ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

名月

2018-09-28 15:56:46 | 暮す
 名月に虫歯ありやと問うてみる

週初めに急に歯が痛くなり食事がまともにできない。2日ほど様子を見ても痛みがおさまらない。歯医者さんに行く。治療痛いだろうなと、俎板の鯉になったつもりで椅子に仰向けになる。が、最初から最後まで全然痛くない。45分にわたった治療も治療音すれど痛くもかゆくもない。歯科技術も格段に進化してるんですね。麻酔注射を打つかと思ったら、ウエットペーパーみたいなのを歯茎に張り付けてそれが麻酔。仰向けになれば頭上にはテレビが。レントゲンもあっという間。先生が、レントゲン写真が写ったアクチヴボードをなぞって丁寧に説明。翌日には「痛みはいかがですか、なにか不都合なことがあればすぐ連絡ください」とお電話あった。あの痛みが嘘だったかのように快適。

昨日、今日と、秋らしい穏やかな日よりで外で一仕事。、毎日あれこれすることあれど、調子の良い日、悪い日、ノリの良い日、悪い日があり、逆らわずに身体や気持ちの波にまかせて暮らそうと思うようになった。これから待ち受けているのは病気や、別れだなと思うことしばしば。まだ歩けるし、動けるし、目も見えるし、ということで、つつがなく過ごせることだけでありがたく思える。

10月から編み物クラブが再開するが、3年目に入り、カーデイガンにチャレンジしようと思ってる。時間がかかるので、その前に夫の帽子を編んだ。よく失くすのよ。3年目にしてやっと帽子を編める自信がついた。夫の頭のサイズに合わせ調整し、折り返しを多めにしてほしいという希望も取り入れ、自分ながら満足のゆく出来栄え。毛糸は半額セールで買った、たぶん去年の売れ残りかな。実費で750円ぐらい。、編み物の世界が少しづつ広がってゆくのが面白い。




夏しまう

2018-09-21 08:54:09 | 菜園
 ひまわりが雨にうたれて夏しまう

去年は冷夏で7月に園芸屋さんが早々と店じまい。今年は猛暑でこれも7月で早々と店じまい。日本旅行中ケベックは80人をこえる死者を出す記録的暑さで、7月半ばに戻ってきたと時、菜園のほとんどの野菜が枯れていた。雑草がはびこり再生するに一か月かかった。ほったらかしにしておいたあれこれの野菜で生き延びたのがケールとズッキーニとキューリ。これは来年も植えよう。戻ってから種まきした、ほうれん草、青梗菜、水菜、レタス菜は今も食べている。スーパーで青菜は高く、ほうれん草がワンパック500円近い。菜園で大助かり。大根は生育中。

多年草は強く、次々と花を咲かせて楽しませてくれる。今日、雨に打たれて向日葵が満開。でも例年と較べたら小さくて色も鮮やかでなくミツバチの姿がみえない。リンゴは実をつけなかった。紫陽花は咲かなかった。

少しづつ菜園の始末に入りながら来年のことを考える。菜園の半分をお花畑に変え、野菜は鉢植え栽培しようかと。

リタイヤ暮らしなのに、あれこれと雑用があり時間が足りなく感じる。いや、年を取ったのだ。てきぱきと動けない。ボランテイアを9月初めから再開した。ヴァカンス中におなじみの患者さんがたくさん亡くなられていた。

11月初旬に日本からお友達が娘さんと遊びに来ます。12月のクリスマスには義弟家族が1週間滞在します。それで、姉夫婦は、適当に片づけた物置部屋に押し込めてゆけばよかったけれど、やはりお客様用に少し綺麗にしようかと、あれこれいじってます。日本旅行記はゆっくり続けてゆこう。明日はかつての教え子の結婚式に呼ばれてる。
 



日本旅行記3 酒田

2018-09-16 11:34:27 | 旅する
  
 醜女とて その心映え 紅の花

酒田駅からまっすぐに伸びる商店街は、昭和が古び廃れ行くままに身を任せているようだった。が、街中を散歩すると、伝統ある町独特の、落ち着いた、昭和というよりは江戸時代の繁栄を偲ばせる風雅をあちこちに漂わせていた。

相馬楼にその感を強くした。現代アーチストに要望して描かせたという2階の襖絵など、リニュアールにがっかりする部分もあったが、往時そのままの一階の小座敷(いったいいくつあるんだろう)に、酒田の豪商、旦那衆の、粋で洗練された美意識に溜息を洩らした。和歌が建築と化した世界、建築が和歌と化した世界。こんな時「ああ、お掃除専門のはしためで良いから、旦那方や芸妓さん達の会話を聞いてみたい」と妄想してしまう。自分とはあまりにも縁なき世界ゆえ。というわけで最近、芸者さんや銀座のホステスさんの書かれた本など読んでます。

二階の宴会用お座敷の畳は濃淡の紅花で染めたピンクの市松模様、山形は紅花の里でもあります。芭蕉は奥の細道の旅吟で色っぽい句を詠んでます。

 行すゑは誰肌触れむ紅の花

紅花は末摘花とも呼ばれ、源氏物語の末摘花の姫君の、象のように長く先っぽが赤い鼻を例えるに引用されていると知りました。光源氏は醜女の末摘花を笑いものにしながらも、いったん関係をもったからにはきちんとめんどうみるんですね。我が国を代表するドンファンはまめで親切で太っ腹。哀れにも貧しく、無垢な、生活力ゼロの深窓の醜女姫は源氏と出会ってラッキーだったかも。

末摘花を浮かべながら以下の肖像画を思い出しました。末摘花のスペイン版です。髪こそブラウンですが末摘花もつややかで豊かな黒髪の持ち主。これを愛撫しながら光源氏はいかなる美女を思い浮かべたのか。初めて見た素顔にがっくりを通り越してお笑いにいたります。






日本旅行記2 最上川

2018-09-12 10:40:25 | 旅する

 ありし世の 速さそのままに 最上川


芭蕉の「さみだれをあつめて早し最上川」は最初「さみだれをあつめて涼し最上川」であった。

芭蕉は最上川の流れの速さに目をみはったと思う。だからどうしても「早し」を入れたかった。私もそうだった。句だけから川の流れがどのくらいの速さなのか想像するのは難しい。濁流の速さしか思い浮かばない私に実際目にした最上川の流れは、あたかも川が意志ある生き物であるかのように映った。それも、水の精霊たちが一丸となって酒田港を目指すかのようにみえた。かつて芭蕉もみた最上川を現代人も同じ驚きをもってみている。偶然にも日本を発つまえに会った旧友も最上川の速さについて語り、時を超えて感動する出会いを通じて私たちはありし世の人間に出会う。




日本旅行記1 蝉の声

2018-09-07 08:42:36 | 旅する
 
 荒魂を 封じて石寺 蝉を聴く

日本旅行記 1 

2年前の里帰り旅行記も終えぬ間に今年の里帰りから早や1か月以上も経ち遠く感じられる。思い出すままにメモ程度に記しておこうと思う。

成田空港から東京で一泊することなく山形に向かう。芭蕉が「見るべし」と記した立石寺がお目当て。山形新幹線の車体が古く狭く感じられた。翌日、仙々線で20分、山寺駅到着。

芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」から想像していた静かなたたずまいの寺のイメージを裏切る、秘めたる激しいエネルギーを感じた。そそり立つ岩壁が、あたかも荒魂を封じ、封じても、霊気が山全体から底知れなく湧き立ってるように感じた。私は山頂まで登ったが夫は中途挫折。小雨そぼる日で、マラソン姿の男性が、結構な数の石段をひょいひょいと飛ぶように登っていた。

平泉の中尊寺もそうだが、東北の寺院には何か原始的なエネルギーを感じる。かつて平泉博物館の学芸員さんに、鎌倉以前まではこの地も蝦夷地だったんですよねとたづねると面白いお話をしてくれました。「いまだに縄文土器が出土しており、昔から地元の人が祀っている祠が、実は縄文時代からの信仰の場所だったんですよ。保管庫にはたくさんの縄文土器もあるのですが、平泉の売りは藤原3代なので、、、」と。

里帰りごとに芭蕉をたづねながら、私にとって、芭蕉の句は実際彼の足跡をたづねなければぴんと来ないと思った。現地を訪れると、句ががぜん生き生きと息を吹き返す感じがする。

先日、日本から送った本が届いた。古本で手に入れた飯島耕一著「虚栗の時代 芭蕉と其角と西鶴と」。芭蕉は、清廉潔白な聖人君子のようなイメージ無きにしも非ずだが、私はそうは思わない。歴史に残るひとかどの人物というのは人間臭さが半端じゃない。酒、女がつきまとう幇間俳人と見做された其角を一番認めていたのが芭蕉だった。

この本をめくりながら、もしいきなり読んでもちんぷんかんぷんだったろうなと思った。100句を収めた一冊の其角本から始まり、牛の歩みで俳句への世界が拡がってゆく。ほんの少しづつ発見しながらの其角と芭蕉に出会う旅は人生の楽しみでもある。