ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

野花

2019-06-30 09:54:11 | 暮す
 野花つみ童女に還り母咲う
 
 姉から介護施設に入った母の写真が送られてきた。去年の里帰りで、まだ髪を染めに美容院に行き、日課の散歩もしてたが、転倒し入院し、認知症が加速しそのまま家に帰ることなく介護施設に入ることになった。質問すれば答え、ときどきやたら明晰、まだらぼけだが帰宅は無理と姉は判断した。今年92才になる。花が好きで、小さい頃からいつも家に花が飾ってあった。去年の里帰りに散歩がてら摘んだ野花を、なめたけの空き瓶や牛乳瓶に挿しながら「買った花もいいけれど野花もきれいだべ」と見せた母の笑顔を思い出す。母の写真も、友達の写真もブログに載せたことはないが、これが最初にして最後の母の写真。施設は明るく綺麗でスタッフの方も親切とのこと、姉に、これから赤ちゃんに還ってお世話され、安らかな日々が続くといいねとはなした。
 

3年目

2019-06-25 20:35:01 | 俳句
俳句の楽しさを知るようになって3年目。ひょんなことから俳句って奥が深いどころか果てしなき道のりと気が付きはっとした。3年目にしてはっとした。縁の有るな無しや知らないけれど、おぼろな、知人とも呼ぶにも気が引ける、ある句作する方が100句作って99句は捨てると言ったこともわかってきた。また彼が俳句で救われたとおっしゃった事もさもありなんとわかってきた。

3年目にして初めて投稿しようという気になった。インターネットで海外からでも投稿できます。これまで詠んだ句を読みながら、まあ、とてもじゃないけどお話になりません。それでも自分なりに気に入った句があり、これらを応募してみます。私が初めて俳句を詠みたいと思って作ったのが以下です。マーラーがお好きと伺い、それまで聴くこともなかったマーラーの失恋の歌曲を聴きながら作った句です。

 片蔭に滅びし恋の歌を聴く

「にっぽんの芸能」という素晴らしい番組で、坂東玉三郎の「鷺娘」や、京舞の「葵上」など観ながら、恋に狂った女たちの哀しみが聴こえるんです。

怠けないで句を詠んでゆこうと思います。お金はかからないし、老後を慰めてくれます。といいながら今日は句をよんでない。


俺たちにいつかはない

2019-06-23 21:20:02 | 暮す
 俺たちにいつかはないと肝に銘じ

本とCD、雑誌類の断捨離に入ってる。いつか読もう、いつか聴こうと思ってるうちにご臨終なんてやだなと思い断捨離続行。CD手にしながら、いつこんなの買ったけと聴いてみれば、ああ、あのとき、真冬に聴いてた曲だとか、たまたま大好きな番組「日本の芸能」で樋口一葉の「たけくらべ」を日本舞踊に振り付け踊ってるのを観て、ほんと名作だなとしみじみ思い捨てがたくなる。

昨日何があったかも忘れる一方。認知症の始まり始まりと自分の老いを観察する。きれいさっぱりいろんなもの断捨離したら私はますます空っぽ。また一方で私の小さな器を空っぽにして、知らない飲み物を飲んでゆきたいという気もおきる。どうしよう。そうだ、毎日一冊、一曲づつ、ぱらぱら再読、再聴し選別してゆこう。そして自分にとって古典と思えるものだけ残そう。そして空いたスペースに新しい飲み物を注いでゆこう。

先日ボランテイアの慰労会があり、そこでメンバーの一人がお孫さんから誕生日に頂いたという詩を読んだ。忘却とはすばらしい贈り物と言う内容だった。そうかも。私も忘却がすすみ、今日しか生きてないになってきた。早朝、草取りしたり水撒きしながら今日は何しようとあれこれ考えて一日が始まり、適当ながら予定を終えて一日が終わる。だんだん今日だけ生きてるになってきた。俺たちにまだ明日はあるが、いつかは来ないと思う。

今が一年で最高の季節。空は青く白い雲がぽっかり浮かび、緑の木々が威勢よい。子供の頃の夏休み気分。ほうれん草もサラダ菜も食せるほどに成長した。

慰労会で飲んだグレープフルーツビールが美味しかった、と、突然あの味が浮かぶ。認知症とは切れぎれなフラッシュバック。時間と空間の正常な認識が崩壊してゆく。


布袋

2019-06-16 20:30:09 | アート
 布袋だって遊びをせんとや毬を蹴る

光琳の燕子花絵図が好きかと言えば今のところ何も感じないというのが正直な感想。我が菜園のアヤメの群生とよく似てるなぐらいにしか思わない。本物を観るとどうなんだろう。自分の鑑賞力や感性が不足な時は何年か期間をおいてみるといいと思う。

光琳の絵で好きなのは「蹴鞠布袋図」。最初目にした時、布袋さんが月明かりの冴えた夜、袋を風船にして玉乗りしお月様をおちょくってるのかと思いました。それにしてはお月様の形が胡桃みたいでおかしいなと。違いました。地上に袋ほっぽり投げて蹴鞠して遊んでる絵なんです。それにしても布袋さんも袋も軽々として重力感じさせません。布袋袋の丸い形に太鼓腹+お月様の楕円形、大中小3つの丸が縦に並び、「せーのワンツースリー」と毬を蹴上げてるような躍動感があります。よく見ると布袋様、目をひんむき鼻の穴を見せ歯をむきだし笑ってるんですよ。そんなに何が楽しいの布袋さん?

光琳40才の絵です。放蕩で借金まみれになった光琳は屋敷を売り払い町娘と結婚し、この年、人生のリセットに奮起したのか生活費のため画業に精を出し始めます。住み慣れた家屋敷を売り払うって断捨離の最たるものですよね。でもなぜか捨て切るとさっぱり晴れやかな気分がするのは断捨離した方ならわかります。

いまだに断捨離続いてる私はこの蹴鞠布袋図に、重荷を下ろしたような、「やれやれ晴れ晴れ、いい気分」ポーンと毬を蹴ってるように見えます。もちろん我田引水、絵画は一人で勝手解釈し楽しむ世界でもあります。







燕子花

2019-06-15 18:23:50 | 菜園
 われも昔は衆道好きのひが耳に 芭蕉

 6月の雑誌切り抜き飾り絵は光琳の「燕子花図屏風」、数冊しかない日本美術史を開きながら読んだことさえ忘れ切ってるので新発見するかのように驚いてる。

絵画を観る悦びは絵そのものを眺める楽しみに加えて美術史家のみならず部外者の各様の絵の読みかたを謎解きに立ち会うがごとく読むこと。

光琳について一同口を揃えて羨望するのは、破産するまで湯水のように頓着なしに財産を使い果たせた資産家のぼんぼんだったということ。クリームチーズ特売250円が300円に値上げし家計に響くと叫んでるわたくしめ庶民はしばし光琳の世界で贅沢気分。金に糸目をつけず遊びに放蕩しつくした光琳の燕子花絵図は思いっきりよく豪華でてらいがないとは橋本治。

今回、私にとって発見だったのは、光琳が其角、芭蕉、英一蝶と同時代人だったということ。また、あの芭蕉が男色の世界を知っているということ。で、冒頭の句を詠んでいる。元禄時代は衆道知らずは野暮とよばれたそうで孔子をを祀る湯島天神は明治のころまで男娼のたまり場だったそうです。

光琳も男色かもねと絵画を絵解きしてゆく。女たらしで6人の女に7人の子を産ませた光琳は両刀使い。パトロンである男性の肖像画「中村内蔵助像」は実は光琳の愛人ではないかと絵から漂う色香から推論してゆきます。つつじ、梅、水仙、そして燕子花も若衆の例えだそうで、燕子花がどうして男色の世界を表現しているのかはブログでは書けませんが(羞恥心あり)男色の世界から美術を読んでゆく研究があるって初耳です。で、その専門家、丹尾安典さんが学生に放った言葉は「頭じゃなくて体で考えろ」です。是非彼の本読みたーい。

さて、我が菜園の盛りが過ぎたアヤメは燕子花に似ており、この季節になると光琳の燕子花絵図を思い出すと思います。今度里帰りするとき根津美術館で本物に出会えるのがたのしみです