11月10日分
直しました
上手く休む人は仕事もできる
上手く休む人は仕事もできるものだ。遊ぶときに上手くあそぶ人が成果も出す。与えられた情況で自分を節制することも重要だが、日常の緊張を緩めて解いて旅行を楽しめる術を知らなければならない。仕事にだけ埋もれて生きる人は旅行地に行っても不安になる。体は旅立っても心は会社にいる場合が多い。1日2日過ぎてやっと適応して、むしろ家に帰る時になると緊張が完全に解ける。韓国の職場人の大部分がこんな姿ではなかろうか。休む時間にも組織に従属してかわいそうな姿なのに、だからと旅行と言うチャンネルを完全に閉じてしまうのはいけない。意思的に旅行がだんだん楽になるように練習すればいい。
進学、就職、昇進、結婚問題で大変ならば、今、不安の磁場が届かないところへ旅行に行きなさい。人生の荷物を下ろして、すべての心配事を片付けてさっと行ってみよう。旅行がくれる有益が、停止された日常よりずっと大きい。
目的地がどこであれ、費用がどれぐらいかかろうと、旅行はそれ自体が喜びであり楽しみだ。大人も楽しく子供たちも楽しい。しかし、現実はどうだろうか。もう少しお金が貯まったら行こう、引退したら行こうと言って優先順位が後ろになることが多い。本当にお金と時間がある時は健康を失って行けなくなる場合が多い。旅行にしょっちゅう行きなさいという話は、早く行けば行く程いいと言う意味だ。他の人種、文化、社会に関心を持って考えの幅を広げることに遅れる理由が何かあるのか。旅行は固有の想像力と人生の観照を形成する。
いくらか前に旅行専門家に「よい旅行をしようとしたら守らなければならない原則」について講義を聞いた。旅行は自由な選択だと思っていたのに原則があるという話が興味深かった。
一つ目、一人で行きなさい。
私は職場生活をした時から一人で行く旅行が好きだった。その通りだ。一人で行ってこそ会った人の多様な話を聞くことができる。幅広い人と交流して、自分を再発見する機会を得る。
2つ目、ゆっくりとした旅行、主題がある旅行をしなさい。
この題目に全的に共感する。主題がある旅行は本当にすばらしい。登山をするにしても自然の変化と季節のすばらしさなどを主題に決めて、ゆっくりと吟味することがいい。「知るほどに見える」と言う言葉は旅行を置いて言う言葉のようだ。絵の好きな人は美術館を重点的に見て、美食家はおいしい店紀行を目標にして、など焦点を合わせて旅行をすれば帰ってきて記憶に長く残る。知識と趣味が同時に得られるからどんなに大きい資産であるか。
私達は育ってきた文化と環境によって認識を形成し、学習によって固着した認識は歪曲のよしあしを問わず治す事が難しい。人の体は何を食べたかによって決まり、人の行動と思考は何を学んだかによって形成される。このように一度枠ができた認識を変えようとするならば、新しい学習が必要だ。
職場生活にも同一な原理が適用される。私が知っていること、私が経験したことが全部だと思って、広い世の中との交流を断絶する瞬間、すぐに淘汰されてしまう。世の中は広く文化は多様だ。今日の情報通信の発達で全世界がインターネットで繋がっているけれども、浅い間接経験だけでは足りない。旅行の本であらゆる美辞麗句を動員して食べ物の味を描写しても、スタイリストができる限りのすばらしさを出した食卓の写真を見ても、直接レストランに行って食べてみた人が持っている感覚を超えることはできない。旅行は短い時間で楽しい直接体験できるという絶好の機会だ。旅行の機会を活用して、広げたならば競争力が高い人になる。
自分を知って相手を知るという知彼知己は戦いの基本だという。だから、私達は相手を知るところに焦点を合わせ、相手を探求するために多くの時間を投資する。しかし、それよりももっと重要なことは正に自分自身をちゃんと知るということだ。相手を手の平にのせる様に知っていたとしても、自分の能力をちゃんと知ってこそ相手に合わせた対応策を準備することができるからだ。自分自身をちゃんと知ろうとしたらどうしなければならないか。新しい経験に接しながら自分の現位置をちゃんと把握しなければならない。だから海外の文明体験を通した診断が絶対に必要だ。グローバル経済時代に海外の文化体験と経験を蓄積することは、職場人が持たなければならない徳目だ。
私が大企業に在籍した頃「先進研修」と言うプログラムを進行したことがあった。優秀社員を対象にして2週間、海外の先進企業を見学して、他の国の文化を自由に学ぶ現場教育の一環だった。各国の優秀企業のいくつかを単純に訪問して回る既存の研修方式とは違って、対象の企業を世界各国に拡大して、代わりに本人の選択に基づき一カ国を選んでその国とその企業に対して集中的な研修体験をするようにした。
「私達の製品がその国の製品に負ける理由が何なのか。その国の文化は私達の文化とどんな差があって、私達は何を学ばなければならないか。」などの主題でセミナーを持ったりもした。
研修に参席した人は最先端の海外製品が韓国に上陸したならば、自社製品は後ろに追いやられてしまうという危機意識を感じた。自ら井の中の蛙だったということを悟り、自社の現在地を再把握させられた。国内で1位だという自慢心を捨てて研究開発とマーケティング力向上に集中しなければならないと言う問題意識を共有した。もし、海外研修や文化体験がなかったならば、職員の意識改革は成すことはできなかっただろう。いくら上司が上から危機意識を叫んでも、実際に経験しなかったならば、構成員の意識変化は起こらない。職場人の海外文化体験と研修は職場人の意識を目覚めさせてやり、特に具体的である眼目を持たせるという点から必要であり有益だ。
私が当然だと考えていた点が他の国では当然ではないこともある。このように海外経験を通して、その間、当然だと思っていた慣行を捨てることになる。そうしてこそ新しいアイデアを創出することができる。このように直接経験をして積んだ知識と体験は、個人にも会社にも価値のある教訓になる。
ある企業は地域専門家制度を通して2年の間文化を体験して生活しながら、その国の国民性までも把握させるという人々のニースに合わせる人材研修プログラムを運用している。あらかじめその国の言葉を理解している職員を選抜して、2年の間文化体験と消費トレンドを学び、体験するようにすることで、言葉だけは理解することができない領域を補完して、長期的に特定の国の市場攻略責任者として仕事をさせる。これは外国のバイヤーに会って営業をする時すごい強みとなって作用する。外国の企業体と契約を結ぶ時、韓国語で挨拶しながら箸で食事をする外国人がいたら、なぜか情が移り契約を締結したくならないか。同じ原理だ。その国の文化を理解して共に楽しむことを知っている人に市場攻略の機会は開かれている。
いくらか前、新聞にイスラム文化を反映するスマートフォンに対する記事を読んだ。1日に4回聖殿に向かって礼拝するムスリムのために、宗教儀式時間と羅針盤の機能を搭載した国内企業のスマートフォンが効果的であるマーケティングの事例としてあげられたと言う内容だ。
個人的に旅立った旅行であれ、会社から行く海外研修であれ共通点がある。日常の場所で見て聞くことができない新しい経験をするという点だ。私の体と考えが新鮮だと感じ反応する初の経験をすることができる。
人生の品位は、自ら作るものとして品位の高尚さを超え利他的である配慮だ。配慮は相手の観点から眺める時に生じる。旅行地の環境と文化を体験し、現地人に会ったなら、自然にその人たちの立場から考えるしかない。こんな経験が積みあがったら家庭と社会で、自分だけの観点に固執する習慣を捨てることができるのではないか。