で飢餓は後退してる。問題なのは私たちは苦しみを受け入れる準備をしてない事だ。私たちは、真の恐怖を知らずに快適さの中で暮らし、恐怖を見ないようにしている。その結果、小さな問題がやがて壊滅的な事態を招くに至るだろう」

 ケベックで感染者がゆっくりですが増えてます。政府は8000の病床を用意してあります。義弟の職場で二人感染が発見されました。感染テストが進めば進むほど増えるけれど、早期発見が急がれます。看護婦をしている友達とシェア暮らしをしてるスーパー勤めの姪が医療従事者の感染が怖くなって実家に戻りました。

 おこもり暮らしでも生活するになんの不自由もありません、スーパーにはいつもの如く何でもあるし、テレビもネットもあるので芸能娯楽観賞にことかきません。家に居ればのんびりお気楽なリタイア生活です。でも、万が一のことなど考えます。今の生活が良くなるというより悪くなったらと想定し、馬鹿みたいなんだけどあれこれ考えます。

 NHKの料理番組でキャベツ使い切り料理が2日にわたって放送され早速作ってみました。ケベックで昔からキャベツは安い。硬い葉から芯まで全部使い切るお料理で大助かりです。なんてことない簡単なレシピなのに美味しかった。漫然と見てた番組、ケベックでも安く手に入る食材料理を、あれもいけるこれもいけるとメモしてます。半地下に、1ヶ月分の食料と生活必需品を少しづつ準備してます。牛乳が手に入らなくても豆乳をつくれるので大豆は多めにとか、小麦粉やお米、缶詰など。それにしてもロン農園さんの暮らしで羨ましいのは井戸がある事。今、何が一番欲しいですかと問われたら井戸ですよ。





 

庶民とは

2020-03-13 22:01:30 | 雑誌雑読
 去年、マルクスガブリエルに続いて深く印象に残った記事の2回目はジェラールノワリエル(Gerard Noiriel)。彼の記事も私のこれからの生活を楽しくさせてくれた。

 まづ、彼のような骨ある男に惚れる。民衆の社会歴史研究が専門。足の引っ張り合いや奸策が蔓延るアカデミスムの世界、メデイア出演など全く興味なし、聴衆がいようがいまいが講演会でパッとしようとしなかろうが興味なし。自分の思うところをお声がかかれば、そこらへんの文化センターでも出かけ伝える。左翼と言われるが左翼側にもある排他主義、愛国主義を批判する。また攻撃の対象になるエリート層の中にも支配ー被支配の関係があり、庶民もエリートも善悪単純化しない。

 去年、年金改革案を巡って政府を後退させたフランスの大衆運動(jillet jaune 黄色いジャケット)を分析して彼は言う。この運動に参加したのは所謂食べるのにも困る貧困層ではなかった。パリオペラ座の踊り子さん達も加わってるよと妹が教えてくれた。つまり、自営業、退職者、派遣社員、フリーランサー、中小企業の勤め人等々、いわゆる庶民と称される人たちが立ち上がった。この運動について、これまでの大衆のイメージは変わるとGNは語る。「民衆の物語と描写はエリートによって固定化され、民衆の闘争によってその固定観念は変貌させらる」。かつてエリートが指導すべきと思った民衆はその相貌を変えている。いや、歴史的にも民衆は支配者が導くべき愚かで惨めな救い出すべく存在でなかった。私は宮本常一の著作で、昔の農家のお嫁さんが一人前とみなされる条件にショックを受けた。彼女達はなんでも出来た。私は自分が無能で阿呆に思えた。私は機織も縫い物も保存食品も農作業もできない、つまり生きる術を知らないと。今はそういった昔の女性が普通にしてた事が見直されて来ている。若者の帰農やハンドメイドとして。GNは表舞台に現れない民衆の真の姿を追い求め、これまでの民衆の歴史はエリートが描いて来たものとしてフランス民衆史を上梓した。徹頭徹尾自分が生まれ育った民衆を研究し民衆の一人としてその場所に留まっている。民衆の変貌についてはGNのみならず誰もが思うところで、皆さん思いませんか、ネット社会で発信される自称庶民の人々のブログの何と豊かなことと。日本でもケベックでも民衆の高学歴化で、各人が自分の頭で考え、単純にいかなる権威の前にも、やみくもにハハーと頭を垂れる人はいなくなって来ていると。

 もう一つ、分っちゃいたけど、こうもハッキリ言われるとスッキリしたことは歴史は何の役に立つかについての返答です。彼はいわゆる歴史が一部支配層の利益に貢献する立場より公益を選びます。「歴史は公益をもたなければならない」と。また、これまでの歴史は民衆が歴史に貢献したと言う考えはないが、民衆はその勤勉さにおいて民衆運動において、いかに社会を進化させて来たかに目を向けます。そして民衆が目に入らないマクロン大統領批判は次のようなものです。「マクロンは、経済、政治、知識人、エンジニア、科学者、アーチストのみが社会に貢献していると考えている。その他は、せいぜい、いつか自分がそうなりたいと夢見させておけと、、、」あの黄色いジャケット運動でマクロンは大衆は侮れないと気がついただろうか。大衆なくして国は機能しないと。
 
 最後に彼の記事で私が長く疑問に思っていた事が解けた想いがしたフレーズがあります。それが何かというと、日本でもケベックでも今の時代、衣食住に困らないのに何で庶民があんまり幸せに見えないのかなという事。愛読書が宮本常一なので、常々現代の庶民の何と幸せな事、大名生活してるじゃんと思っているので。例えば、自宅があり、国内外旅行し、レストランで食事し、お洒落していても何故か幸せに見えない人たちに何人も出会った。口を開けば足りない事ばかり探してるように見える。一体どうすれば満足すんのよと思うわけ。 GNに素晴らしい言葉があり、それは宮本常一とおんなじものです。家族から受け継いた民衆の価値観についてこう答えます。「誇りを持つこと、自分よりも金持ちの人たちに似ようとしないこと」。消費社会の戦略は他人と比較させること、そして今の状態を惨めに思わせること。すべてが足りているのにだ。庶民の価値観を思い出したい。
 
 金持ちに似ようとしないことかー。この言葉にガツンと来ました。と言うのもある読書会で、主催者の御宅に圧倒されたのです。豪邸でした。ホストはリタイアされた大学の先生で蝶ネクタイしてました。ゲストは翻訳者、かつてのケベック独立運動派の当市プレジデント等、つまりインテリ層です。アペロやチョコレートは上等であの味を今でも思い出します。読書会は面白かったです。こんな読み方もあるんだと各人各様で、これこそが物の見方の多様性と思わされます。ただ、家に戻った時、我が家がほんとみすぼらしく映ったんですね。その時、GNの言葉を思い出しました。そして自分に問いました、何故我が家を恥ずかしく思うのかと。私は自分ちが好きだし、幸せなのにと。その時GNの言葉に、自分がいかなるところに住もうと、周りからどう見られようと誇りを持って生きようと。その誇りをどうして持とうか。

 これが、2回目のどうしても書き残しておきたかったこと。今週はお休みでゆっくりしてるけど、あっという間に金曜日ですよ。コロナウイルスの影響がレストランに及べばお休みが増えるかもしれない。連絡待ちです。




一角獣

2020-02-24 21:25:19 | 雑誌雑読
2月も一週間残すのみ。去年印象に残り、メモしておきたいことまだ3つある。

皆さんどれだけの方が自分の見方考え方に自信があるのだろうか。なにか語るにしても、間違っているのでは、ましてや専門家でもないしという思いがいつもよぎる。そんな私に自信をもっていいんだよと説得してくれたのがガブリエルマルクスのインタヴュー記事。現実とは何かという問題。今んとこ自分に現実はこう映るということもそれでいいんだ、それを発信してもいいんだと。そして自分も、自分が見ている現実も常に変化し、ムーヴメントにあるということ。歴史の見方、音楽の聴き方、暮し方だって同じ。

そして今日は、彼の有名な「一角獣は存在する」という考え方について。これには目から鱗だった。MG(MARKUS GABRIEL)は、通りで一角獣に出会うわけじゃなし存在するわけないじゃんというこれまでの常識に新たな考え方を提案する。「映画という分野の世界において一角獣は存在する、ひとつの物について全ての分野から独立して存在するなんて不条理だ」と。確かに映画のみならず文学でもテレビドラマの世界でも、虚構の世界で嘘とも思わず泣いたり笑ったりしてるではないか。虚構のヒロインも虚構と言う分野において現実に存在する。

MGは、「この部屋に二人の人間がいる」を別な分野、例えば生物学の分野からみると「この部屋は細菌がいっぱいだ」ともなり、様々な分野からのアプローチは、その分野において現実ということになる。

この箇所を読みながら頭に浮かぶのはファッショとも思える仮想現実という分野。怖いのは仮想現実の方が正しく立派な現実に思えて自分が生きている周りの現実を貧しくを思わせること。私もたまにファッションブログを見るわけよ、すると60代はシンプルな良いものを身に着け素敵でおしゃれな暮らししましょうとイメージと名文で流してる(思わずダサくてすみません気分)。とくに財布を新しくしないと金運が悪いのでいつまでも古い財布にはさよならしましょうとくる。これなどもファッション界と言う分野からの見方でしかない。財布のみでなく一事が万事。だが、エコロジーの分野から見たら、また禅の分野から見たら、低所得層から見たら、、、ちなみに夫は素敵な奥さんよりダサくてもうるさくない奥さんの方がいいと言ってる。

MGから、私達一人一人が自分と言う分野を持ってるし、自分はほんとのところどう思うのか、どう見ているのかをもっと大切にしていいという事を教えられた。私達ひとりひとり自信をもっていいんだ。そしてMGの説もまた彼の哲学と言う分野からの発信であるとして受け取る。

彼の著作で買いたいと思ってるのは「Le Pouvoir de l,art 芸術のパワー」、彼によると「芸術作品は私達に悪い影響を与えるので避けてほしい種類の友達だ」と言う。読みたい。

 





 

胡蝶蘭

2019-07-09 16:59:09 | 雑誌雑読
 ふりむけば私を見てる胡蝶蘭

 4年前にベトナム人の友達ユーからいただいた胡蝶蘭。2年間咲いたが3年目は花をつけなかった。4年目の今年見事な花を咲かせた。肥料もあげなければ植え替えもせず直射日光だけ避けていた。こうなると蘭の花にも心が宿ってるように思えて、ふとふりむいたら目と目を合わせたようでドキッとした。胡蝶蘭をみるにつけ、3年目にして花をつけたレンギョウやウツギをみるにつけ、この頃思うのよ、生きてるのか死んでるのか、停滞してるかのようにみえる灌木のみならず国や社会や会社や企業や個人も常にムーブメントのなかにあると。すべてが見えようと見えまいと動いてると。私だっていきなりお婆ちゃんになったわけじゃないしな。こうなるまでに時間かかってんのよ。なんでもかんでも刻々と動いてる。

 さて、一冊の本を根気よく訳しながら読む気力がなく、雑誌雑読で興味をそそられた記事を読むぐらい。それで時代の流れのようなものを教えてもらってる。6月から7月にかけて2つの記事を繰り返し何度も読んだ。まだブログに書くほどに読みこなしてないが、その前に紹介したいのが現代哲学者のロックスター、マルクスガブリエル。哲学にも流行と言うものがあり、彼は現代哲学者のトップの一人です。トップだからというわけでなく、記事を読んでちょっと興奮しましたね。日本に去年滞在しYOU TUBEで見れます。以下で検索すると見れます。彼についての記事は数ページに過ぎないですが自分なりに読みこなせたら書くつもりです。

Markus Gabriel in Japan

水と光だけで4年たっても花をつけた胡蝶蘭