紅葉シーズンも終盤に向かい日毎に樹々が裸になりつつあります。
積読になってる雑誌CLASSICA 月一回自分に課した今月のCD9月編を今書いてます。もうどうでもいいやと放棄するのが怖い 疲労のとれたわずかな時間を見つけ取り掛かる。バッハ特集は常連でこれまで幾度となく特集ありましたが 今回数多ある記事の中で目をひいたのは中国人ピアニストZhu Xiao-Mei(シュ シャオメイ)の短い談話。
何年前になるのかな 彼女のコンサートに行きました。私にとっての贅沢は一番前の席を予約し演奏家の一挙一動 顔の表情 手の運びに間近にお目にかかれること。その日の為にチケット代 交通費 ホテル代を貯金しドキドキしながら公演日を待ち侘びる喜びよ。新しいシーズンのプログラムが発表されるや否や一番前の席を獲得すべきパソコンにへばり付きます。だからいつだって最前列をゲット。
ところが彼女のコンサートは 「席の予約はできません当局が指定します」 ということで一番前の席と同じ料金払いながら確か4列目か5列目だったと記憶してます。多分 中国政府関係者や中国の実業家が手を回し先に買い占めたんだろうなと思ってましたが 実の所多額の寄付をしたんだろうと確信しました というのも先週モントリオールのバッハ祭から封筒が届きました。プログラムの案内かと思いきや寄付のお願いでした。内容は切符から得る収入は総経費の25パーセントのみ 他は政府からの助成金で成り立っており コロナ下 大幅な削減で台所事情が苦しいというものでした。モントリオール在住の中国人富裕層にもこの封筒届いたんだろうなー。
こちらで学芸員の資格取得のため大学で学んだとき初日にうけた授業の先生の最初の言葉が脳裏をよぎりました。「ミュゼオロジーを学ぶことは政治を学ぶことである」と。ノーテンキな私はびっくらこいでしまいました。文化や芸術は政治とは一線をかくする別な世界と思ってましたから。授業を通して見たり聞いたりした世界は私のような単純脳細胞の田舎者が生きて行ける世界じゃないです。でもこの先生の授業を受けられたことに大いに感謝します。今でも先生の発した色々な言葉が浮かびます。美術史家で気骨のある先生でモントリオール美術館長のポストオファーを蹴り誰に媚びることなく好きな研究続けてます。コロナ直前に起こったモントリオール美術館内紛は理事会が館長を解雇し解雇された館長が名誉毀損として億の損害賠償を訴えるというもので今だにゴタゴタが続いてます。
さて Zhu Xiao-Meiはバッハを演奏しない日はなくバッハは彼女の生命の糧でもあります。彼女の伝記は以前CLASSICAでも取り上げられており自伝も出版されてるのでネット検索すればすぐわかります。文化大革命中 5年間強制収容所で過ごされた経験があります。彼女が煉獄で破壊された心をいかにバッハにより癒されていったか想像することすらできませんが 彼女とバッハの関係をチベットの高僧Milarépa (ミラレパ)とMarpa(マルパ)の関係に例えてます 初めて知った名前です ネットで検索しました 自分に襲いかかる悲劇にどう対峙するか仏教の教えの真髄とはこういうものなのでしょうか。
テレビで偶然にも彼女のコンサートが放送され涙を拭う姿があちこちで見られました。バッハの眠るライプチッヒ トーマス教会での演奏です。
バッハといえば私にとってピカイチはグレングールド。来る日も来る日も彼のピアノを聴き 酒に溺れた辛い日々から立ち直れたのも彼のおかげです。と言うことで二人のバッハを久しぶりに聴きながら 実のところ身が入らなかった。と言うのも私は今元気いっぱい 生きてあとなんぼの人生ゆえ生きてるのが楽しい。そりゃ色々あるけど 落ち込んでも回復が早い。
あとね この特集で面白かったのはバッハって勉強は出来ないし 乱暴者だし 素行悪かったのね。あと20人という子沢山 つまり精力絶倫。歴史的に何かを残す人ってやっぱどっかぶっ飛んでますね。品行方正学業優秀の芸術家って完璧な演奏してもつまんないもの。
明日は仕事 歴史を学び色々な方の人生を伺うことで励まされること大いにありますね。