ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

往く秋

2018-10-21 10:23:25 | 暮す
 ひとひらの白雲さそい秋が往く

 秋日和が続く。ほんの束の間の紅葉の時期、空は青々と高く白い雲が流れている。本の断捨離に入り、毎日一冊づつ処分してる。捨てる前にざっと一読してと拡げると止まらない。いつ、なんでこんなのを買ったんだろうと思い出せぬ本もあり、その中に樋口一葉がありしみじみと面白く、かつて観たオムニバス映画(おおつごもり、一三夜、にごりえ)とだぶり、永井荷風や森鴎外が絶賛したのもこの年になってようようわかる気がする。



 下手な俳句を我流でつくりながら、このままでは進歩なし、少しでも俳句の面白さを深めてゆきたいと思っていたところ、NHKジャパンで毎週土曜日の朝、俳句番組があり楽しみの一つになりました。俳句の先生方がどの方も素晴らしいんですね。昨日は鰯がテーマで、この先生、ご自身でさばき調理した鰯2品を紹介をしたんです。子供の頃、しょっちゅう食卓にのった鰯(しょうがで煮たの、たたき、骨せんべい)いつ又口にできるやら。

 鰯が俳句の季語になり、それを楽しむ文化。日本で暮らしたある外国人の方が、日本人は日常を楽しむ天才であり、どの人も芸術家のようだと書いてましたが、一見すると、ちゃちでこちゃこちゃに見える日本の街並みや家屋から生み出されるイマジネーションの豊かさは、代り映えのしない現実に魔法をかけ、どれだけ楽しませてくれることか。
 
 断捨離続行しながら、ためらうたび断捨離ブログを読む。作家物の200万円の着物が2万円で引き取られている。それを知ると二束三文で買ったガラクタを処分するに何のためらいがあろうかと、はっぱかけられる。



 

靡かねど

2018-10-04 19:54:03 | 暮す
 靡かねど物言わぬこそ恐ろしき

 羽生弦結が金メダルを取ったカナダでのオータムクラシック。行きたかったけど旅行積立貯金がすっからかんであきらめた。満足のゆく出来ではなかったけれど、羽生弦結、すごいですね。オリンピックから半年しかたってないのに、何がどうと言えないけど一回り成長してるのを感じた。男っ気が前にでてきたような。少年から青年へ、そして成人男子へと研ぎ澄まされてゆくような。23才で選手生命の終わりが近づいてるのを感じており、ほんにアスリートの花のいのちは短い。オーサーコーチも羽生をいかに幕引きさせるか考え始めているという。すでに羽生を超えるだろう才能ある若いアスリート達が登場している。でも羽生のような、華のある、なぜか惹きつけられる忘れられないアスリートにお目にかかれるのはいつのことだろう。

オータムクラシック開催中は、ケベックの州選挙が終盤に差し掛かった時で、選挙演説をみながら夫にこう漏らした。

- 政治は私に夢も希望も喜びも与えてくれないけれど、羽生弦結は私を幸福にしてくれるし、生きてるって楽しいなって思わせてくれる。

そういうと、意外な答えが返ってきました。

- 今回の選挙で気が付かないかい?いつもならいろんなアーチストが応援に駆け付けるけど、どこにもアーチストの姿がみられない。

- ほんとだ。支援コンサートも見当たらないし、いつものメンバーのアーチストたちの姿みえないね。どうしてなの?

- 怖いんだよ、政治にかかわって仕事の話がこなくなるのが。

ほんの一握りの人間だろうが、アーチストの演出や発言に血祭にあげんばかりに叩きのめす現象が起きている。今年になっても、ロベールルパージュという世界的演出家がやり玉にあげられ興行を中止した。助成金も打ち切られた。

大多数の人間はそう思ってなくても口を閉じてしまう。力のもとに靡かなくても、物を言わぬこと、みてみぬふりすることは恐ろしい結果を引き起こすかもしれないのに。誰だってわが身が可愛いし、生きてゆかなければならない。

さて、羽生弦結はオリンピックがピークだったのか、オータムクラシックの席が空いてました。いつかアイスショーでよいから是非実物の演技みたいです。彼のラッキーアイテム熊のプーさん買おうかな。羽生弦結は好き嫌いが分かれるようですが、私は天才というのがいるんだなということに目を瞠るんですよ。いったんリンクに上がると別人のようになる。天才とは神から愛された人という言葉を思い出しました。


秋しる

2018-10-02 09:38:45 | 読む
 いつしかに 秋しる年に なりにけり

昨夜、ケベック州選挙の結果、新政府が誕生した。CALQ党ー結成後わずか7年で、まさかのマジョリテで選ばれた。移民問題など自民党より右寄りのタカ派。150年の歴史をもつ前政権PLQ自民党が野党第一党となり、かつて自民党とほぼ交互に政権を担い、野党第一党だったQCケベック党は最下位という歴史的選挙。結成後10年たつQSケベック連帯党という、これまで相手にもされなかった左翼党が大躍進した。既成政党にうんざりした州民は2新党にチャンスを与えた。これからどう展開してゆくのか。

6月の日本里帰り以来、日本で暮らしてるかのように日本語の本を読み、テレビはNHKジャパンを見まくってる。辞典を傍らにフランス語の本を読むのがおっくうになってる。生きてあとなんぼという思いがあり、本なども好きな作家以外は買うのを控えようと思いつつ、ついつい手が伸びて買った本を読みながら、やはり気が向くままにこれからもちょいちょい手を出そう。

神田古本屋巡りしながら永井荷風に手が伸びたのは、音楽評論家の吉田秀和が「おもしろい、夢中になっている」と荷風についてのべていたのがひょいと頭に浮かんだから。そして私も、たるんだ頬に柄杓で水をかけられたかのような、ひさびさに目が醒めるような思いがしてる。

以下、ちょこっと引用

明治44年7月記より

 「現代の日本ほど時間の早く経過する国が世界中にあろうか。今過ぎ去ったばかりの昨日のことをも全く異った時代のように回想しなければならぬ事が沢山にある、、、銀座と銀座の界隈とはこれから先も一日一日と変わって行くであろう。丁度活動写真を見詰める子供のように自分は休みなく変わって行く時勢の絵巻物をば眼の痛くなるまでみつめていたい。」

里帰りするたびに感じる日本の変化のめまぐるしさに、明治44年を平成29年に置き換えても遜色ないどころか、荷風がみつめた明治の日本も平成も同じ絵巻物を繰り広げている。

次の文章も、最近私自身思うことでもあり、年をとるにつれ物の見方というのは変容するというか、多様になると言うか、、、

昭和7年3月30日記

荷風が衣食住に困らぬ身分で勝手気ままに暮らしてると言う噂を耳にして

 「唯一言したいのは、もしわたくしが父母を養わなければならぬような境遇にあったら、多分小説の如き遊戯の文字をもてあそばなかったという事である。わたくしははやくから文学は糊口の道でもなければ、また栄達の道でもないと思っていた、、、政治を論じたり国事を憂いたるする事も、恐らくは貧家の子弟の志すべき事ではあるまい、、、」

糊口をしのぐために何でも働き、日本への里帰り貯金、半額セールで毛糸を買ったり、球根を買ったりと、ささやかな楽しみの為に日々ケチケチ節約生活(でも楽しい)をおくってる私は、荷風の言動に、うらやましい御身分のデイレッタントですねと片付けられない世界があるのを感じる。名は知れど、一度も読んだことのない、こんな作家がいたんだと目ぱちくりです。