11月11日分直しました
尊重は関係の品位を守ってくれる
上司の前で仕事をしたせいで気後れしたことがあるか。他の人たちの前で自分の欠点のせいで気後れしたことがあるか。人を恐れる心のようにつらいものはない。特に、ある人は声を聞いてもぶるぶる震えて避けたい場合もある。
尊重する心と恐れる心は違い大きい。尊重して礼儀作法を持った態度は成功のために必ず必要だ。単純に年をとっているという理由で大人を尊重して、恐れなければならないことではない。礼儀を守る次元で尊重することは、大人であれ子供であれ例外はない。しかし、恐れる心は自然な疎通を阻む。
大学で学生たちに教えてみると、ある学生は尊重する心を表現しながら自然な疎通ができるが、ある学生は教授の前だと、気後れして一言も言えない姿を見る時、かわいそうなことこの上ない。教授だとぶるぶる震えて、上司だとぶるぶる震えて、年上だとぶるぶる震えていたら、創意力はどのように生じて、疎通はどのように可能であろうか。
人間関係の重要な原理は尊重であるが、恐れるなということだ。そうしてこそ年上の人であれ、上司であれ、教授であれ堂々とした人格体で疎通することができる。どちらか一方が恐れる存在になると、一般的な指示と要求事項による水準に止まってしまう。互いに発展するところに限界が生じる。私は気になることがあると、よく知らない人にでも礼儀を持って聞いてみる習慣があるので、ホームページ、ツイッター、eメール,で質問する人に返答をすることが面倒だとは思わない。むしろ自然な疎通の機会にする。
もし、対話の中で恥ずかしいことがあったり、権威に押されたりしても、絶対に恐れてはならない。恐れる心は自分をつらくする。尊重するが恐れがない時に互いに安定する。
恐れる態度と尊重する態度を混同しなければ、誰でも尊重の対象として人格的な対話が可能だ。謙遜する姿勢で相手を尊重したら、よい関係を維持しながら品位を守ることができる。品位がある人生と態度は、私達を豊かにし、高い自尊心をくれる。
小学校しか卒業していない田中が、東京大学出身がうようよいる日本の大蔵省の長官として任命された時、エリート官僚集団は露骨に不満を表出した。田中は1分にも満たない就任の挨拶一言で憂慮と不満を一挙に解消した。
「皆さんは天下に知られた秀才達であり、私は小学校しかでることができなかった人です。特に大蔵省の仕事については門外漢です。大蔵省の仕事は皆さんがして下さい。私は責任だけ取ります。」
エリート官僚達は田中が認めて尊重してくれた瞬間に、心の門をさっと開いた。むしろ田中を尊敬し従った。田中はリーダーシップを認められ日本の総理の座まで上った。
誰かを尊重すれば、相手が高くなる前に自分の格が上がる。尊重は漠然として抽象的な感情ではない。相手に学ぶ点があると認め、それを自分のものとしてストックする過程だ。賢明な人は他人を尊重する。その過程で自分の不足している点を一つずつ埋めていく。成熟した自我を完成する過程だということができる。尊重は関係の中で品位を守る基になる。
この時代は尊重する心を失って行っている。学生が先生を尊敬しない。子供が両親を尊敬しない。夫婦間にも互いに尊重しない。職場の中でも上司が部下を尊重せず、部下職員が上司を尊重しない。尊重しない心は自ら完璧だという傲慢であり、毒だ。高い塀を作って孤立を認める道だ。
厳格な両親の元に育った人は、すべての人を恐れの対象とする。恐れの対象が生じたら、創意力と判断力は流れる。もっと発展できる原動力が滞ってしまう。反面、尊重の対象が生じたら、相談者を持つことになる。人生が潤い、創意力が大きくなる。
私は父親らしい父の元に育ったので、誰でも恐れの対象として対する場合があった。父が話をする時、少しでも姿勢が崩れたり、自分の考えを言うと、「年長者が話をしているのに口答えをするのか。」としかられることが多かった。母親とは疎通できていたが、父親とは対話自体を避けた。そんな影響で社会生活を始めた若い頃には、すべての人を恐れの対象として見たことがある。恐れで人に対してみると何もできないと悟った。私は学習された恐れと被動的な態度を捨てることを決心した。尊重して恭敬するが、恐れないと覚悟して、人に対する態度を積極的に変えた。そうしてみると上司にも落ち着いて話をすることができ、意見を積極的に広げることができ、業務能力が向上した。上司と異なる意見を言う時も、自分が尊重していることをその人が知っているので、少しも機嫌が悪くなったりしなかった。
人は誰にでも愛と寛大さがある。誰でも恐れの対象ではなく、尊重しながら関係を結んでこそ発展があり、疎通することができるという事実を悟るには、そんなに長い時間はかからなかった。誰でも尊重するが恐れないと言う徳に、周囲の多くの人が私を相談者、人生の先輩として認めてくれた。皆さんはどうですか。私と似たような環境を経験した人がたくさんいるでしょう。