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ホドロフスキーの自伝的映画。幼いアレハンドロ・ホドロフスキーの身の回りに巻き起こる様々な出来事を父親ハイメの人間的成長を軸に描かれるが、、、。
やっぱし、この人はトンデモ爺さんだ。
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「リアリティ」の「ダンス」って、ヘンなタイトルだなぁ、と思ってはいたけれども、見終わって、なんとなく腑に落ちるタイトルでございました。
見たいと思いつつ、数々の劇場鑑賞機会を逃してきた本作ですが、どうにか、今回、短い上映期間中に足を運ぶことが出来ました。・・・いやぁ、見て良かったです。ますます好きになったかも、ホドロフスキー爺さん。
『エル・トポ』からも容易に察しがつくように、彼の父親は相当強権的・抑圧的な父親だったらしく、本作でも、少年アレハンドロに対し、父親ハイメは、とんでもない親父ぶりを発揮しています。とにかく、このハイメは、一言で言えばマッチョな馬鹿男なわけです。しかし、まあ、一応、家族愛もある。
この親父、ある日、旅に出ます。体制転覆を狙って、指導者暗殺の旅に。これがねぇ、凄いんですよ。もう、『エル・トポ』のまんまなんだけど、決定的に違うのは親父のマッチョぶりがどんどん削がれていく様が、これでもかとしつこく描かれるとこ。救いようのない馬鹿男が、多少なりともマシになるんですな、これが。
パンフのホドロフスキーのインタビューを読んで、納得しました。彼はこう言っています。「私にとって過去は変えられると思っています。過去というのは主観的な見方だからです。この映画では主観的過去がどういうものか掘り出して、それを変えようと思ったのです」と。
恐らく、本当の彼の父親は、死ぬまでマッチョな馬鹿男だったのだろうけれど、彼は本作を撮ることで、自分の理想の父親がいたのだ、と、自らの記憶を上書きしたのだと思います。
これは、母親サラの描写にも表れていて、例えば、彼女のセリフは全部オペラ調なのですが、実際の母上がオペラ歌手になりたかったがなれなかったということを踏まえて、本作の中では彼の母親はオペラ歌手になっているのです。過去を変えたのですね。
ホドロフスキーにとっての「リアリティ」って、そういうことなのですね。自分の理想という脳内変換機を通して、実際に起きたことを「リアリティ」にする。
でもこれって、人間誰でも、大なり小なりあることですよね。記憶の曖昧さなんて、今さらわざわざ書くまでもないけれども、自分の都合の良いように(あるいは悪いように)書き換えられていることなんてフツーにあります。特に、幼少時の記憶なんて、ホントに驚くほど現実とかけ離れていたりして、唖然とした経験は誰にでもあるはずです。
これを、ホドロフスキーは、今回、映画にした訳です。自分の息子3人を出演させ、極めて私的な自伝映画。彼自身言っています。「これは、心の治療のようなものなのです」、、、う~、分かるなぁ。
昨年、『ヴィオレッタ』を見た際にも書いたけれど、やはり、自分の過去(恐らくは抑圧された経験のもの)を乗り越えるには、それを、全部吐き出す=解毒する、という作業をしないとダメなのでしょう。ホドロフスキーほどの偉才に恵まれた人でもそうなのか、と思い知らされた気分です。親との軋轢って、こんなにも人生に影を落とすものなんだ、、、がーん。
彼らの住むチリのトコビージャという町。・・・まあ、これは、見ていただくしかありませんが、こんな町で育てば、そら尖った個性が育つのも分かります。序盤の岸に打ち上げられる大量のアジのシーンは、、、正直、ドキッとさせられました。あれが、アレハンドロの記憶にあるリアルなトコビージャの象徴的な風景なんだろうな。
手足を失った者たち、行者、アナーキスト、神父、、、と実に様々な人々が出てきますが、本当に、少年アレハンドロにとって、リアルに関わって記憶に留められているのは、父親と母親なのだということが、ラストシーンで描かれていたのだ、と思いました。ただし、ちゃんと、リアリティがダンスしている父親と母親ね。
うーん、ホドロフスキー、いいなぁ。ホレてしまったよ。
ホドロフスキーが、自身を治療するために作った映画。
見た者は治療どころか知恵熱出そう、、、
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