ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

春かおる

2019-03-31 09:43:52 | 観る
 上げ潮の若き才人春かおる
  
 時差の関係でに日本の伝統芸能番組はこちらでは土曜の朝放送。あたかも週一、劇場に足を運ぶ気分で待ち遠しく、ひととき芸の世界に遊ばせていただき幸せです。昨日は4人の若手邦楽家の紹介で、邦楽との出会いが高校時代とか大学時代とか、あるいは看護士として現役で働いているという経歴もさることながら、すばらしい演奏で、自分の表現力のなさ故、ただただ瞠目させられとしか言えません。

 トップバッターは琴、「PRIZM」の演奏に、ドビュッシーの曲をクラヴサンで弾いているような邦楽とは思えない西洋クラッシックを聴いてるようでした。伝統芸能が時代と共に新たに再生する場に居合わせたようでした。舞台衣装もご自分でデザイン縫製されるんですね。


 2番手は尺八、尺八演奏がオーボエの音とだぶりました。尺八もご自身で製作されるんです。

 3番手は日本舞踊。清元の演奏に合わせ踊ります。私はバロック音楽が好きで良く聴くのですが、ガボットとか、メヌエットとか、ジーグとか、もともとはダンス曲なんですね。今は曲だけ聴いているのですが本来は踊りと切り離せなくて、それも肉体を酷使しなくても誰でも練習すれば踊れるゆったりした人間の身体リズムにあった踊り。こちらに移民した当初は、昔からの朗らかなヌーヴェルフランス時代のダンスを普通に踊っていました。その光景を目にすることは少なくとも義家族からは消えました。

4番手は沖縄琴、沖縄琴は柔らかくのんびりしているのが特徴とのこと。看護士として老人ホームで働きながら全国邦楽コンクール初出場でいきなり金賞という快挙。老人ホームでもたびたび演奏するとのこと。このような生き方もあるんですね。生活のための生業と芸との二束わらじ。

 今回の放送に、伝統芸能イコール民族芸能としてあった思いが、いや、西洋音楽も民族芸能ではないかと思いました。時代はヨーロッパ文化ヘゲモニーから目がさめつつあるのな。

50代に比べ60代ブログが激減するのは、体力、視力激減で、あれも書きたいこれも書きたいでも、ざっと演奏家の名前を記録するだけでもおつむがついてゆかずまにあわないんですよ。文がまずいぶん、映像で補おうと思ってたのですが、それもめんどくさくなったので、これからは適当に簡単に書きます。



春よこい

2019-03-24 10:40:15 | 観る
 乱れ舞う花をひきつれ春よ来い

 羽生結弦さん、銀メダルおめでとう。いやーもう3日間、心臓ばくばく。羽生さんを絶対王者と呼ぶけれど、王者の名を体現してるのはネイサンチェンですね。いい意味でのエリート、泰然とした風格あります。4回転を、ぶんぶんさり気なく飛んでる。まだ19才だよ。今回の競技はネイサンチェンに軍配あり。脱帽。

 でも、病気や手術、大けが、震災を潜り抜けてきた叩き上げド根性がある羽生さんの魅力は失せない。時々なんでこんなに世界中の人を惹き付けるんだろうと考えたりするの。案外、「そのまんま羽生」という彼の丸腰な生き方かなと思う。言う事為す事、そのまんまむき出し。無様に転んだり、生意気な発言したり、がきみたいなとこありますね。

 イチローの引退で、羽生さんにもいつか一線から身をひかざるをえない日がそう遠くない日に来ると思うけど(フィギュアの最盛期は22才あたりまでとか)、さわやかにすがすがしく引退してほしいと願います。

 言葉ではいいあらわせないけれど、羽生さんから何かとても大切なこと教えていただきました。これからも追っかけるぞー。

えぎじびしょんで舞い踊った「春よ来い」、身体がどんどん研ぎ澄まされてゆく感じ。ケベックはやっとこさ春の風を感じるようになりました。
 

春雨

2019-03-22 18:03:42 | 聴く
 春雨が古楽に聴きほれ雪とかす

外は春雨、一雨ごとに雪がとけてゆく。俳句に季語二つ入れるのはだめとか。

2月に買ってあったジャンロンドーのCDクラヴサン演奏スカルラッテイーを聴く。もうすぐモントリオールでコンサートあれど完売。彼は27才、とても若いのでこれからいくらでも行ける機会があります。2年前はじめて彼のコンサートに行ったのですが、すでにおっちゃんのような、それでいて何とも言えぬ優しさがただよう好青年でした。

スカルラッテイーを聴くたび浮かぶのは堀田善衛のゴヤ4部作「スペイン1 光と影」。光が強くなったり弱くなったり、影が深まったり後退したり、移ろう光と影のコントラストを追いかけてる気がします。スペイン宮廷のお抱え音楽家だったスカルラッテイーは、たぶん公務員としていろいろな制約もあったと思うのですが、その音楽は時に官能的でさえあります。そりゃそうだ、ナポリ生まれ、ポルトガルでも暮らしたから、港町の海の匂いや市場に漂う人々の暮らしの威勢の良い血気ある体温が彼にもしみついていると思う。今年6月までスペインに研究のため滞在中の若い友達がかつてナポリを旅行し、ナポリは貧しい町だけれど人々がとても暖かいと語っていたのを思い出した。ジャンロンドーの演奏は闊達で活力があり飽きさせない。後半になるにつれ即興ジャズ演奏を聴いてるようでノリノリになってくる。彼がジャズバンドでジャズ演奏してるというのも一因かな。

古楽と言えば、日本伝統芸能番組を観始めて、古典芸能の世界に生きる方々がいかに古典を今という時代に生かすか様々なことに挑戦し学び研究していると知り感動しました。伝統継承って、ただただ昔からの伝統をそのまんま受け身にまねてゆくことではないんですね。幼い時から基礎を徹底的に叩き込まれ土台ができあがったうえで、さらに新規開拓にと精進を重ねるんですね。長唄で童謡「あわて床屋」を三味線にあわせてうたいました。ちょっきんちょっきんちょっきんなー。今も耳に残ります。

ジャンロンドー、夫に写真見せたら「汚ねー男だ」。目を見てよ目を。彼に会ったらスカルラッテイー、浮浪者と思うかも。







春いちご

2019-03-16 08:50:59 | 食べる
 なつかしき知人の便り春いちご

 一気にあの人この人との再会や風の便りをきく。家にひきこもってぼーっとしてる間に時間は流れてたのね。

ホスピスでかつて働いていたカンボジアレストランのオーナーマダムに会いびっくり。お父さまが入居。ちょくちょく我が家にも遊びにいらしてたのが最近連絡なしとおもっていたら介護に追われてたのね。夫にそのことを話したら即答えたのは「カンボジアではこのような厚遇は受けられないだろう、彼はラッキーだ」。老人介護のみならず身体障害者の方でも家庭での介護が無理と判断されると施設にあづけられます。

もう一人、仲の良かったおばあちゃんが隣町のホスピスに入院されたと聞き今日お見舞いに行きます。

モントリオールに引っ越し5,6年も経つのかな、知り合いのアーチストの展覧会が隣町であります。恋人がオーストリア人で今年オーストリアで展覧会とのこと。ホスピスのすぐそばのアートセンターなのでお祝いがてら会いに行きます。

もう10年以上もお会いしてない日本人女性がモントランブランというリゾート地のホテルで働いているのは知っていましたがソムリエになったとのこと。皆さんがんばってらっしゃる。

そこで私も頑張ろうと思ったのは、自分が理想とする美味しいイチゴケーキを今年いっぱいかけてチャレンジすること。スポンジが美味くできないのよ。しっとりほんのりと甘いスポンジにたどりつきたい。

イチゴが1パック400円だったので半分使用、残りはイチゴババロワにしよう。私のお菓子作りの信条は500円以内に収めるです。このイチゴケーキも生クリーム半分使用で500円内でできました。小さなチャレンジに小さな理想。これが私のキャパとしるこの頃。


紅旗征戎

2019-03-11 16:58:28 | 読む
 紅旗征戎吾ガ事二非ズ

 有名な藤原定家の言葉を今までとは違った読み方をする。それは老いのせいだろうか。物の見方考え方は変わって行く。2011年3月11日未曽有の東北震災からすでに8年、この時期になると堀田善衛の「方丈記私記」を再読する。

 今年、ああ自分の見方が変わったなと思ったのは、人が死のうが、都が荒れようが、あちこちで血なまぐさい政争があろうが「俺のしったこっちゃない」とばかりに和歌詠みにあけくれた定家を、それは私達自身でもあると思う気持ちが芽生えたこと。貴族エスタブリッシュメントにとり一般人民など下等な生き物に過ぎなかったかもしれないが、ふと思ったのよ、世が世ならば下等人間である現代の私達庶民も「紅旗征戎吾ガ事に非ズ」ではないかと。グローバル化が進んだ時代、世界の惨事に接すること日常茶判事。悲惨な映像を横目に先進国に住む私達はそれがB級であろうとグルメにお洒落に旅行を楽しみ、又は二流貴族だった定家が出世に一喜一憂したように勤め人は宮廷に劣らぬ熾烈な出世競争に明け暮れているのではなかろうか。 

 定家に又、歌人としての矜持というか、天地がひっくりかえろうとも和歌を詠み続けるというプロ根性を垣間見るようで反骨精神を感じたりする。それは貴族とか地下人とかの階級を超える芸の道を政治をの上に置く優性を信じてる人のように見える。

 「方丈記私記」を開くたび、黄色いマーカーを塗ったいくつかのフレーズに出会う。

「人は、生きている間はひたすらに生きるためのものなのであって、死ぬために生きているのではない。なぜいったい、死が生の中軸であければならないようなふうに政治は事を運ぶのか?」

「政治は何かを利用しなければ、それ自体では役にたたぬものであろう。従って政治はあらゆるものを利用する。無常観などはその最有力な武器となりうるものである。」

明日、年2回の少しあらたまった食事会があり、アペロから始まるフレンチフルコースにありつける。少しお洒落してでかける。思う存分楽しもうと思う。人生、いつちゃらになるかもしれないし今日ある日がいつまでも続くという保証はどこにもないから。