退屈しないように シニアの暮らし

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さて何をしようか

止まってみて、はじめて見えること

2014-05-30 06:28:21 | 韓で遊ぶ


4章 人生の章

「他人の目を気にしないで、あれこれ、あまり悩まないで!」

人生、
あまり苦しく
生きないで

私は30代にになったある日、
自分の心を眺めていてふと、3つのことを悟りました。
この3つを悟った瞬間、
私は自分がどのように生きてこそ幸福なのか知ることになりました。

一つ目、自分が想像するほど世の中の人々は自分に対して
そんなに関心がないという事実です。
1週間前合った友達が着ていた服、私は思い出すことができません。
化粧やヘアースタイルも同じです。
自分が友達に対して覚えていないのに、
その友達が自分に対して覚えているだろうか。

普通、人はそれぞれ自分の考えだけすることに忙しいものです。
他人の心配や批判も実は、わかってみると、わずかに考えることです。
1日24時間の中でごくわずかに他人の心配や批判して
再び、自分の考えに戻ります。
ならば、自分の人生の多くの時間を
他人の目に映る自分の姿を心配しながら生きる必要があるでしょうか。

二つ目、この世のすべての人が自分を好きになる必要がないという
悟りです。
自分がこのようのすべての人を好きでないのに、
どうしてこの世のすべての人が自分を好きになってくれることができるでしょうか。
しかし、私たちは誰かが自分を嫌いだと言う事実に
どれだけ胸を痛めながら生きているでしょうか。
自分がすべての人を好きでないように、すべての人が自分を好きである必要はないのです。
それは、過ぎた欲望です。誰かが自分を嫌いなら
自然の理知がそうなのだとただ乗り越えていけばいいのです。

三つ目、他人のためだといってするほとんどすべての行為は
実は自分のためにすることだという悟りです。
自分の家族が上手くいくことを望む祈りも、とても正直な心で眺めてみると
家族がいるから暖かい気持ちの自分ためであり、
両親がなくなって泣くことも結局
自分g会いたい時に心のままに会えない
寂しい自分が悲しくて泣くのです。
子供が上手くいくことを願いながら、欲望の限りよくやってあげることも、結局
自分が望んだ方式通りに子供が上手くいくことを望むのです。
お釈迦様ではない以上、自分中心の観点から抜け出すと言うことは簡単ではありません。

しかし、どうか、自分が本当にしたいこと、
他人に大きく被害を与えることでなければ
人の目を気にするのをやめて、自分が本当にしたいことをして生きてください。
考えてばかりいないで、ただやってしまいなさい。
なぜなら、自分がまず幸福でこそ、世の中も幸福なのです。
そうしてこそ、また、自分が世の中を幸福にすることができるからです。

私たち、人生、あまり難しく生きないようにしましょう。
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今がつらいなら、よくやっているということだ

2014-05-30 06:25:40 | 韓で遊ぶ

11月13日分直しました


誠実なこと自体が天の賞金だ
後悔することは始めないだって。事を始める前に後悔することなのかどうか、問うて見て前もって判断するということか。
事をしてみると後悔する時があり、上手くいったと満足する時がある。しかし、後悔することは、初めから開始もしないと心に決めたならば、自然にやり甲斐が生じ、価値のある事に繋がるということだ。もし後悔するような状況になっても、後悔ではなく自信感を回復することができる機会となることができる。
外見にコンプレックスがあるのか。自分の容姿のせいで心がつらいのか。しかし、見た目のいい外見より、いい心がより価値がある。価値のある心があると、他人の視覚から自分の視覚に変わる。
ペナルティに集中すれば劣等感になる。劣等感は霊魂を搾り取る。しかし、自分には他の長点がずっと多いではないか。体操選手ヤンハクソンの背は158cmだ。韓国の男の成人の平均で見ると、コンプレックスを持つ程だ。しかし、彼は多くの競争相手を退け堂々とオリンピックで金メダルをつかんだ。今ヤンハクソンに「背が低い」とからかう人はいない。
ナポレオンの頭の中には、自分の背が小さいという事実が何パーセントか占めていただろうか。背が小さいという外見よりも、世界を制覇するという夢で一杯だったのではないか。
コンプレックスを見つめるな。自分の不足していることよりは、自分の長点に集中しなさい。すべてのことを皆うまくできる人が世の中にどれぐらいいるだろうか。
外見を見つめないならば、よくやっているのだ。初期のキリスト教の伝道に力を注いだ宣教師パウルは、鼻が上を向いて、はげ頭、それに背は低いなど、外見は本当によくなかったという。しかし、彼はパウル書信を書いて偉大な足跡を残した。自分の不足している点を劣等感として感じないならば、不足していることに集中することよりは、長点をより発展させるために努力しているならば今その通り、よくやっているのだ。

どうですか。単純に自信感で充たせということではない。後悔しないことで頭を充たして行動しなさいということだ。後悔は習慣だ。このように言う私をよく理解することができないかも知れないが、後悔は習慣だと言ってやりたい。後悔する人は毎回後悔して、肯定的な人はいつも肯定的だ。
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