作品情報⇒https://moviewalker.jp/mv80342/
以下、イメージフォーラムHPより本作紹介のコピペです。
=====ここから。
1973年、22歳のオルガはチェコの首都であるプラハの中心地で、路面電車を待つ群衆の間へトラックで突っ込む。この事故で8人が死亡、12人が負傷する。オルガは逮捕後も全く反省の色も見せず、チェコスロバキア最後の女性死刑囚として絞首刑に処された。
犯行前、オルガは新聞社に犯行声明文を送った。自分の行為は、多くの人々から受けた虐待に対する復讐であり、社会に罰を与えたと示す。
自らを「性的障害者」と呼ぶオルガは、酒とタバコに溺れ、女たちと次々、肌を重ねる。しかし、苦悩と疎外感を抱えたままの精神状態は、ヤスリで削られていくかのように悪化の一途をたどる・・・。
=====ここまで。
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2016年制作の映画が、2023年になってようやく日本で公開されました。……ということは、私が再見を願ってやまない『執事の人生』(2018)もまだ日本での公開を期待して良いのでしょうか、、、。
それはともかく、上記の文を読めば、日本人なら誰もがあの秋葉原事件を思い出すと思うのですが。連休合間の平日サービスデーに見に行ってまいりました。満席でした、、、ひょ~。
◆他人を意図せず不快にさせてしまう人。
セリフ極端に少ない、音楽なし、モノクロ、、、という、ドキュメンタリーっぽいテイストで、淡々とオルガが犯行に至るまでが描かれる。モノクロがいかにも当時のチェコの世相を表しているみたいに思える。
冒頭の母親とのシーンがいきなりのハイブロー。オルガが薬物過剰摂取による自殺未遂を起こすのだが、病院から帰るなり母親は彼女に言う。
「自殺するには強い意志がいる。お前には無理、諦めなさい」
なんかもう、これだけでどよよ~~~~んとなって、最後まで(予想どおりではあるが)復活することなく、鑑賞後はめっちゃ重い足取りで帰路についたのだった、、、ごーん。
我が子が自殺するほど生きることに絶望している状況で、その本人に向かってこのセリフが言える母親って、怖い。まあ、私の母親も似たような感じなので、驚きはしなかったけど、やっぱし言われた方の気持ちになってかなり落ち込だ。オルガがこれを言われてどう感じたのかは、正直、スクリーンからは分からない。もしかすると、私と同じで「あー、やっぱね」くらいに受けとめたかもしれない。それくらい、オルガは無表情なので感情が読み取れないのである。
しかしながら、オルガという女性、気の毒なんだけど、本人にはほぼ罪はないのだが、ただ本人が普通に行動しているだけで周囲に敵意を抱かせる人って、、、、実はいるんだよね。オルガはまさにそれだと思う。
私はイイ歳になって、初めてそういう人に職場で遭遇した。私自身も彼女・N子(当時30歳くらい)のことは好きではなかったものの、関わらなければ別に何も感じなかった。が、N子が言うには、満員の通勤電車に“ただ乗っているだけ”で、隣に立っていた若い男性にいきなり傘の持ち方が悪いと怒鳴られたり、駅のホームを“ただ歩いているだけ”で見ず知らずのオジサンに因縁を付けられたり、、、ということが割とよくあると。通勤途上で起きることが多く、相手は100%男。出社してグチを聞かされることが何度かあった。「私は何もしていないのに、、、」が口癖で、確かにそうなんだろうなと思った。
けれども、私はN子がそういう目に遭う理由が、何となく分かっていた。オルガの独特の直線的な歩き方を見ていてN子を思い出したくらいなんだが、N子も脇目も振らずにズンズン歩いて、途中で見かけて「おはよう」とか声を掛けても聞こえないのか返事がない。かと思うと、これもオルガと同じで、ちょっと話を聞いてくれたり優しくしてくれたりする人には距離感がおかしくなる一方で、その人に少しでも拒絶的な言動をされると、その人とはもう一切関わろうとしなくなるのである。
……まあ、ぶっちゃけて言うと、失礼なヤツと誤解されやすい、クセが強くて可愛げがない、、、って感じですかね。こういうのは、人に指摘されて直せるものじゃない。
だから、私はオルガに「ほぼ」罪はない、と書いた。罪はないが、周囲はオルガの意志に関係なく不快感を覚えさせられるという意味。
オルガには、友人もできる。けど、長続きしない。相手に嫌われて終わる。これは、本人にしてみればキツいだろう。傍目にはその理由が何となく分かるのだが、肝心の本人がまったく理解できないのは、悲劇としか言いようがない。
オルガの母親は娘を嫌ってこそいないものの、多分、、、やっぱりどうしようもなくイラっとする存在だったのだと思う。で、オルガは家を出て、掘立て小屋のようなところで独り暮らしを始める。冬は寒いだろうと、母親はストーブを運び入れ「これでも寒いだろうから、冬の間だけでも帰って来たら」と言うが、オルガは頑として独り暮らしを貫く。
ちなみに、N子は父親とは険悪だったみたいだが、母親とは仲良しで、祖母のことも慕っていた。まあ、だからオルガみたいに世間を恨むことにまではならずに済んでいたのかも、、、知らんけど。
◆オルガのマニフェスト
オルガは自殺未遂をするものの、その後は、思考を拗らせて、最終的に事件を起こす前に、“マニフェスト”を書いて新聞社に送る。そこには、こう書かれていた。
「私は破壊された女だ。人によって破壊された女……私には選択肢がある……自分を殺すか、他人を殺すか。私は自分の憎しみに報いることを選択する。無名の自殺者としてこの世を去るのは、あまりにも簡単なことだ。社会はあまりにも無関心だ。当然だろう。私の評決はこうだ。私、オルガ・ヘプナロヴァーは、あなたの残虐性の被害者として、お前たちに、そして自分自身へ死刑を宣告する」
人知れず死んで行ってなるものか、、、というところか。確かに、事件を起こしたことで彼女は映画として描かれ、歴史に名を刻んだとも言える。ひっそり自殺していたら、そうはならなかった。
で、思い出すのが秋葉原事件なのだが、大分前に中島岳志著『秋葉原事件―加藤智大の軌跡』(朝日新聞出版)を読んだのだが、詳細は忘れてしまったけど、やはり母親が強烈な人だったと記憶している。オルガの母親とはちょっとベクトルの向きが違うが、大きさで言えば負けず劣らずと言ったところではないか。加藤も、事件を起こすまでのことをネット上で言葉に残しており、オルガとはレベチではあるものの、彼なりに思考を拗らせて行った様が伝わって来たのは覚えている。行き着くのは、世間への憎しみで、オルガと同じだ。
オルガにしろ、加藤にしろ、彼らの承認欲求がもうほんの少しでも満たされていたら、、、。ただ、オルガの場合は、70年代でなく、現代に生まれていれば、もう少し生き易かったのではないか。ロシアに蹂躙されたチェコで“あるべき姿”という鋳型に嵌められることがなければ、ここまで彼女は自身を拗らせる必要もなかったし、今のヨーロッパならば彼女を受け入れる場所はあったはず。時代のせいにしてしまえばそこで話は終わってしまうが、オルガの場合は、70年代の独裁政権下だったというのは二重の不運であったことは確かだと思う。
オルガを演じていたのは、『ゆれる人魚』(2015)、『マチルダ 禁断の恋』(2017)のポーランド出身、ミハリナ・オルシャンニスカ。チェコ語をマスターしたのかと思いきや、彼女のセリフは吹き替えとのこと。全然分からなかった、、、。
ミハリナの眼の演技が素晴らしい。
いつの時代、どこでも一定数こういう人がいるんでしょうね。
オルガは、事件後の裁判で弁護人に「統合失調症」とされていました(本人は否定)。
パンフによると、アスペルガーだったのではないか、と言われているようです。
でも、今なら、ADHDや同性愛への理解は、いまだ途上とは言え、当時より格段に進んでいるし、ヨーロッパであれば、彼女もあそこまで疎外感を覚えずにいられたのではないかなぁ、と思うと、オルガが気の毒になりました。
確かに、生きづらさは、それでも変わらないかもですが、、、。
「胡蝶の夢」未読なので、読んでみたいです。
え!何この激鬱系映画!怖い、けどすごく観たいです。でも観たら身につまされそう!私も被害妄想が強くて、自分の足が短いのも他人のせいにする(笑)性格ゆえに友だちがいない(涙)哀れでイタい人間なんです💦この映画のヒロインと違って、社会に迷惑をかけるような大それたことはできない小心者なのが、まだ救いでしょうか(笑)。
どんな辛いことがあったにせよ、何の関係もない人たちを道ずれにするとか、絶対に許せません。独りで死んでください!
チェコの人たち、私には異常に冷たかったです。これも被害妄想?
確かに鬱映画かもですが、是非、ご覧ください!
オルガはイタい人というより、ヤバい人でしたね。
だいたい、本当にイタい人は、自覚がないから、周囲に「イタい」と思われるわけで、、、。
チェコの人、冷たかったですか。そっかー。
ロシアの人は愛想はあんましないけど、親切だな、って印象でしたヨ。
ポーランドは、まあ普通かなぁ。あ、でも、道聞いたら、みんな熱心に教えてくれたっけ、、、。
広島は、サミット前でイロイロ大変そうですね。
日本てまだ先進国なんだ、、、って感じですけどね(^^;