去年、マルクスガブリエルに続いて深く印象に残った記事の2回目はジェラールノワリエル(Gerard Noiriel)。彼の記事も私のこれからの生活を楽しくさせてくれた。
まづ、彼のような骨ある男に惚れる。民衆の社会歴史研究が専門。足の引っ張り合いや奸策が蔓延るアカデミスムの世界、メデイア出演など全く興味なし、聴衆がいようがいまいが講演会でパッとしようとしなかろうが興味なし。自分の思うところをお声がかかれば、そこらへんの文化センターでも出かけ伝える。左翼と言われるが左翼側にもある排他主義、愛国主義を批判する。また攻撃の対象になるエリート層の中にも支配ー被支配の関係があり、庶民もエリートも善悪単純化しない。
去年、年金改革案を巡って政府を後退させたフランスの大衆運動(jillet jaune 黄色いジャケット)を分析して彼は言う。この運動に参加したのは所謂食べるのにも困る貧困層ではなかった。パリオペラ座の踊り子さん達も加わってるよと妹が教えてくれた。つまり、自営業、退職者、派遣社員、フリーランサー、中小企業の勤め人等々、いわゆる庶民と称される人たちが立ち上がった。この運動について、これまでの大衆のイメージは変わるとGNは語る。「民衆の物語と描写はエリートによって固定化され、民衆の闘争によってその固定観念は変貌させらる」。かつてエリートが指導すべきと思った民衆はその相貌を変えている。いや、歴史的にも民衆は支配者が導くべき愚かで惨めな救い出すべく存在でなかった。私は宮本常一の著作で、昔の農家のお嫁さんが一人前とみなされる条件にショックを受けた。彼女達はなんでも出来た。私は自分が無能で阿呆に思えた。私は機織も縫い物も保存食品も農作業もできない、つまり生きる術を知らないと。今はそういった昔の女性が普通にしてた事が見直されて来ている。若者の帰農やハンドメイドとして。GNは表舞台に現れない民衆の真の姿を追い求め、これまでの民衆の歴史はエリートが描いて来たものとしてフランス民衆史を上梓した。徹頭徹尾自分が生まれ育った民衆を研究し民衆の一人としてその場所に留まっている。民衆の変貌についてはGNのみならず誰もが思うところで、皆さん思いませんか、ネット社会で発信される自称庶民の人々のブログの何と豊かなことと。日本でもケベックでも民衆の高学歴化で、各人が自分の頭で考え、単純にいかなる権威の前にも、やみくもにハハーと頭を垂れる人はいなくなって来ていると。
もう一つ、分っちゃいたけど、こうもハッキリ言われるとスッキリしたことは歴史は何の役に立つかについての返答です。彼はいわゆる歴史が一部支配層の利益に貢献する立場より公益を選びます。「歴史は公益をもたなければならない」と。また、これまでの歴史は民衆が歴史に貢献したと言う考えはないが、民衆はその勤勉さにおいて民衆運動において、いかに社会を進化させて来たかに目を向けます。そして民衆が目に入らないマクロン大統領批判は次のようなものです。「マクロンは、経済、政治、知識人、エンジニア、科学者、アーチストのみが社会に貢献していると考えている。その他は、せいぜい、いつか自分がそうなりたいと夢見させておけと、、、」あの黄色いジャケット運動でマクロンは大衆は侮れないと気がついただろうか。大衆なくして国は機能しないと。
最後に彼の記事で私が長く疑問に思っていた事が解けた想いがしたフレーズがあります。それが何かというと、日本でもケベックでも今の時代、衣食住に困らないのに何で庶民があんまり幸せに見えないのかなという事。愛読書が宮本常一なので、常々現代の庶民の何と幸せな事、大名生活してるじゃんと思っているので。例えば、自宅があり、国内外旅行し、レストランで食事し、お洒落していても何故か幸せに見えない人たちに何人も出会った。口を開けば足りない事ばかり探してるように見える。一体どうすれば満足すんのよと思うわけ。 GNに素晴らしい言葉があり、それは宮本常一とおんなじものです。家族から受け継いた民衆の価値観についてこう答えます。「誇りを持つこと、自分よりも金持ちの人たちに似ようとしないこと」。消費社会の戦略は他人と比較させること、そして今の状態を惨めに思わせること。すべてが足りているのにだ。庶民の価値観を思い出したい。
金持ちに似ようとしないことかー。この言葉にガツンと来ました。と言うのもある読書会で、主催者の御宅に圧倒されたのです。豪邸でした。ホストはリタイアされた大学の先生で蝶ネクタイしてました。ゲストは翻訳者、かつてのケベック独立運動派の当市プレジデント等、つまりインテリ層です。アペロやチョコレートは上等であの味を今でも思い出します。読書会は面白かったです。こんな読み方もあるんだと各人各様で、これこそが物の見方の多様性と思わされます。ただ、家に戻った時、我が家がほんとみすぼらしく映ったんですね。その時、GNの言葉を思い出しました。そして自分に問いました、何故我が家を恥ずかしく思うのかと。私は自分ちが好きだし、幸せなのにと。その時GNの言葉に、自分がいかなるところに住もうと、周りからどう見られようと誇りを持って生きようと。その誇りをどうして持とうか。
これが、2回目のどうしても書き残しておきたかったこと。今週はお休みでゆっくりしてるけど、あっという間に金曜日ですよ。コロナウイルスの影響がレストランに及べばお休みが増えるかもしれない。連絡待ちです。