ケベックリタイヤ日記

ケベックでリタイア暮らし。ながらえば憂しとみた世も今は忘れた。毎日悦びの種をみつけてぽりぽりかじりたい。

早春

2019-02-05 10:03:15 | アート
 治さん 好きですと飾る 早春図

橋本治さんが亡くなられた。彼が好きで、とりわけ「ひらがな日本美術史」は御本人も楽しい仕事だったとおっしゃってたように、あれこれの名作にに首をひねったり思いを巡らしたりと遊ぶ治さんの喜びがこちらに伝わってくる。共鳴する部分もあれば、また自分とは違う観方もあると思うけど、美術とは楽しむことにあり、又いかように楽しんでよしと治さんは手招いてるよう。

雑誌の切り抜きでも毎日眺めていると、飽きる絵もあれば、喜びが増して生き生きしてくる絵もある。1月は、其角の親友であった英一蝶を飾った。其角が好きだから一蝶も好きなのかと思ったりするが、一か月飾って眺めていて飽きるどころか、日ごとに絵が賑やかに晴れやかになり、さざめきまで聴こえるようで存分楽しませてもらった。

2月は何を飾ろうかとあれこれ雑誌をめくりながら、治さんに感謝の意を表して宗達の「田家早春図」にした。この絵は1953年発行の国際文化情報者刊「画報近世三百年史 第四集 1617-1639」に載せてあり切り取り剥がした。そして俵屋宗達およびこの絵について、治さんは「ひらがな日本美術史4」で紹介している。

私は昭和の生まれだが、この絵に描かれたそっくりの家を子供の頃に目にしている。今でも鮮やかに思い出すので、幼心に昭和の世に突然江戸の庶民の家に出くわしたような驚きがあったんだろうなと思う。

橋本治さんが好き。いわゆる文化人と称される人たちのなかで、ユニークで見事な生きざまだったと思う。初めて買った彼の本は10代の時の男の編み物だった。パープルの毛糸で編み、ぶかぶかだったのを覚えてるが編み上げたかどうか記憶にない。挫折したような気がする。

橋本治さんありがとう。




不易流行

2018-05-29 13:16:46 | アート
芭蕉の俳句論「不易流行」がおぼろげにわかってきたようなきてないような。普遍的なものはいつも新しい姿で現れると。世の中で一番とんがったものに普遍が現れると。その普遍とはなんぞや、うすぼんやりとわかったようでわかってないだろうなが今の心境。芭蕉がだんだん現代人に見えてきた。

さて、羽生結弦に出会わなければ今年の展覧会に参加しなかった。彼から知らず知らずのうちに、しょぼしょぼ目が開かれるような影響を受けている。4月から取り掛かり昨日4点仕上がった。もちろん満足してない。でも期日が迫りいったん筆をおく。先日、映画館で観た映画は記憶に残ってないが、予告編が「ジャコメテイー」だった。描いては消し、描いては消し、完成したかと思えばすっかり消すその気持ちが良くわかる。私のようなアマチュアでも、描くほどに、どこもかしこも気に入らず、わけがわからなくなり、朦朧としてきて、ぎゃいーんと叫びたくなった。でも羽生選手らアスリート達を見よ。大会日には出場するんだ。すっころんだり、けがしたり。満足ゆく完成なんてないと教えられた。

1点目:春のあけぼのに水を吸い込み黒い大地から芽を出す生命力を表現したかった。芽吹いた枝を花瓶に飾ろう。

2点目:羽生選手へのオマージュ。飛翔と惑星羽生へようこそとYOU TUBEで何度も観たから惑星を挿入。

3点目:亡くなった知人が住んでいたリムスキーという入江の燃えるような夕焼けの思い出。EX_VOTOといって昔、船が遭難から免れると感謝のしるしに絵を描いて教会に捧げたという。海の下にはたくさんの船が沈んでいる。私なりのEX_VOTO。亡き知人を偲んだ。

4点目:羽生結弦のカラーは深い青と白のイメージ。大好きなお月様に羽生への感謝を込めて花束を捧げた。


春よ来い

2018-04-16 09:17:43 | アート
 窓凍る 春よ来い来い 恋い焦がれ

ヴェルグラと呼ばれる霧氷化現象で、窓も道路も凍っている。多くの学校がお休み。おととい咲いたクロッカスもフリーズしてる。ほんにケベックは半年冬のようなもの。ホスピスでは毎年この時期、冬疲れがでるとのことで亡くなられる方が多い。

リュカドウバルグと羽生結弦について感じたことを少し。アーチストにとっては当たり前と言えば当たり前だが、二人ともカンディンスキーが言うところの表現へと駆り立てる「necessite interieure内的必然」が強力。リュカは小学生の時初めて耳にしたモーツアルトの曲に、それまで自分の殻に閉じこもっていたのが、自分の外になにか崇高な世界があるということに目覚め、自分もそういった世界にたどり着きたい、自分が感じている世界を表現したいという激しい渇望を覚える。羽生選手も、尊敬するプルシェンコのように滑りたい、スケートを通じて自分の世界を表現したいという夢があり、理想とするイメージに向けて精進する。こういった芸術には終わりがなく、頂上を極めた金メダル後でも、羽生はまだまだ自分の理想にたどり着いてないと満足していない。若いということもあり、二人とも、こじんまりと収まるよりは常に進化したいと危険を冒す。若さゆえの二人に感じる、野蛮とも野生ともいえるエネルギーが、多くの人の眠っている生命力に、あるいは私のように老い衰えた人々にもまだ残っている生命力に音叉のように伝わってくる。外国の多くの年配のコメンターが羽生選手から私達も学ぶものがあると語ったが、恥ずかしくてここでは書かないが私も自分の欠点がうきぼりにされる思いがした。そして少なからず鼓舞された。

羽生選手は凄まじい批判攻撃に自殺を思い浮かべたことがあると言い、コーチはネット批判を読まないようにアドヴァイスしたという。スポーツ選手の花盛りは信じられないほど短い。羽生選手だって次の世代にバトンタッチしメデイアから消えゆく時が確実に来る。たった4分ほどの競技に青春をかける若者を攻撃して何が面白いんだろうね。誰にだって好き嫌いはある。だったら嫌いな選手を攻撃するエネルギーを自分のお気に入りの選手の応援に向けて切符を買うなり、グッズを買うなり、応援サイトを立ち上げるなりすればよい。アーチストは観客あってこそ生活が成り立つんでファンというのはありがたいものだから。相手を言葉の暴力で叩きのめす顔の見えぬその言葉の影から、私は何故か血に飢えた血祭の好きなどす黒いエネルギーを感じる。嫌いなら見なければよい、付き合わなければよい、それよりは好きな人を応援してるほうが本人も幸せ気分になれるとおもう。

今年のグループ展は「vision intime 内的ビジョン」といって、自分の内的世界を表現するというもの。プロのアーチストはあらゆる機会をとおして創作するのが生活だが、私のようなボランテイア兼アマチュア絵描きは気が向けば絵を描くし気が向かなければギャラリー掃除ボランテイアだけの年もある。ちなみに自称「壁塗り掃除大臣」です。今年は全然描きたいものがなく不参加と思っていたが、羽生さんに刺激され自分に問うた。「あんたにとって今の内的ビジョンは何なんだ」と。あれこれ思いめぐらしながら内的ビジョンも年々変化すると気が付いた。

以下、今朝のヴェルグラ窓ガラス

 




春の雪

2018-04-08 16:58:31 | アート
 いろいろと浮かぶことあり春の雪

外は春の雪。どこかしらあたたかさを感じさせる雪。

いろいろなことがあり、いろいろなことが浮かび書きたいことたんとあれどパワーなし。

思い浮かぶままにあれこれメモ的に。

フィギヤスケートの羽生選手にはまってしまって夫が呆れるほどYOU TUBEみまくり。彼は23才でオリンピック二度の金メダル獲得。23才の時にチャイコフスキーコンクールで天才現るとセンセーショナルなデビューを飾ったのはリュカドゥバルグ。眉目秀麗で輝かしい将来を捨て出家した西行は23才だった。

羽生のフリースケート「セイメイ」を何度も観ながら西行が浮かんだ。西行とはかくありやと。西行について堀田善衛の描写が羽生選手とだぶる。西行を悪魔的パワーを秘める「怪異、西行法師」とみる。

以下引用

西行の歌集やその他の文献記録などを見ても、彼は相当な重大事を、言い方はおかしいが、けろりとしてやってのけているのである。このあたりからすでに西行のいわば怪異な相貌が浮かび上がって来る。
(羽生選手のスケートそのものではないか)

この西行という人物は、どこかしら横紙破りなものがつきまとっているようである。
(羽生選手はインタビューで傲岸ともとれる驚くような発言をするし、時に破壊的なエネルギーを醸し出す。)

皇を取って民となし、民を皇となさん_これほどに強烈な革命的言辞をなした人は、日本の歴史に崇徳上皇ただ一人であった、、、崇徳院の恨み、そしてこの怨恨の昇華したものとしての怨霊、あるいはその革命思想にたいする畏怖は、実にかつ深く当時の政治をほとんど支配していた。
(この怨霊を一喝したのが西行であるが、その怨霊に対峙する顔かくあらんと、羽生選手の陰陽師とだぶった。)

巨大な悪霊に立ち向かうに、それ以上の悪魔的な、思想家としての自信なしにはできないことと、堀田善衛は西行に冷酷な面をも観る。一筋縄では読み取れぬ西行は羽生選手とだぶる。

で、以下、「セイメイ」の写真から、羽生選手と怪異西行法師かくありやと、重なってみえる一枚をねっとより拝借。


羽生選手のスケート人生に天才っているんだなと思うと同時に、凡人の幸せをしみじみ。凡人はおこたにあたって「キャー ゆずる―」とハラハラドキドキしてればいいんで、らくちーん。歴史上、天才って、これでもかと襲い掛かる不幸とセットなんだよね。神に選ばれし人というのかな。

リュカ ドゥバルグについても書きたいと思いながら、まだ書けれない。




OLAFUR ELIASSON

2017-10-01 19:15:53 | アート
ややこしや 嘘か真か 影踊る

是非観たいと思っていたOLAFUR ELIASSONの展覧会を観てきた。



彼についての記事「ミュゼにスノッブはいらない」を読み興味があったから。科学、テクノロジー、政治が彼の関心事であり、ヒラリー候補を支持し英国のユーロ脱退を批判し、フランスのマクロン当選を喜んだアーチスト。そして他の多くの知識人同様トランプ当選に衝撃を受けこう語っている。

「アメリカ社会の多くの階層が疎外されていると感じてることを見もしなければわかろうともしなかった」

トランプ大統領当選についていろいろな分析がでそろった感があるが、そのなかのひとつは以下のようなもの。

「失業や貧困にあえぐ国民をよそに、ええかっこばっかしして口ばっかし、こいつらエスタブリッシュメントに一回げんこつ食らわしてやる。もちろん自分たちが選ぶ大統領がどんなろくでなし大統領かしってるさ、でも、いい気になってる奴らを叩きのめしたかったのさ」

さて、反トランプOLAFUR ELIASSONがミュゼあるいは彼の作品についてどんな考えを持っているか超簡単にまとめると

ミュゼはスノッブなエリートや通の独り占めじゃないよ。みんなに開かれ、自分が作品を理解するに頭がないなどと思わせず、誰でも快く迎え入れ、そこで驚嘆するような場所でなくちゃ。僕は、観客も参加し驚き楽しむそんな作品をつくりたいんだ。

で、この展覧会、素晴らしかったです。

まず、高度に洗練された美しさに圧倒されました。エコロジーとか、時空とかの彼の世界観の説明文なしに、テクノロジーを駆使しながら虚と実が交錯し交感する美しさに目を見張りました。以下、特に印象に残った4点についての感想

1 BIG BANG FOUNTAIN 2014

入るのが怖くなるような真っ暗な室内に恐る恐る足を踏み入れると、水の音がし突然暗闇に小さな噴水が作り上げる水の彫刻が浮かび上がる。その姿は様々に形を変える。これを観て、かつて九州を旅した時、山奥にゴーゴーとなる水の音を耳にし林のようなところを進んでゆくと巨大な滝がぬらりと現れ、竜神という言葉が浮かんだのを思い出しました。噴水も滝も同じ水。水は様々に姿を変える。水は生き物だ。

以下パンフレットより



2 YOUR SPACE EMBRACER 2004

天井からぶら下がった丸いわっかの影が四方の壁に大きくなったり小さくなったりして一周する。9月になると月が美しく毎晩のように月を眺め追いかけてるので、夜空の宇宙の縮小版を見せられてるようだった。

写真可なのでパチリ


3 MULTIPLE SHADOW HOUSE 2010

大きなスクリーンの前に映った自分の影が動きに任せて大きくなったり小さくなったりして映る。幼い子供さん達が自分の動きが映る不思議さに喜んでなかなか去ろうとしない。そこへ老若男女問わず参加し様々なポーズをし実物と影が遊んでるような光景が繰り広げられた。私も参加したよ。

写真パチリ



4 BEAUTY 1993

あまりの美しさに胸がいっぱいになるくらい感動した。細い細い、雨のような霧のような水が降っている。それが暗闇の中に淡い淡い虹色のカーテンのようにゆらめく。これは映像なのかと手を差し伸べると手が濡れる、床もしっとりと濡れている。

写真パチリ




自然のエッセンスを作品化した無駄の一切ないミニマリスムでありながら暖かく非常に美しい展覧会でした。

展覧会を観終えてから友達との待ち合わせ場所へ。ラーメン食べお茶しました。親の死、友の死、自分たちの老後と死、仕事のこと、年金のこと、、、誰もが迎える当たり前のこと。これも現実。虚も実も現実。