作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv72151/
以下、上記リンクよりあらすじのコピペです。
=====ここから。
チベットの草原地帯。タルギェ(ジンバ)とドルカル(ソナム・ワンモ)の若夫婦は、祖父とジャムヤン以下3人の息子を抱える三世代の家族として、牧畜で生計を立てながら暮らしていた。昔から続く、慎ましくも穏やかな日々。しかし、受け継がれてきた伝統や価値観は近代化によって、少しずつ変わり始めていた。
そんなある日、風船にまつわる子どもたちの些細ないたずらが、家族の間にさざ波を巻き起こし始める。
変わりゆく時代の中、ただ願うのは家族の幸せ。
羊を売ってジャムヤンの進学費用に充てようとするタルギェ。ドルカルの妹・シャンチュ(ヤンシクツォ)と元恋人タクブンジャの再会。やがて訪れる祖父の死と新たな生命の誕生。
それぞれの想いは交差し、チベットの風に吹かれ浮遊していく。
=====ここまで。
チベットにもフェミニズムの風が吹く、、、。
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予告編を見て、見たいと思いながらも緊急事態宣言中だし、、、とか何とか、ウダウダしていたんだけれど、先日ようやく平日の昼間に見に行くことが出来ました。相変わらずのガラガラの劇場、、、。経営は大丈夫なんだろうか。
◆困っているのは、ここでもなぜか女性だけ。
本作のポスターになっている、少年たちが膨らませた風船を持って走る図の“風船”は、大人が見ればそれは大体アレだろう、と察しがつくわけだが、見れば実際そのとおりで、親の寝床から見付けてきた子どもたちがそれを膨らませて遊んでいるという光景から、本作は始まる。風船=コンドームは、親たちにとっては必需品だった。
避妊にまつわる男女の認識の違いはいずこも同じで、チベットでも、この夫・タルギェは「避妊<性欲」で、そのツケは漏れなく女が払わされる。避妊を嫌う男は多いらしいが、本作でも、妻・ドルカルは、タルギェの強引さに屈してしまい、案の定妊娠する。
これ以上は産めば罰金が課せられるし、何より、牧羊での生活は楽でなく、子が増えればさらに余裕がなくなるのは火を見るより明らかで、ドルカルは産むことを躊躇する。すると、夫はそんなドルカルを詰り、挙げ句横面を張るという暴力に及ぶ。その後、タルギェはドルカルに謝るものの、「産め」は変わらない。
しかも、厄介なのは、この地域では「転生」が信じられており、ドルカルが妊娠するのと前後して、タルギェの父親が亡くなっていることから、妊娠した子はその父親の生まれ変わりだとか言われて、さらにドルカルは追い詰められる。堕胎手術をしようとしているところへ、タルギェと長男が「じいちゃんの生まれ変わり」を切り札に止めにやって来るんだから、見ていてやり切れない思いになる。
『主婦マリーがしたこと』(1989年)では、イザベル・ユペール演ずる主婦・マリーが、妊娠して困っている女性のために堕胎の手伝いをするのだが、この映画でも、やっぱり妊娠して困っているのは女性だけ。妊娠させた夫たちは脳天気もいいとこ。何なのかねぇ、、、こういう構図。
もう20年近く前の話だが、友人が2人目を妊娠し、どうやら胎児に問題があるらしいと割と早い時期に分かって、友人は夫が基本的に家事・育児に非協力的なことや、漠然とした不安もあって、産むかどうかを躊躇したんだけれども、そのときにその夫はかなり軽い感じで「産めば? 何とかなるんじゃない?」と言ったそうだ。友人は専業主婦だから、夫が家事・育児に非協力的なのはある程度我慢していたが、この言葉は非常に哀しかったと言っていた。結局、その後、友人は流産してしまったのだが、本作を見ながら、私はこの友人のエピソードが頭をよぎっていた。
産んだ後のことを具体的かつ現実的に考えることが、男には出来ないのか?? そんなはずはないだろう、、、と思うのだが。男は“産まない”から分からない、とかTVで言っている人も見たことがあるが、現在自分たちが置かれている状況、経済力、等々を俯瞰して、子が増えるとどうなるか、、、ってのが、何故シミュレーションできないのだ? 謎すぎる。
本作では、最終的に妻がどういう選択をしたのか(堕胎したのか否か)は明示されない。ラストシーンの描写から、恐らく、妻はあの後、やはり堕胎するんだろうと、私は解釈した。
産むか産まないかの決定権は、女性のみにある。残念ながら、男にはその決定に注文をつける権利はないのだ。
◆検閲、赤い風船、羊、、、。
本作は、ペマ・ツェテン監督の手による脚本で、原作小説も、監督自身が書いている。パンフのインタビューによれば、ラストシーンとなった“空に浮かぶ風船”をたまたま目にして、それがインスピレーションとなり脚本を書いたが、内容が本作より直截的だったのか、検閲でボツとなったらしい。で、小説として発表したところ、しばらくして映画化の話が持ち上がり、改めて脚本を書き直して、検閲をパスしたのだそうだ。
検閲、、、ってやっぱり現実にあるのね。本作の内容でも、まあ、これで検閲よく通ったな、、、と思う部分もなくはないが、体制批判には直結していなければ良いのかな。
そして確かに、ラストシーンは印象的だった。コンドームではない本物の風船を欲しがっていた兄弟に、父親が赤い本物の風船を2つ、街で買ってきてプレゼントするが、1つはすぐに割れてしまい、もう1つはその直後に子の手から離れて空に上って行く。青空を上って行く赤い風船を、夫、子どもたち、妻とその妹が、それぞれ別の場所から見上げる、、、というシーンで終わる。2つの本物の赤い風船が、どちらも、すぐに壊れたり飛んでいったりするところが、暗示的。
あと、羊がたくさん出て来て、牧羊のリアルな様子が伝わってきたのも良かった。精力旺盛な雄羊、2年子羊を産まない雌羊がメタファーとして描かれ、羊の消毒作業や、当然解体の描写もある。
パンフには、舞台となったアムド(東北チベット)の民族衣装や住まい、食事などの暮らしの様子が分かりやすく絵解きされていて、こういうパンフは素晴らしい。驚いたのは、灯明が自家製のバターを使った“バターランプ”というもの。バターが燃料になるのか、、、。
この家族のこの後のことを想像すると、しかし、あんまり楽観的な気分にはなれないなぁ。堕胎によって、夫婦には溝が出来るだろうし、そもそも牧羊の生活は厳しそうだし、、、。仲間と助け合って生きていくとはいえ、時代の波には抗えなさそうな気がする。それが、そのまま家族の崩壊にはならないだろうけど、荒波をどう乗り越えるのか、、、想像しにくい。やはり、子どもたちには教育をつけて都会へ、、、というパターンなんだろうか。
チベット、一度は行ってみたい。
この監督は男性ですけれど、女性の気持ちもよく描けていましたよね。
チベット系のお寺に行くと入ったとたんにバターの香りがするんですよ。そしてチベット好きになるとそのにおいを嗅ぐとうっとりするという変態になります。
次は岩波のチベット映画祭!
コロナで、見本を見てパンフを買えなくなったのはイタいですが、これは買って良かったです。
妻を演じた女優さんのチベット語は、舞台となった地域の言葉と違うらしく、直すのに苦労したというエピソードも載ってました。チベット語にもやはり方言はあるらしい…。
バターの香漂うお寺! それは是非体験してみたい!
昨日、渋谷に映画を見に行った帰りに渋谷パルコのファラフェルブラザーズに行って来ました! フムスもトッピングしてもらって、美味しかったです♪ 今度はサラダボウル食べたいです。
銀座にロシア料理の食材店が出来たらしく、興味シンシンです…(^^)
情報ありがとうございます、黒パン買いに行かなきゃ!
それにしても何で今時ロシア食材店なんでしょうね。
ロシア、来てるのかな。
その名も「赤の広場」だそうです!!
早く行かねば。
ホント、なぜ今?
今年はモスクワは大雪だそうで、ペテルブルクのネヴァ川も凍ってるらしいです。
見たかった〜、凍てつくロシア。