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ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

秋しる

2018-10-02 09:38:45 | 読む
 いつしかに 秋しる年に なりにけり

昨夜、ケベック州選挙の結果、新政府が誕生した。CALQ党ー結成後わずか7年で、まさかのマジョリテで選ばれた。移民問題など自民党より右寄りのタカ派。150年の歴史をもつ前政権PLQ自民党が野党第一党となり、かつて自民党とほぼ交互に政権を担い、野党第一党だったQCケベック党は最下位という歴史的選挙。結成後10年たつQSケベック連帯党という、これまで相手にもされなかった左翼党が大躍進した。既成政党にうんざりした州民は2新党にチャンスを与えた。これからどう展開してゆくのか。

6月の日本里帰り以来、日本で暮らしてるかのように日本語の本を読み、テレビはNHKジャパンを見まくってる。辞典を傍らにフランス語の本を読むのがおっくうになってる。生きてあとなんぼという思いがあり、本なども好きな作家以外は買うのを控えようと思いつつ、ついつい手が伸びて買った本を読みながら、やはり気が向くままにこれからもちょいちょい手を出そう。

神田古本屋巡りしながら永井荷風に手が伸びたのは、音楽評論家の吉田秀和が「おもしろい、夢中になっている」と荷風についてのべていたのがひょいと頭に浮かんだから。そして私も、たるんだ頬に柄杓で水をかけられたかのような、ひさびさに目が醒めるような思いがしてる。

以下、ちょこっと引用

明治44年7月記より

 「現代の日本ほど時間の早く経過する国が世界中にあろうか。今過ぎ去ったばかりの昨日のことをも全く異った時代のように回想しなければならぬ事が沢山にある、、、銀座と銀座の界隈とはこれから先も一日一日と変わって行くであろう。丁度活動写真を見詰める子供のように自分は休みなく変わって行く時勢の絵巻物をば眼の痛くなるまでみつめていたい。」

里帰りするたびに感じる日本の変化のめまぐるしさに、明治44年を平成29年に置き換えても遜色ないどころか、荷風がみつめた明治の日本も平成も同じ絵巻物を繰り広げている。

次の文章も、最近私自身思うことでもあり、年をとるにつれ物の見方というのは変容するというか、多様になると言うか、、、

昭和7年3月30日記

荷風が衣食住に困らぬ身分で勝手気ままに暮らしてると言う噂を耳にして

 「唯一言したいのは、もしわたくしが父母を養わなければならぬような境遇にあったら、多分小説の如き遊戯の文字をもてあそばなかったという事である。わたくしははやくから文学は糊口の道でもなければ、また栄達の道でもないと思っていた、、、政治を論じたり国事を憂いたるする事も、恐らくは貧家の子弟の志すべき事ではあるまい、、、」

糊口をしのぐために何でも働き、日本への里帰り貯金、半額セールで毛糸を買ったり、球根を買ったりと、ささやかな楽しみの為に日々ケチケチ節約生活(でも楽しい)をおくってる私は、荷風の言動に、うらやましい御身分のデイレッタントですねと片付けられない世界があるのを感じる。名は知れど、一度も読んだことのない、こんな作家がいたんだと目ぱちくりです。







2018-01-21 09:27:37 | 読む
 初日さす硯の海に波もなし 正岡子規

昨日アマゾンからNHKテキスト俳句一月号が届いた。日本円で648円、カナダまで届けていただいても1200円ほど。日本語の楽しさ奥深さに目をみはるばかり。


最近、文学や音楽や絵画って何だろうと頭に浮かび、小説なり紀行文なり俳句なり、、、文学って創作するに一番お金かからない誰にでも開かれた分野と思いました。紙と鉛筆があれば良し。楽器買わなくても良いし、絵の具買わなくても良いし、先ず場所をとらないし、先生につく必要もないし、才能ある方はいろんな文学賞にも応募できる。あと文学って人間の深淵(ドロドロな闇など)を表現するに一番向いてるのかな。トランプ大統領を選出した若者はドフトエフスキーの「地下生活者の日記」のような人物であるという記事を思い出した。読んだことないですが読みたいです。音楽でもなく、絵画でもなく文学でなければ表現できない世界があるのかも。

さて俳句の添削例を読みながら、なぐり書きしてるへたっぴー俳句から上達したいなーという気持ちが芽生えました。テキストの裏に添削お願いのハガキまでついてるんでびっくり。何でこのテキストを買ったかというと、とじこみ付録が「奥の細道双六」なんですよ。芭蕉のすごさがわかりたいという気持ちがあり、毎年一句二句でも芭蕉の句に感動してくる自分があり嬉しいです。が、ざざーっと雑誌をめくりながら即ぴんときた俳句が芭蕉ならず上記の正岡子規の句です。

硯の墨が黒々とした海となり、そこに朝日が射しているという表現に、いつもは暗く波立つ心が元日のみは穏やかに静まってるかのような、逆に子規の激しさをみるようでドキッとさせられました。もちろん個人的な解釈です。

ある方が俳句が自分の人生を救ってくれたと話したのを覚えていて、私の場合は音楽がそれ。で、俳句は私にとって何だろうと思ったら、平凡単調な生活のなかで、実は微妙に刻々変化してゆく季節や人生の移ろいと共に私も流れているという感覚を楽しむことかな。

今朝鏡を見たら法令線はしっかりと刻まれ、白髪は領土を拡げ、3つのシミが目立つほどの大きさになってた。子供の頃、銭湯でおっぱいがびろーんと伸びた骨と皮ばかりのような老婆をみて彼女が人間であることが不思議だったが、その姿に向かってる。あの記憶に刻まれたお婆ちゃんのようになった時私は何を考えてるんだろう。

2017-12-30 07:48:26 | 読む
 酒ゆえと病を悟る師走かな 其角

半藤一利さん解説の「其角俳句と江戸の春」から、酒と女のイメージがつきまとう其角像は表層的なものとの思いがあり、酒飲みでつとに知られる中島らもの「異人伝」と、其角と言うと即浮かぶ幇間について知りたく、江戸末期の芸人と直に接した悠玄亭玉介の「幇間の遺言」を読んだ。今年の素晴らしい出会いだった。二人のような人間にはもう本の中でしか出会えないのかもしれない。私たちは賢く用心深くなった。其角学会というのがあり、「其角生誕三五0年記念集」を取り寄せて読んだ。二上貴夫さんの其角についてのガイドが其角に深く迫ってると思った。

「、、、其角は芸術至上主義ではないと知るべきです。作品に執着する勿れ、作品と心中する勿れ、作品表出の為にいきてるのではなく、生きるために人間に付与された機能として言語表出がある、それを弁えろと。しかし、句は言い捨てとばかりに、質のままで良いのではありません。」

もしかして其角が現代に生きていたら中島らものような生き方をしたのだろうか。酒故、妻にも見放された其角の最期の顔は中島らものようだったのだろうか。

中島らも(2冊しか読んでません)に、無頼派というより其角についても同じだが、むしろ健全なものを感じる。

酒は呑むほどに意識が冴えわたるというのは中島らも同様吉田健一も語ってる。

自分がひそかに好きなものは実は誰にも明かしたくなくて、それは愛する人を悪口にさらしたくないから奥に隠してるような心境に似ている。そんな作家のひとりが吉田健一。若い時夢中で読みまくったが、其角から思い出し再読し始めた。吉田健一はかなり過激なことを言っている。だが、内心、誰でも、もしかして心の深いところで思ってることかもしれない。極端な例では、人生一冊の本を読まなくてもりっぱに生きてる人間はざらにいるということかもしれない。吉田健一が何回も繰り返して言うのは、観念にやられた時代に私たちが生きており、生きるという自然なありようが歪められているということ。

私は読書家ではなく、どちらかというと同じ本を何度も何度も繰り返して読むほうで夫から最新作も読んだらとすすめられる。日本の新人作家の仏語訳を夫の方がはるかに読んでて私はついてゆけない。たまたま総合文学ネット金魚というサイトを見つけて目を通して、日本語が難しくてわからなかった。なんだか日本人の脳が異常に進化して宇宙人みたいに思えた。



今年の思い出 NO3は 中島らもと悠玄亭玉介との出会い。ちなみに私の新しいメールアドレスに其角らも(中島らもと好きな作曲家ラモーと二人の名前をひっかけて)kikakurameauとしアルファベットで入れたんです。ふふふ、ひそかな遊び。