ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

コンサート

2020-04-12 11:31:29 | 聴く
今日はコロナウイルステレビを見なかった。少し疲れた。新聞の片隅にエコノミストが年金をカットしなければならないと、予見というか予告というか載せてあった。大々的な記事よりも小さな記事に、目につかぬよう大事なことが報道されているとかつて読んだことを思い出した。1970年代にケベックで公務員のお給料20パーセント削減の歴史があった。覚悟しないと。

いつまで外出制限が続くかわからない。生活にメリハリつけるように、今夜から、1日の仕事を終えシャワーを浴び着替えコンサートにゆく気持ちでドレスアップして(と言っても超チープ)、部屋を暗くし椅子(中古で500円買い)にきちんと座って音楽を聴くようにしようと思いました。今夜は1回目のお部屋コンサート。8時開演。プログラムは2曲。

一曲目 リッカルド、シャイー指揮ベートーヴェン交響曲第8番

指揮者に言わせるとこの曲は「ユーモアに彩られた光と静けさでしかない。」最初に聴いた時、なんてカラフルな伊達男を思わせる軽快な演奏というのが第一印象で、そうだよなー、ベートーヴェンだって耳が悪くなる前は魅力的な若者で女にもてたんだよなーなんて想像しました。かつてアバドの副指揮者として働いており、聴き比べると自由で不良っぽくて面白い。

二曲目 ラドウー、ルプ ピアノソナタ21番 ワルデンシュタイン

批評家の感想は「演奏が進むにつれ生き生きとしてきて生の勝利であるかのように光がやって来る』 コロナウイルス騒ぎの前に中古のCDをイギリスに注文してあるのですが飛行機が飛んでません。いつ届くかわからないのでITUNESで買いました。1972年演奏です。部分演奏だけを収めた視聴版CDで即座に魅了された曲です。ハイリゲンシュタット遺書をしたためた二年後に作曲されてます。第3楽章がねグッと来るんです。

演奏の解釈の歴史というのがあり、時代の好みの変遷と共に、また何十年たっても新鮮で廃れない演奏というのもあるんですね。



ランチはお寿司。魚介類が高くなり帆立は一人一個、蟹の足2本、ツブ貝お刺身用に一人2個買ったのみ。おからで卯の花とおからクッキーを作りました。大豆はすごい、豆乳を飲むようになってから体調も良いです。



ケベックのジョークも疲れてきましたが、ここで一発:

以前はちっちゃなおならを隠すために大きな咳をしたけれど、今はちっちゃな咳を隠すために大きなオナラをプー。

初コンサート

2020-01-19 20:26:41 | 聴く
 リュカ ドウバルグのコンサートから帰ってきた。片道2時間のバス旅行。

 彼のCDは3枚買っており、気が向けば聴き、またテレビでのリサイタルも2回聴いた。が、正直言って何度聴いてもハートに響かない。奇才とか現代のグレングールドとか、クラシック界を揺るがす一石を投じる、無意識に待ち望んでいた異才とかいわれ、超人気アイドルなんだけど、ぴんとこない。自分の耳が貧しいんではないかと疑い、生の演奏を聴けば変わるかもとの期待があった。

 演目は手元にあるCDと同じでなじみある曲なれど、生の演奏でもぴんと来なかった。

スカルラッティ : これまで耳にした演奏とは全く別物。スカルラッティの曲と思えなかった。音が粗く硬く野暮な演奏に聴こえた。斬新で大胆な解釈との評価だが、新しすぎて聴き慣れぬ演奏故か何も感じなかった。例えばアレクサンドルタローの演奏はナポリとスペインの血を感じさせる官能的な味がある。ホロビッツやアルゲリッチは遊んでるような極上の名人芸の味がある。ドウバルグを聴きながら正直言ってつまらなかった。

ラベルの夜のガスパール: 文学や絵画にインスピレーションをいただくというドウバルグ。私の力量不足なのか、最初こそ魅了されたものの最後まで絵画的映像が頭に浮かび音楽と共に戯れ遊ぶと言う境地にはなれなかった。

休憩をはさんでの第二部はメトネールとリスト。これ聴きながらね、ドウバルグはロシアやスラヴ系の作曲家の演奏に向いてるんじゃないかと思いました。エネルギッシュでドラマチックで壮大で、ボクシング選手から右左とパンチ食らってるようでした。飽きはしなかったけれど、かといって聴いたあと何も残らなかった。

30才になったのかな、堂々としていてシャイなとこなくて、そこが大物と言えば大物なんだろうが、これまでお目にかかった演奏家たちとは違うタイプ。経歴も正統派じゃないし不良みたいなとこある。不良を装ってもお坊ちゃん育ちを隠せない正統派と違い、制御しきれぬ根っからの野生のエネルギーがみなぎる不良魂。たまに気が向いたら追っかけてみようかな。

批評家たちがこぞって激賞しても自分がぴんと来ないときは、私の耳を疑うので、これからも折に触れて聴いてみよう。ああ、やっぱし、すごいと味わえることを願って。

最近疲れ気味。仕事多すぎ。なんとかしなくちゃ。リタイヤの意味がない。



夏花

2019-07-22 09:11:03 | 聴く
 夏花を次々咲かす指揮はだれ

 何もかも値上がりするのに7年間凍結の年金生活。さて何を削ろうかとなるとコンサートや美術館などの文化費。夫が、コンサート行くの楽しみなんだろう、なんでもかんでもケチらないで行きなと言うので行きたいプログラムあれこれみたらどれも完売だった。アレクサンドルタローなどいつのまにか切符が150ドルになっていた。まだ知名度が少なかった頃は50ドルでも席はかなり空いていたのに今やドル箱スター。

 が、落胆するには及ばない。MEZZOという番組があり24時間、クラシック音楽、オペラ(字幕付き)、ジャズからクラシックバレー、モダンバレーまで流してる。アレクサンドルタロー、ルカデユバルグ、ランラン、カティヤ、アルゲリッチ、ポリーニ、、、、新人から中堅、ベテランまでごちそうづくめのライブ演奏がテレビで観れる。が、年のせいか飽きっぽくなって最後まで魅入られ思わず拍手する演奏と言うのは稀。その稀な演奏に出会うと幸せで血のめぐりが良くなり活力が出てくる。

 昨日それに出会った。ベートーベンの交響楽で好きなのは第7と8、第7のコンサートライヴを録画しておいた。結成10年というが全く知らなかったLES DISSONANCES(不協和音オーケストラ)によるもの。驚いたのが指揮者がいない。おまけに演奏者同士が時に顔を見合わせてほほ笑んだり、楽しそうにニコニコしてる。演奏も実に快活で生き生きしており、ベートーベンだって年中苦虫を嚙み潰したような顔してるわけじゃなし、喜怒哀楽の喜や楽の心躍るときは子供のように弾んでたんだろうと思わせる演奏だった。

 なんだこのオーケストラはとネットで調べるとDAVID GRIMALというヴァイオリ二ストが創設した「縦社会や統制の少ない各楽団員の自由に任せるコラボレーションによる楽団」。最初は混とんとしたが練習を重ねるとともにうまくゆき、今では観客動員に四苦八苦するコンサートホールを満席にする人気楽団の一つ。

 楽団員の一人は「指揮者なしでの演奏は、各人が最後の音符の一つの演奏まで責任があり、曲を深く探るようになり新発見があります」。観客の一人は「第一ヴァイオリンが楽団を導くがごとく鳴ると皆が秩序のなかに入るんです、でもそれはコントロールすると言うんじゃないんです、みなさん陽気で笑顔で、それが私達観衆にも伝わるんです」。

 つい先だって、故ケベッククラシック批評家の第一人者CLAUDE GINGRAのルポルタージュがありました。そこで彼は、今の時代は人権やら労働基準法やらでトスカーニやシャルル・デュトワのような高い演奏ヴィジョンを持つがゆえに楽団員を怒鳴ったり指揮棒を投げつける指揮者がいないと演奏の質の低下を嘆いていました。LES DISSONANCESは従来とは正反対を行くオーケストラです。それ故にいまだに門戸を閉ざしている有名コンサートホールもあるとか。この指揮者不在のオーケストラは毎回毎回どんな演奏になるかわからないです。なにしろ指揮者のカラーというのがないので。しかし音楽の世界もつねにムーヴメントの中にあり新しくうまれいずるものってあるんですね。

 彼に賛同し参加した演奏家の顔触れは一流どこが勢ぞろい。中に以前から良くMEZZOで聴き魅かれていたチェリストがおり名前を控えておらず探すのに苦労しましたが見つけました。YAN LEVIONNOISという若手です。アマゾンでCDの値段をみてびっくり、高すぎ。

 今年、あれこれの花を無秩序に買って植えてるが、指揮者なきオーケストラの演奏のように私の無秩序な菜園とも花の園ともつかぬ裏庭はいったいどんな音楽をかなでるのだろうか。自由な無秩序から生まれる何かはわからない。


春の日に

2019-04-11 15:34:39 | 聴く
 別れれば新たな出会い春の日に

 20年来にわたって愛読雑誌だったCLASSICAの定期購読を止めにした。編集方針が変わってからつまらなくなりざっと目を通しただけで読まなくなった。かといって他の雑誌に年間購読を申し込むまでにいたらない。年間予約購読だと30パーセント割引でずいぶんお得なのだけれど。それでしばらくは毎月一冊、興味のおもむくままに、あれこれ雑誌巡りしようと思う。たくさんの音楽雑誌があるんです。

 今月はBBC発行のMUSIC。タイトルHOW MUSIC SAVED MEにひかれたから。私もJAMES RHODESと同じく、これまでに、つらいことや、人を呪いたい日もあったけれど、音楽を聴くことでいつも救われてきたから。あたりまえのことだけれどCLASSICAは主にフランス系のアーチストや音楽をとりあげ、MUSICは英国系のアーチストをとりあげる。英語は辞書とくびっききで読まなければならないのでためらったが思いがけない発見があり、あたらしい視野がひらける新鮮な感動があった。

 今月の特集は20世紀音楽を探るで、プーランク以外知らない作曲家を取り上げている。私は新しい曲になじむというか、しみじみ良いなと味わえるになるまでに時間がかかるので、一か月ぐらい毎日毎日同じ曲をかけている。すると、その時代に漂う色香のようなものが浮かんでくる。また、JAMES RHODESというピアニストを初めて知ることになりインタヴュー記事が面白かったのでCDを買おうと思います。

さようならCLASSICA こんにちはMUSICです




春雨

2019-03-22 18:03:42 | 聴く
 春雨が古楽に聴きほれ雪とかす

外は春雨、一雨ごとに雪がとけてゆく。俳句に季語二つ入れるのはだめとか。

2月に買ってあったジャンロンドーのCDクラヴサン演奏スカルラッテイーを聴く。もうすぐモントリオールでコンサートあれど完売。彼は27才、とても若いのでこれからいくらでも行ける機会があります。2年前はじめて彼のコンサートに行ったのですが、すでにおっちゃんのような、それでいて何とも言えぬ優しさがただよう好青年でした。

スカルラッテイーを聴くたび浮かぶのは堀田善衛のゴヤ4部作「スペイン1 光と影」。光が強くなったり弱くなったり、影が深まったり後退したり、移ろう光と影のコントラストを追いかけてる気がします。スペイン宮廷のお抱え音楽家だったスカルラッテイーは、たぶん公務員としていろいろな制約もあったと思うのですが、その音楽は時に官能的でさえあります。そりゃそうだ、ナポリ生まれ、ポルトガルでも暮らしたから、港町の海の匂いや市場に漂う人々の暮らしの威勢の良い血気ある体温が彼にもしみついていると思う。今年6月までスペインに研究のため滞在中の若い友達がかつてナポリを旅行し、ナポリは貧しい町だけれど人々がとても暖かいと語っていたのを思い出した。ジャンロンドーの演奏は闊達で活力があり飽きさせない。後半になるにつれ即興ジャズ演奏を聴いてるようでノリノリになってくる。彼がジャズバンドでジャズ演奏してるというのも一因かな。

古楽と言えば、日本伝統芸能番組を観始めて、古典芸能の世界に生きる方々がいかに古典を今という時代に生かすか様々なことに挑戦し学び研究していると知り感動しました。伝統継承って、ただただ昔からの伝統をそのまんま受け身にまねてゆくことではないんですね。幼い時から基礎を徹底的に叩き込まれ土台ができあがったうえで、さらに新規開拓にと精進を重ねるんですね。長唄で童謡「あわて床屋」を三味線にあわせてうたいました。ちょっきんちょっきんちょっきんなー。今も耳に残ります。

ジャンロンドー、夫に写真見せたら「汚ねー男だ」。目を見てよ目を。彼に会ったらスカルラッテイー、浮浪者と思うかも。