映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

否定と肯定(2016年)

2017-12-16 | 【ひ】



以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。

=====ここから。

 1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリー大学で、ユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタット(レイチェル・ワイズ)が講演を行っていた。彼女はイギリスの歴史家デイヴィッド・アーヴィング(ティモシー・スポール)が訴える大量虐殺はなかったとする“ホロコースト否定論”の主張を看過できず、自著『ホロコーストの真実』で真っ向から否定していた。ある日、アーヴィングはリップシュタットの講演に突如乗り込み、名誉毀損で提訴する。

 訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度で戦うことになったリップシュタットは、“ホロコースト否定論”を崩さなければならない。彼女のために英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現地調査など、歴史の真実の追求が始まる。

 2000年1月、多くのマスコミが注目するなか、王立裁判所で始まった歴史的裁判の行方は……。

=====ここまで。

 原題は“DENIAL”=拒否・否認・否定。邦題は「否認」とか「否定」だけの方がよかったんじゃないのかねぇ? 肯定の要素はないもんね。

   
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 法廷モノは結構好きなので、ホロコーストが題材ってのがナンだけど、見に行ってまいりました。


◆リップシュタット女史が、、、

 映画にしろ小説にしろ、作品に感銘を受けるとか感動するとかの場合、主人公の言動を受け容れられるか否か、ってのが非常に大きいわけで、ここで受け容れられないと、作品に対しての感想も良くないものになりがちなわけだが、本作の場合、その定石が私には当てはまらない希有な作品となった。

 つまり、レイチェル・ワイズ演ずるリップシュタットには嫌悪感を抱いたけれど、この作品自体は良くできた映画だな、と思ったということ。

 リップシュタット自身がユダヤ人だから、ということは脇へ置くとして、彼女は、研究者でありながら非常に感情に流されやすく短絡的で攻撃的、しかも、協調性に欠けるという、正直言って度しがたい難物だと感じた。映画では、レイチェル・ワイズという美女が演じていたから幾分かはそのイメージも和らいでいるかも知れないが(逆により誇張されているかも知れないが)、実際のリップシュタット女史は、眉間に皺が寄って口角の下がった、それこそ、相手を拒絶するかのような強面で、外見をとやかく言うのはフェアじゃないという建前論がまさしくタテマエでしかないであろう、彼女がアーヴィングや弁護士たちに攻撃的な言動をしている姿を想像すると、ますます嫌悪感が増すのである。

 彼女は当事者であるから、冷静でいることが難しいのは分かる。しかし、それを差し引いても、弁護団の戦略の意図を理解しようともせずに罵っている姿は、私が弁護団の1人ならば弁護を放棄したくなるような酷さである。

 その弁護団は極めて冷静かつ有能で、リップシュタットをアーヴィングと同じ土俵に立たせないという、実に理性的な選択をするわけだ。

 イギリスの司法では、名誉毀損で訴えられた側に立証責任がある、というわけで、弁護団は、ホロコーストが実際にあったことと、アーヴィングが差別主義者であることを確実な証拠を基に地道に立証していく戦略をとった。決して頭が悪いはずではないリップシュタット女史ならば頭を冷やせば理解できそうなことである。それなのに、彼女は、弁護団に執拗に弁護方針について変更を迫る。

 冒頭で、リップシュタットが講義しているシーンがあり、そこで彼女は、「私はどんな議論も受けて立つが、ホロコースト否定論者と話す気はない」というようなことを言っている。アーヴィングに講義に乱入されたときも「あなたと話す気はない」と言っている。しかし、法廷に持ち込まれた途端、自分が証言台に立ってアーヴィングとやりあう、と言い出すわけだ。彼女自身、自分のポリシーに矛盾していることに気付いていないのだとしか思えない。

 どんなにリップシュタットが喚こうが、アタリマエだが弁護団は冷静だ。アーヴィングは、敢えて感情論に持ち込もうとしているわけだから、その手に乗ったら、それこそ、ホロコースト否定論に、論拠を与える判決を導きかねない、果ては歴史を書き換える事態になりかねない、そのことに、弁護団は気付いているからだ。

 大弁護団という多勢に無勢で、リップシュタットの思いは押さえ込まれるわけだけど、ゼンゼン彼女を可哀想だとか思わなかった。むしろ、「ちょっとアンタ黙ってろ!」と思ってしまった。


◆習ってきた歴史、ホントに本当なのか?

 結果的に、この裁判はリップシュタット側が勝つし、ホロコーストもあったことになった。

 しかし、本作を見て考えさせられたのよねぇ。歴史って、何なのか、、、ということを。私たちが学んできた歴史は、それがかなりの確度で真実だという前提であったわけだけど、それが真実であると、なぜ言えるのか。史料があるからとか、まあ、そんなことだよね、真実の根拠は。

 映像が残る時代なら、ますますその確度も上がる、、、と我々は勝手に思い込むけれども、本当にそうなのか? 時々、歴史的史料が見つかった、とかで歴史が書き換えられることもあるけれども、どうしてその史料が本物で、真実が書かれていると分かるのか。現代人の“専門家”らが判断するわけでしょ? いくら専門家でも、現代に生きる人間が、歴史のその時点を直接見て確かめることなどできないわけで、それを“史実”としてしまって良いのか?

 史実ってのは、現代人には分かりようがないから、扱いが難しいのだと思う。現に、これまでの定説が、後世の作り話だった可能性が高い、なんていう話はゴマンとあるわけで。だからこそ、本作のような、○○否定主義者、ってのが現れ、しかもそれが容易に社会に受け容れられてしまうわけだ。私が史実だとして学んできたことが、「大間違いでした!」なーんてこともあり得るわけで。一体、歴史上の真実って何なのさ、、、、ということを、本作を見ながら頭を駆け巡っていた次第。

 だから、アーヴィングが法廷で、荒唐無稽に思える持論を展開していても、何だか、ただ「頭のおかしい爺さん」と切って捨てる気にもなれなかったんだよね。もちろん、アーヴィングにも嫌悪感を催すけれども、真実に相対しようとするとき、荒唐無稽と思われることにも、一分の理があるのかも、、、と思わなければいけないんじゃないか、とかね。何をもって、「アンタの言っていることは、ただの与太話だ!」と言えるのか。自然科学の分野ならそれはアリだけど、こと、歴史においてはどーなのか、、、、とね。

 自分の信じているモノが揺らぎそうな不安な気持ちにさせられる。 


◆(本題とはズレるけど)イスラエルはどーなの?

 リップシュタット女史は、今の中東情勢をどう見ているのかしらね。イスラエルのやっていることは、彼女の目にはどう映っているのか。

 私は、反ユダヤ主義でもないし(というか、そもそもそういう視点でのポリシーを持っていない)、親イスラムでもないけれども、今のイスラエルはやっぱりいかがなものかと思っている。

 リップシュタット女史を始め、ユダヤ人の歴史研究家たちには、現代のイスラエルについてきちんと見解を述べる義務はあるんじゃないかねぇ。虐げられてきた長い歴史は分かるけれど、だからといって、今イスラエルがパレスチナにしていることを正当化できるのか。双方に言い分があるのであって、そういう意味では、リップシュタット女史が現代のイスラエルについて、何か見解を述べているのだとしたら、是非拝聴(拝読)してみたいものである。少なくとも、本作のパンフレットを見る限り、そういう部分への言及は皆無である。そもそも、彼女がホロコースト研究者になったきっかけも、ホロコースト生存者の体験談を様々聞いたことから発した“怒り”なのだそうだ。かなり、エモーショナルな動機ではないか。

 彼女自身がユダヤ人とはいえ、歴史研究家である以上、先の大戦のホロコースト研究者の立場にありながら被害者目線で歴史を語るのは、ミスリードを産みかねないという自覚は持っていただきたいものである。人間である以上、誰しもモノの見方にはバイアスが掛かっているものだが、その自覚の有無は重大である。

 
◆その他もろもろ

 レイチェル・ワイズの出演作はゼンゼン見たことがないので、彼女をまともに見るのは本作が初めて。なかなか頑張っていたけれど、あんましインパクトはなかったなぁ、正直言って。

 弁護方針を決める事務弁護士・アンソニー役のアンドリュー・スコットが良かった。冷静なキレ者って感じが良く出ていて、ユーモアもあり、キャラとしてもgoo。なんか、時々、若い頃の国広富之に見えたんだけど、、、。似てないか。法廷弁護士で、アーヴィングを黙らせたランプトンを演じたトム・ウィルキンソンもイイ味出していた。

 しかし、何より良かったのは、憎ったらしいアーヴィングを飄々と演じたティモシー・スポール。一見、紳士風だけど、取材している女性記者に平気でセクハラ発言をしたり、どう聞いてもおバカにしか聞こえない持論を自信たっぷりに演説したりしている演技は見物。『英国王のスピーチ』にも出ていたとは。知らんかった! 悪役も善人役も上手くこなせそうなお方だ。
 








アンドリュー・スコット、いいなぁ。




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