ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

靴下

2018-05-30 20:30:28 | ハンドメイド
 靴下は一日にして編み上げず

今日、手編み靴下一足完成。2か月かかりました。泣きたくなったのは、細い編み棒がちょっとした不注意からするっと抜けて何度もほどいたこと。まったく気が抜けない。だから疲れた時や、欲張ってもう少し編もうという気持ちの時は、即編むのをやめた方が良いと肝に銘じます。気が向いたら編む、疲れたら休む、いつ完成するか計画なしに編む、これが老婆スタイル。

編み物始めて、オートクチュールが100万も200万もするのわかります。手間暇が半端なくかかってます。お針子さんの労働時間代だけでもすごいだろうな。一般庶民にオートクチュールなんて美術館で拝見するのがせいぜい。でも靴下は自分でオートクチュール気分味わえます。自前オートクチュール。靴下なら極上の毛糸買っても庶民でも手に入ります。一足2000円かかりません。なにしろ労働時間計上しないから。手編みの手触り、着心地にはまりました。そして、編み物は、秋、冬と思ってたけど、夏に秋冬物に向けて帽子編んだり手袋編んだり冬支度。冬には春夏に向けて編む。できれば、洋服も手縫いするのが夢です。

8月に、姉夫婦とそのお友達ご夫婦の4人が2週間我が家に遊びに来ます。滞在中、編み物や家庭菜園に目覚めてくれたらいいなと思います。姉にお友達は何が好きですかと聞いたらショッピングだって。ショッピングのかわりに皆さんに草取りしていただきます。6人だったらすぐ終わる。2週間、老人ホームになります。還暦、古希過ぎの6人の共同生活がどうなるかお楽しみです。

以下、らうとらさんから教えていただいた進化した手編み簡単靴下。ゴーヤのような、でも履き心地満点。



不易流行

2018-05-29 13:16:46 | アート
芭蕉の俳句論「不易流行」がおぼろげにわかってきたようなきてないような。普遍的なものはいつも新しい姿で現れると。世の中で一番とんがったものに普遍が現れると。その普遍とはなんぞや、うすぼんやりとわかったようでわかってないだろうなが今の心境。芭蕉がだんだん現代人に見えてきた。

さて、羽生結弦に出会わなければ今年の展覧会に参加しなかった。彼から知らず知らずのうちに、しょぼしょぼ目が開かれるような影響を受けている。4月から取り掛かり昨日4点仕上がった。もちろん満足してない。でも期日が迫りいったん筆をおく。先日、映画館で観た映画は記憶に残ってないが、予告編が「ジャコメテイー」だった。描いては消し、描いては消し、完成したかと思えばすっかり消すその気持ちが良くわかる。私のようなアマチュアでも、描くほどに、どこもかしこも気に入らず、わけがわからなくなり、朦朧としてきて、ぎゃいーんと叫びたくなった。でも羽生選手らアスリート達を見よ。大会日には出場するんだ。すっころんだり、けがしたり。満足ゆく完成なんてないと教えられた。

1点目:春のあけぼのに水を吸い込み黒い大地から芽を出す生命力を表現したかった。芽吹いた枝を花瓶に飾ろう。

2点目:羽生選手へのオマージュ。飛翔と惑星羽生へようこそとYOU TUBEで何度も観たから惑星を挿入。

3点目:亡くなった知人が住んでいたリムスキーという入江の燃えるような夕焼けの思い出。EX_VOTOといって昔、船が遭難から免れると感謝のしるしに絵を描いて教会に捧げたという。海の下にはたくさんの船が沈んでいる。私なりのEX_VOTO。亡き知人を偲んだ。

4点目:羽生結弦のカラーは深い青と白のイメージ。大好きなお月様に羽生への感謝を込めて花束を捧げた。


五月晴れ

2018-05-25 07:37:55 | 菜園
 五月晴れ 天を仰いで 花満開

去年捨て売りで買って植えた球根から次々と芽が出て花が咲く。おおざっぱでがさつな私は適当にあちこち植えて、どこに何を植えたかも記憶にないのに花を咲かせ驚く。なんという生命力。義妹から株分けしてうえた菖蒲も花開いた。リラの芳香が風に色をつける。日陰に植えたヒヤシンスも咲いた。水仙も咲いた。


去年の春、夫が突然切れてはなった一言「お前は進歩主義者のようで実は頑固な保守主義者だ」いう意味がやっとわかった。先日義妹のところに遊びに行って義妹に「私がいかに時代遅れかっていうことわかったのよ」というと、そばにいた姪と甥が思わず笑った。二人ともそう思ってたんだ。時代は進化してる。編み物でさえ進化してる。私のおつむの編み物イメージは半世紀前でストップしてた。輪針という編み針は編み物の世界を格段に拡げ進化させてると知った。フィギュアスケートも羽生結弦の登場で歴史的進化をしたと言われる。私の知らないたくさんたくさんの世界はどこでも進化してる。

4点の作品のうち2点を羽生へのオマージュに捧げ、夫から秋に羽生選手がケベックに来ても運転しないからなと言われた。いいもん、へそくりためて一人で観に行くわ。で、羽生選手からほんといろんなこと示唆受けたのよ。例えば、クリケットクラブでのオーサンコーチが最初に羽生に課したのは基礎練習。そうなのよ、わたしも今やってることで基礎ができてないのよ。基本である基礎の練習をしよう。でも一番彼から刺激受けたのは、ぶざまな姿をさらしながら自分の理想とするイメージに向かって何度も何度も挑戦すること。老いと共にイメージすら抱けなくなり、というより人生でイメージいだいたことってあったろうか。ゆきあたりばったり、風に吹かれてふーらふらの人生。夫いわく、糸の切れた風船頭(なんというぴったしなイメージ)、何でもすぐ忘れるピーマン頭(いつも中身はからっぽ)。これから糸をつなぎピーマンの肉詰めするよう基礎づくりをし少しでも進化したい。でも問題は忘れっぽいのよ。昨日もダイアナに言われちゃった。「口癖は忘れただよね」と。


果樹

2018-05-20 22:29:08 | 菜園
 風が吹き 果樹が花咲き 小鳥舞う

一年で一番好きな5月にいる。食用のリンゴの木が芽吹いた。観賞用のりんごの木はもうすぐ開花宣言。リラの花もつぼみを膨らましている。小鳥が遊びに来始めた。菜園始めて3年目。30分働いては、はーはーぜいぜいしてたのが、草取りやら整地やらスコップ片手に働き、ちょっと疲れたかなと時計を見れば3時間は軽く経っている。私は丈夫になった。毎年冬になると1カ月ほど寝込むのが今年は風邪1つひかなかった。菜園で風に吹かれ芽吹いた花や果樹に囲まれ、陽が照ったり陰ったり、嬉しさがこみ上げる。
 
毎日寝太郎さんや小屋暮らしのサイトを訪問しながら、寝太郎さんの虚無感という思いがよぎった。虚しき思いは誰にだって宿ってると思う。それでいろんなことがひょいひょいと頭をよぎるのだが、大岡昇平の小説「花影」が浮かんだ。もう40年も前に読んだ小説なのだが主人公の女が自殺に至るあのゆるやかな崩壊が今でも虚無の姿として胸を締め付ける。

毎日寝太郎さんはよくわからない。私のようなおばはんが掃除婦したところで驚きもしないが寝太郎さんはその気になればいい職にもつけるだろうに、東大出て掃除夫してる。男なら世に出て出世もしたかろうがまるで興味なし。ただただ自由に好きななだけ昼寝して本を読んで暮らしたいが故10万円で小屋を建てて暮らしてる。彼の著作に刺激され長年勤めた会社を辞め小屋暮らしする人続出。のりやすい私みたいな単純単細胞な人達だなとほほえましくなるが、皆さんほんと楽しそう。

寝太郎さんはフランスの哲学者ジャンケレビッチがお好きなようで、彼の言葉「春は全てを許すためにやってくる」という引用に何故かぐっときて夫が購読している雑誌をひっくり返し探したらジャンケレビッチの特集が見つかった。そして少なからず驚いた。そこには、偶然に不意にやってくる一瞬の美しさを味わうことに死を超越する生の喜びを語っている。また彼が大の音楽愛好家であることも知った。偶然とはいえ、今描いている4点の絵は私が感動した瞬間をなんとか絵に表そうとしているもの。何故人は感動するのか。「何故かはしらねど JE NE SAIS QUOI 」。これが今の私の内的ビジョンでもある。

以下、蕾から開花に向かう鑑賞用林檎の木。



堅香子

2018-05-17 08:27:20 | 暮す
 堅香子を摘んであの人の祭壇に

昨日、ホスピスからの帰路、道端に黄色い堅香子の花を見つけた。その愛らしさに一本手折り家に持ち帰った。かよわい花ゆえ萎れていたのが水に挿すとみるみる生気を取り戻した。帰宅するや否や夫が知人の死を伝えた。穏やかな最期だったとのこと。3年前、長くて一か月との連絡で夫婦で片道5時間の道のりを急ぎ会いに行ってきた。奇跡の回復で、それからはメールや電話でやり取りしてた。つい2週間前に電話口で調子が良くないとの声を聞いたばかり。いつでも旅立つ用意がありますと毎回のごとく話していた。

先月参加したホスピスボランテイア講習会で、どんな名医でも人間の死期を言い当てることができないとのこと。とはいえ、ホスピス入院後、ほぼ半分の方が1年以内でなくなるとのこと。まれに奇跡がおこり回復し退院するかたもおられるとのこと。まだ、その奇跡には出会ってませんがホスピスには入居6年という方もおられます。お洒落さんで着飾ってます。

講習会でいまだに記憶に残ることを少し。

市に3か所ある州立のホスピスは二人のお医者様と一人の看護婦さんの発案でスタートし、法律化されています。講習会では末期患者とは何か、クオリテイーある末期患者の生活とは何かといった法律についての説明がありました。病院というイメージではなく、あたかも我が家に住んでるような環境を与えるということなどきちんと法律に明記されているんですね。
ボランテイアしながら、その徹底した仕事の専門分化に合理的とはこういうことを指すのだろうと感心します。
記憶に残るだけでも以下の専門家が各自、個室の事務室を与えられています。ほとんどの方がマスター資格をもっています。

社会福祉担当 - 患者さんの遺産問題とか、年金問題とか、身寄りのない人の金銭管理などにあたる

精神ケア担当 - 死や尊厳死などについてなど患者さんのみならず家族の心の相談、ケアにあたる

レクレーション担当 ― ミュージシャンをよんだり、絵を描いたり、ものづくりしたりの娯楽を企画する

アレゴテラピー - 身体がなまらないように身体機能を活発にさせる運動をさせる

フィジオテラピー - これは日本でもおなじみのリハビリ

介護福祉  - 日本でもおなじみのおむつを替えたり食事を口に運んだり

その他、調理師さん、用務員さんなど、、、

どの従業員も公務員なので週2日の休み、ヴァカンス等が保証されており、長く務めるには情にたよらない徹底した分業化をシステムとして構築しないと、従業員も患者さんもゆったりした明るい環境は生み出せないだろうと思います。

私もホスピスでボランテイアというより、どこぞの保養地にお手伝いがてら遊びにゆくという感覚です。おなじみになった患者さんもいるし、ボケた人との会話も楽しいです。だって、自分の老いた写真をゆびさして「これはね私のおばあちゃん」と言うんだもの。

ボランテイア終了後、皆さんと一緒にお茶します。そこで私が「理想の死は、畑仕事から帰ってシャワーを浴びて、疲れたからちょっと昼寝と横になりそのままあの世に行くの」というと、人の最期は神様だけしかわからないと言われました。

知人の死のしらせにすぐ聞いたのはどのような最期だったかということ。穏やかに眠るようだったのことで幸せなきもちになりました。

さて今日の午後ダイアナ先生がわたしにフランス語を教えに来ます。指導力あるダイナミックな女の子で、とても16才になったばかりとは思えない。びしばし指導してくれます。あしたはいかにも箱入り娘といったお嬢ちゃんが来ます。でもきちんと反論するところなんか、ケベックの女の子だなー。

以下、黄色い堅香子の花