ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

模様編みほどくが如く枯葉散る

2021-10-15 04:20:42 | 雑誌CLASSICAより

紅葉シーズンも終盤に向かい日毎に樹々が裸になりつつあります。

積読になってる雑誌CLASSICA 月一回自分に課した今月のCD9月編を今書いてます。もうどうでもいいやと放棄するのが怖い 疲労のとれたわずかな時間を見つけ取り掛かる。バッハ特集は常連でこれまで幾度となく特集ありましたが 今回数多ある記事の中で目をひいたのは中国人ピアニストZhu Xiao-Mei(シュ シャオメイ)の短い談話。

何年前になるのかな 彼女のコンサートに行きました。私にとっての贅沢は一番前の席を予約し演奏家の一挙一動 顔の表情 手の運びに間近にお目にかかれること。その日の為にチケット代 交通費 ホテル代を貯金しドキドキしながら公演日を待ち侘びる喜びよ。新しいシーズンのプログラムが発表されるや否や一番前の席を獲得すべきパソコンにへばり付きます。だからいつだって最前列をゲット。

ところが彼女のコンサートは 「席の予約はできません当局が指定します」 ということで一番前の席と同じ料金払いながら確か4列目か5列目だったと記憶してます。多分 中国政府関係者や中国の実業家が手を回し先に買い占めたんだろうなと思ってましたが 実の所多額の寄付をしたんだろうと確信しました というのも先週モントリオールのバッハ祭から封筒が届きました。プログラムの案内かと思いきや寄付のお願いでした。内容は切符から得る収入は総経費の25パーセントのみ 他は政府からの助成金で成り立っており コロナ下 大幅な削減で台所事情が苦しいというものでした。モントリオール在住の中国人富裕層にもこの封筒届いたんだろうなー。

こちらで学芸員の資格取得のため大学で学んだとき初日にうけた授業の先生の最初の言葉が脳裏をよぎりました。「ミュゼオロジーを学ぶことは政治を学ぶことである」と。ノーテンキな私はびっくらこいでしまいました。文化や芸術は政治とは一線をかくする別な世界と思ってましたから。授業を通して見たり聞いたりした世界は私のような単純脳細胞の田舎者が生きて行ける世界じゃないです。でもこの先生の授業を受けられたことに大いに感謝します。今でも先生の発した色々な言葉が浮かびます。美術史家で気骨のある先生でモントリオール美術館長のポストオファーを蹴り誰に媚びることなく好きな研究続けてます。コロナ直前に起こったモントリオール美術館内紛は理事会が館長を解雇し解雇された館長が名誉毀損として億の損害賠償を訴えるというもので今だにゴタゴタが続いてます。

さて Zhu Xiao-Meiはバッハを演奏しない日はなくバッハは彼女の生命の糧でもあります。彼女の伝記は以前CLASSICAでも取り上げられており自伝も出版されてるのでネット検索すればすぐわかります。文化大革命中 5年間強制収容所で過ごされた経験があります。彼女が煉獄で破壊された心をいかにバッハにより癒されていったか想像することすらできませんが 彼女とバッハの関係をチベットの高僧Milarépa (ミラレパ)とMarpa(マルパ)の関係に例えてます 初めて知った名前です ネットで検索しました 自分に襲いかかる悲劇にどう対峙するか仏教の教えの真髄とはこういうものなのでしょうか。

テレビで偶然にも彼女のコンサートが放送され涙を拭う姿があちこちで見られました。バッハの眠るライプチッヒ トーマス教会での演奏です。

バッハといえば私にとってピカイチはグレングールド。来る日も来る日も彼のピアノを聴き 酒に溺れた辛い日々から立ち直れたのも彼のおかげです。と言うことで二人のバッハを久しぶりに聴きながら 実のところ身が入らなかった。と言うのも私は今元気いっぱい 生きてあとなんぼの人生ゆえ生きてるのが楽しい。そりゃ色々あるけど 落ち込んでも回復が早い。

あとね この特集で面白かったのはバッハって勉強は出来ないし 乱暴者だし 素行悪かったのね。あと20人という子沢山 つまり精力絶倫。歴史的に何かを残す人ってやっぱどっかぶっ飛んでますね。品行方正学業優秀の芸術家って完璧な演奏してもつまんないもの。

明日は仕事 歴史を学び色々な方の人生を伺うことで励まされること大いにありますね。

 

 


楽聖の別れの歌や月きよし

2021-08-08 05:20:05 | 雑誌CLASSICAより
世間の波風とは良く言ったもので 毎日が高波小波細波のなかを泳いでるよう。色々あるけどブログに書くエネルギーなし。

メンテナンスとキッチン管理の直属ボスの送別会があったが キッチンスタッフ参加者は 私と勤めて3ヶ月に満たないアフリカトーゴー出身のアゾさんとキッチンヘルパーのミミおばちゃんのみ。コックさんもお局さん達も不参加 建前だけでも参加すると思ってたのでこの冷たさに驚きました。ボスは40歳そこそこ あっちもこっちも人手不足のケベック すぐ仕事を見つけるでしょう。彼曰く いろいろな経験ができて人間として成長したとのこと。

さて 7月のCDの感想を書こう、シューベルトの白鳥の歌をリストがピアノ曲にトランスクリプションしたものです。



若い時は ただただ夢中に音楽にのめり込んでたのとは違い 聴きながら色んなことが支離滅裂に浮かんでくるのは チンケな人生ながら生きて来たんだなーと思いましたね。
今回のCDは 初めて聴いた時と毎日聴いていて感じたことの感想が変わらなかった。最初は感激しても飽きてくるのや つまんないと思ってたのが段々味わい深くなってくるということがよくあるけど時間と共に変わらなかった。

最初 耳にした時 これ日本人好みの演奏と思いました。そして内気なシューベルトに相応しい演奏とも( でも彼はいかがわしい悪所に出入りし梅毒で亡くなります) 音色が柔らかく優しい かといって甘ったるくない。ここでモントリオールでピアノを教えているHさんの言葉を思い出しました「日本人の演奏はこじんまりしていて大人しく迫力がないと評されるけどそれが個性の一つでもあるんじゃないかしら」。ふと、ケベックの女性と日本の女性のステレオタイプが浮かびました。ケベックの理想の女性は経済的かつ精神的に逞しく独立心が強く人間として自分の夢を叶え開花してること。キャリアウーマンがうじゃうじゃと男を凌ぐほど闊歩する社会です よって娑婆で生き抜くには弱みを見せたら負けーみたいな パワフルな演奏のよう。日本の一昔前のステレオタイプ女性といえば何事にもでしゃばらず夫をたて家庭を大事にし黒子として社会を支えるイメージ 控えめでも飽きない演奏のよう。どちらもそれぞれの個性なんですよね 優劣じゃなくて。

辞めたガボン人と一緒に働いた時 重いものを運ぶに女性はか弱いんだから大事にしてねとジョークでお願いしたら 「か弱いケベック女に出会ったことがない」との即答でした。それで恋人はいつもモロッコやアフリカの女性。東京オリンピック カナダのメダリスト11人だか12人のうち男性は一人ですよ。男達はふにゃー 女性パワーに圧されてます。

続いて シューベルトだと思って聴いていたのも束の間 すぐリストを聴いてる気分になりました。日本で人気のトルコ出身ピアニストジャンチャクムル( CAN CAKMUR )の解説によると 歌曲をピアノ曲に移し換える作業がリストの創造とも言える彼の曲になっているとの解釈。画家でも若い頃はよく模写をしてますがその模写の中に既に将来の画風を伺わせる個性が現れているので創造的コピーは既に別作品とも言えるんだなと思いました。

14曲の中で私が一番好きなのは有名なセレナードではなく別れという曲です。別れの曲なのに楽しい曲 幸福とメランコリー 絶望と希望の無限の間でリズミカルに音が胸弾ませている。手元に一冊もないけれど私の若い頃に一世を風靡した宇野千代さんの一節を思い出しました。辛い失恋をすると綺麗にお化粧し綺麗に装ってお出かけするんだって そして自分に言い聞かせるんだって 「 あの角を曲がればきっと素晴らしい出会いが待ってると ( うら覚えです) 」。さもありなんという曲です。

シューベルトというとイアンボストリッジが好きで2回コンサートに行きました。手元にある白鳥の歌を聴きましたが何故かいまひとつ響かず冬の歌の方を聴きました。そして評判の良かった彼の著作 SCHUBERT'S WINTER JOURNEY ANATOMY OF AN OBSESSION IAN BOSTRIDGE をカナダアマゾン中古で1000円ほどで手に入れました。英語で書かれたドイツ出版社の初版です。色々な国で出版されてますがこの装丁が一番気に入りました。足跡が雪道に食い込んだように凹んだレリーフ仕様で中身も絵画がふんだんに挿入され絵画見てるだけでも楽しいです。日本語訳で読みたいのですがなんと郵送費込みで8359円ですよ。5星の評価がついてます 易しい英語で書かれてるとのことで私でも読めるかもと買いました。



明日は仕事 人手不足ゆえお休み返上 お局NO3との昨年秋以来の一緒の仕事です。私を老人扱いにし見かねたコックさんがシフトから外してくれた51歳の女性です。いつも思うのよ こんなところだから私こと婆さんでも採用されたと やっぱり感謝。



衣替えアンチーク椅子窓際へ

2021-06-03 08:51:28 | 雑誌CLASSICAより
誰にでも たとえ小さな部屋の一角でも自分が居心地が良いと思える場所 又いつまで経っても飽きない家具 手にするたび幸せが湧く食器などなど つまり自分の一部になったような親しんだ場所や物がある。私にとって小さな丸テーブルとお友達のガレージセールで500円で買ったアンチーク椅子がそれ。一人でも運べる大きさと重さ 季節により気分により移動させる。夏になるとベランダへ出る通路に置き 朝はコーヒーを啜り菜園を眺め 夕方はICEという発泡酒を飲みながら1日を終えた身体を心地よいだるさに解放する そこは目に見えないバリアで囲まれた私だけの空間。外を眺めたり 夜の読書が無理になり長く読む気力もなくなり朝のほんのひと時数ページだけ好きな本を読んだり編み物したり 私の小さなパラダイス。



さて5月のCDとして選んだカチア( FRANZ LIZT KHATIA BUNIATISHVILI ) 毎日一回は聴いてたけどイマイチ これはもう仕方ない。ただバッハのプレリュードとフーガの演奏がこれまで聴いたことのない音色でこんな風にバッハを弾けるんだと新鮮だった。なんて表現したらいいんだろう 官能的で切ない演奏と言ったら それはバッハじゃないあんたの耳がおかしいとお叱り受けるだろうか でも私は聴くたびに切なくなる。カチアが身にまとうセクシーなドレス 自分が女であることを楽しみたいという心情がバッハ演奏にも現れるんだろうか。今をときめく大スターとなったカチア 彼女を見出したバイオリニスト ギドンクレマーが名声に溺れる危険を 若きピアニストへの手紙という形で公表したが それに答えるに 若さとは間違う危険を犯す権利があり 孫を心配するおじいちゃんの気持ちとして受け取るとのこと。また政治的意見も辞さずロシアでの演奏を拒否している。あのような大胆なドレスを纏うぐらいの女性はそれだけの気骨と自信ある女性なんだなと思う。自分が働いたお金で買うんだから好きな服着て当たり前なのにどこか他人の目を意識している私のような小庶民は小庶民ファッションでまとまってるよなーなんてね。 実は気に入ったアクセサリーに出会ったのだけど大胆で買おうか買うまいか迷ってます やはり他人が見たら似合わない 歳考えろと言われそうで。それ考えるだけでカチアのファッションから目が離せないなー またリストだけでなく他の演奏も聞いてみたいけど今はパス。



新しいCLASSICAがずっと前に届いてるが封さえ開けていない 6月はどのCDを聴くか明日選ぼう。生きていれば毎日あれやこれやとあり書きたいことは山ほどあれど最近老化が加速したような気がするどころか加速している。60代ブログが激減するのも納得。

ゴヤ

2020-08-13 06:49:21 | 雑誌CLASSICAより
今日がお休みで明日もお休みのはずが頼まれてレストランで働く。なぜNOと言えないのか、やはりこんな婆さんでも雇ってくれたことへの感謝の気持ちがそうさせるのか。レジダンスの方が仕事は楽だし時給も良い、昨日はお祝い事のためのケーキのデコレーションをした、楽しい。カンボジアナレストランは正直言って辞めたい。1日も早く代わりを見つけて貰いたい。私は恩知らずなのだろうか。

それはさておき、雑誌CLASSICAから触発されたことを思いつくままに。雑誌をめくりながら一枚の絵が目にとまった。それは私がゴヤの絵で一番好きな作品。人形とも、藁人形とも、あるいは操り人形とも訳されているが何故かとても心惹かれる絵。悲劇的な死を遂げたスペインの作曲家ENRIQUE GRANADOSの名前を初めて知ったが、彼はゴヤの絵に深く感動し、とりわけアルバ侯爵夫人とゴヤの関係に魅入られ、この絵を含むオペラその他ピアノ曲など作曲した。

折に触れて紐解く愛読書というものがありその一人が堀田善衛。早速、堀田善衛のゴヤ4部作の第二巻「アルバ公爵夫人登場」という章を読む。今回何を感じたかというと、堀田善衛が何ゆえに定家明月私抄にしろ方丈記私記にしろゴヤにしろ、貴族エスタブリッシュメントの世界に住む人々を執拗に研究し描き出のすかということだった。もし私の感じてることが堀田善衛の意図したものと違うのかもしれないが今回初めて、もしかして堀田氏は貴族層の実態を暴きながら彼らとて我々庶民と同じくおどろおどろしい人間、ある意味で生まれながらにして富も財もステイタスもあればこそ庶民よりももっと自由奔放で人間の顕な姿が燻し出されると呆れもすれば感動もし、さればこそ貴族エスタブリッシュメントなど恐るに能わずと言いたかったのではないかと思いました。さらに一体貴族層というものが我々庶民をどう見ているのかを読んでいる、下等民でしかないのね。下等民を出世させるもさせぬも、生かすも殺すも意のまま。君たち庶民よ、貴族からこんな風に思われてどう思うかと問いかけられてるみたい。

それにしてもアルバ公爵夫人のなんと魅力的なこと。庶民さえも彼女が通るとひと目見たさに群がったという。

堀田善衛がENRIQUE GRANADOSを聴いたかどうかはわからない。私はゴヤ4部作を完結するにトラック一台もの資料を読み込みスペイン語を学びスペインに暮らし本物のゴヤの作品を追いかけた掘田善衛のゴヤを死ぬまで読み返すだろう。またゴヤに捧げた曲が同じ民族の血から生まれたものなればせめてGRANADOSのCD1枚でも買ってみよう。CLASSICA推薦版を載せておきます。




CLASSICA,雑誌というよりはパンフレットと言いたいほどペラペラでページ数が以前の半分以下66ページになっていた。雑誌の世界でも栄枯盛衰あり、いつか廃刊になるのだろうか。購読してなければENRIQUE GRANADOSを知ることもなくゴヤを紐解くこともなかったかもしれない。



未開人Les sauvages

2020-06-13 10:00:28 | 雑誌CLASSICAより
10年も前になるだろうか、夫の知人で音楽スタジオを経営しているマリオさんとお話ししたことがあります。彼はピアニストを目指してましたがマスター時代に耳を悪くしキャリアをあきらなければなりませんでした。音楽学校で働く傍、自宅でピアノを教えてましたが退職を機にスタジオを広げ先生を数人雇い50人ほどの生徒さんを預かってます。コンセルヴァトワールを目指す生徒さんだけとってます。ある日、彼がこんなこと言いました「僕はベートーヴェンのどんな小さな曲についてでも3時間は話せる」 「僕が死んだら妻や家族のもとへ行くよりもベートーヴェンの住む世界の方に行く」と。このお話を聞いた時、そこまで惚れ込むマリオさんが羨ましくもあり、また自分に問いました「あんたは一体作曲家で誰が好きなんだ、一人ぐらいマリオさんまでとはゆかなくとも惚れ込み深めてみようと思う作曲家はいないのかい」 乏しい音楽経験を振り返りながら私が一番好きなのはラモー、それで雑誌の切り抜きや本、CDを少しづつ集めお付き合いしてゆこうと思いながら、いつの間にかほったらかし。それがCLASSICA4月号のインタヴュー記事にラモーの名前を見つけどきりとしました。TREVOR PINNOCKというイギリス人のクラヴサン奏者かつ指揮者がラモーについてフランス音楽で一番好きな作曲家と言ってます。ラモーは複雑な性格をしており簡単ではないが正直で本物でユマニテが感じられクープランに比して社会受けを狙った作為的な効果を探したりしないと。

私が初めてラモーと出会ったのは日本ではなくアレクサンドルタローさんのCDです。ラモーなんか誰がきくんだ、そんなCD出したら君のキャリアは終わりだと止められながらリリースしたんです。これが逆に彼の売れっ子キャリアスタートとなり、あまり知られることのなかったフレンチバロックの魅力を広めることに一役買いました。

なんてたって有名なのはLES SAUVAGES (未開人と訳されてます)。いろんな舞台演奏がありますが、私は以下のバロック音楽とヒップダンスのコラボに魂を揺さぶられました。ダンサーはロサンゼルスの黒人ゲットー出身で、人種差別への怒りを暴力ではなく芸術にカタルシスを求めたんです。人種差別とかこえ、不正義を被りながら行き場無く、身体表現でしか許されない封印された人達の憤怒の迸りが観客を圧倒します。また、これを企画しプロデユースした若きアーチストCLEMENT COGITOREに新しい世代の力強い創作パワーを感じます。



歌ってるのはSABINE DEVIELHEで好きなアーチスト、上記の舞台では蓮っ葉なネーチャンのコスチュームで歌ってます。



いつかではなく、今からラモーとお付き合いしてゆこう。コツコツ楽しみながら。

ランチ: 冷凍ハンバーグが残り一個のみとなり夫へ、私は大好きな納豆ご飯 毎日食べたいけど高い。