ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

たのしみは

2019-07-29 17:36:21 | 菜園
 たのしみは朝おきいでて昨日まで無かりし花の咲けりを見るとき

      橘曙覧 (1812-1868)

 こんな句に出会うと嬉しくなる。短歌や俳句の面白さは万葉の時代から人間が感じたり思うことは同じだなー。今朝の菜園、花ならぬキューリができていた。初キューリ。暑いのでお昼はそうめんにした。庭のキューリとネギの代わりに玉ねぎの青み部分みじん切り、煎り胡麻をすってゴマダレ風たれで食べた。今年初めて玉ねぎを植えたが青み部分に甘みがありネギのようで美味しい。ハンバーグやギョーザにたっぷり入れてる。ハムのかわりに鶏を塩コショウだけで焼いた。塩コショウは少し値段がはるが天然粗びきにするとそれだけで美味しい。ぜんぜんお洒落じゃない食卓だけど具は新鮮。

 



クレヨン

2019-07-28 07:52:39 | 菜園
 クレヨンでお絵かきしたし夏の庭
 
 夏の贅沢は、菜園いじり、昼寝、寝転がっての読書、ペンキ塗り、小ドライブ、、、長い長い冬を忘れべく思いっきり夏に浸る。
 
 今年はあちこち花壇を増やしてる。新しい花も買い足してる。花の好みが拡がってるのに気が付いた。都忘れ、矢車草、紫つゆ草といった紫の花が好きだが、今年はあまり好みではなかったユリに魅かれ数種のユリを植えた。白と赤の立葵、撫子、コスモスその他いろいろ植えまくってる。
 
 去年咲かなかった紫陽花が咲き、ほとんど見られなかった蜜蜂がたくさんやってきてラヴェンダーやサルビアに群がり丸々肥えている。アシダンテラが次々と花を咲かせその芳香はあまやかで庭いっぱいにひろがる。

 園芸店は80-90パーセントまで値下げ。梨の木を植えようか、それともプラムの木を植えようか、、、夫がお前は庭いじりしてるときが一番幸せそうだねと言う。おやつ代わりにミニトマトをほおばり、夕食のサラダのためにレタスや玉ねぎ、ピーマンをとってくる。目の前産地収穫食卓。
 
以下、アシダンテラと花弁多のユリの花。



 
 

夏花

2019-07-22 09:11:03 | 聴く
 夏花を次々咲かす指揮はだれ

 何もかも値上がりするのに7年間凍結の年金生活。さて何を削ろうかとなるとコンサートや美術館などの文化費。夫が、コンサート行くの楽しみなんだろう、なんでもかんでもケチらないで行きなと言うので行きたいプログラムあれこれみたらどれも完売だった。アレクサンドルタローなどいつのまにか切符が150ドルになっていた。まだ知名度が少なかった頃は50ドルでも席はかなり空いていたのに今やドル箱スター。

 が、落胆するには及ばない。MEZZOという番組があり24時間、クラシック音楽、オペラ(字幕付き)、ジャズからクラシックバレー、モダンバレーまで流してる。アレクサンドルタロー、ルカデユバルグ、ランラン、カティヤ、アルゲリッチ、ポリーニ、、、、新人から中堅、ベテランまでごちそうづくめのライブ演奏がテレビで観れる。が、年のせいか飽きっぽくなって最後まで魅入られ思わず拍手する演奏と言うのは稀。その稀な演奏に出会うと幸せで血のめぐりが良くなり活力が出てくる。

 昨日それに出会った。ベートーベンの交響楽で好きなのは第7と8、第7のコンサートライヴを録画しておいた。結成10年というが全く知らなかったLES DISSONANCES(不協和音オーケストラ)によるもの。驚いたのが指揮者がいない。おまけに演奏者同士が時に顔を見合わせてほほ笑んだり、楽しそうにニコニコしてる。演奏も実に快活で生き生きしており、ベートーベンだって年中苦虫を嚙み潰したような顔してるわけじゃなし、喜怒哀楽の喜や楽の心躍るときは子供のように弾んでたんだろうと思わせる演奏だった。

 なんだこのオーケストラはとネットで調べるとDAVID GRIMALというヴァイオリ二ストが創設した「縦社会や統制の少ない各楽団員の自由に任せるコラボレーションによる楽団」。最初は混とんとしたが練習を重ねるとともにうまくゆき、今では観客動員に四苦八苦するコンサートホールを満席にする人気楽団の一つ。

 楽団員の一人は「指揮者なしでの演奏は、各人が最後の音符の一つの演奏まで責任があり、曲を深く探るようになり新発見があります」。観客の一人は「第一ヴァイオリンが楽団を導くがごとく鳴ると皆が秩序のなかに入るんです、でもそれはコントロールすると言うんじゃないんです、みなさん陽気で笑顔で、それが私達観衆にも伝わるんです」。

 つい先だって、故ケベッククラシック批評家の第一人者CLAUDE GINGRAのルポルタージュがありました。そこで彼は、今の時代は人権やら労働基準法やらでトスカーニやシャルル・デュトワのような高い演奏ヴィジョンを持つがゆえに楽団員を怒鳴ったり指揮棒を投げつける指揮者がいないと演奏の質の低下を嘆いていました。LES DISSONANCESは従来とは正反対を行くオーケストラです。それ故にいまだに門戸を閉ざしている有名コンサートホールもあるとか。この指揮者不在のオーケストラは毎回毎回どんな演奏になるかわからないです。なにしろ指揮者のカラーというのがないので。しかし音楽の世界もつねにムーヴメントの中にあり新しくうまれいずるものってあるんですね。

 彼に賛同し参加した演奏家の顔触れは一流どこが勢ぞろい。中に以前から良くMEZZOで聴き魅かれていたチェリストがおり名前を控えておらず探すのに苦労しましたが見つけました。YAN LEVIONNOISという若手です。アマゾンでCDの値段をみてびっくり、高すぎ。

 今年、あれこれの花を無秩序に買って植えてるが、指揮者なきオーケストラの演奏のように私の無秩序な菜園とも花の園ともつかぬ裏庭はいったいどんな音楽をかなでるのだろうか。自由な無秩序から生まれる何かはわからない。


夕涼み

2019-07-17 16:09:15 | アート
 夕すずみよくぞ男に生まれけり 其角

 7月のチェスト飾りを何にしようか雑誌をめくりながらどれもぴんとこない。夏の花が鮮やかに咲き乱れている元気な絵を探したが見つからない。思い切って西洋絵画絵図から切り抜こうかと思ったけれど今年は日本絵画にするつもりでおり富岡鉄斎の「漁夫快酔図」が目に留まった。というのも裸の男たちが酔い笑う姿に其角の句が浮かんだから。歌と酒で裸になっての夕涼みは江戸の庶民の楽しみだったとか。

 鉄斎85才の愉快な絵図は、実は友の病中見舞いに描いたもの。絵に添えられた詩は「魚を捕ってそれを酒に換えたのでまず一杯やって酔おう。明日心配事が起きたら明日心配すればよい」。ガラスの花瓶を徳利に見立て、絵図の周りをワインカレンダーから切り抜き背景とした。ダサく、ごちゃごちゃが好きな悪趣味なんだけど今回は夏故すっきりしたつもり。

 この絵を夫に見せて感想を聞いたら「グロテスク、デカダンス、だらしない」。ははははは、絵の鑑賞に文化的背景がどんだけ影響してるか。確かに、西洋文化において、メタボ腹で半分ヌード、酒飲んでる姿が粋だなんて、オーマイゴッド、解説がいると思います。

 今日はボランテイアの日で、奇しくも一人の女性がこんな句を披露した。もちろん目新しくないけれど。「昨日を後悔し涙で暮れ、明日を憂うのは、今日という日の時間泥棒」鉄斎もボランテイアの人も、いやいや誰もが同じこと思ってる。ただそれが身につまされる年齢はある。

 だいぶ前からご近所に住む二人のボランテイアの方から日本料理が食べたいと催促されてた。ワインは私たちが持参するからと。安い、早い、簡単なものしかできないよ、私そんなにお料理上手じゃないからと言うとそれでOKだって。夫がまたまた近くにオタワ出張なので、その日に呼ぼうと思う。女3人、裸にはならないけど、どれ、焼き鳥や枝豆、卵焼きなんぞで愉快に飲もうではないか。



胡蝶蘭

2019-07-09 16:59:09 | 雑誌雑読
 ふりむけば私を見てる胡蝶蘭

 4年前にベトナム人の友達ユーからいただいた胡蝶蘭。2年間咲いたが3年目は花をつけなかった。4年目の今年見事な花を咲かせた。肥料もあげなければ植え替えもせず直射日光だけ避けていた。こうなると蘭の花にも心が宿ってるように思えて、ふとふりむいたら目と目を合わせたようでドキッとした。胡蝶蘭をみるにつけ、3年目にして花をつけたレンギョウやウツギをみるにつけ、この頃思うのよ、生きてるのか死んでるのか、停滞してるかのようにみえる灌木のみならず国や社会や会社や企業や個人も常にムーブメントのなかにあると。すべてが見えようと見えまいと動いてると。私だっていきなりお婆ちゃんになったわけじゃないしな。こうなるまでに時間かかってんのよ。なんでもかんでも刻々と動いてる。

 さて、一冊の本を根気よく訳しながら読む気力がなく、雑誌雑読で興味をそそられた記事を読むぐらい。それで時代の流れのようなものを教えてもらってる。6月から7月にかけて2つの記事を繰り返し何度も読んだ。まだブログに書くほどに読みこなしてないが、その前に紹介したいのが現代哲学者のロックスター、マルクスガブリエル。哲学にも流行と言うものがあり、彼は現代哲学者のトップの一人です。トップだからというわけでなく、記事を読んでちょっと興奮しましたね。日本に去年滞在しYOU TUBEで見れます。以下で検索すると見れます。彼についての記事は数ページに過ぎないですが自分なりに読みこなせたら書くつもりです。

Markus Gabriel in Japan

水と光だけで4年たっても花をつけた胡蝶蘭