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以下、公式HPよりストーリーのコピペです。
=====ここから。
19世紀半ばのマサチューセッツ州。家族と離れ、マウント・ホリヨーク女子専門学校に通っていたエミリ・ディキンスンは、学校での福音主義的な教え方に神経質になっていた。そんなエミリを家族が迎えにやってくる。弁護士の父親エドワードは彼女をアマストの家に連れ帰り、エミリは両親、兄オースティン、妹ラヴィニア(ヴィニー)らと過ごすこととなった。夜の静寂の中で詩を綴っていたエミリは、父親の口添えもあり、地元の新聞に初めて自身の詩を掲載されるも、当時の編集長からは「女には不朽の名作は書けない」と皮肉な意見を返される。
やがて、彼女は資産家の娘、ヴライリング・バッファムと友人となる。ユーモアにあふれ、進歩的なバッファム嬢にエミリは影響されていく。牧師との祈りの時、跪かなかったことを父親から注意されるもエミリは言い放つ。「私の魂は私のものよ」
ハーバード大学に通っていた兄オースティンが父と一緒に弁護士の仕事をすることになり、美しい花嫁スーザンと隣の家に住むことになる。義姉であるスーザンとの友情、甥の誕生はエミリを喜ばせ、彼女にとって生家より素晴らしい場所は考えられなかった。しかし、外の世界は大きく変わりつつあり、南北戦争は60万人以上の戦死者を生み、奴隷制度は廃止されることになった。
「結婚して家族と離れることは考えられない」と言うエミリだが、心を揺り動かす男性も出現する。ワズワース牧師だ。説教に感動した彼女は彼を自宅に招待するが、彼には妻もいた。ワズワース牧師と自宅の庭を散歩しながら自作の詩を渡す。称賛の言葉を送る牧師に対してエミリは語る。「自分の作品が後世に残ってほしい」と。
一方、親友バッファムの結婚にエミリは大きな喪失感を感じる。ワズワース牧師も別の土地に旅立つことが判明しエミリは衝撃を受ける。そして父親の死。3日間部屋にこもったエミリを心配しヴィニーがドアを開けると、喪中であるにもかかわらず白いドレスを着たエミリがいた。
以降なかなか自分の部屋を出ようとしないエミリはやがてブライト病という不治の病をわずらう。病気がちだった穏やかな性格の母親の死も他界。深い喪失を抱え屋敷に引きこもる生活をつづけながらもエミリは詩作を心のよりどころとしていた—。
=====ここまで。
生前発表した詩の作品は10篇、死後発表されたのは1,800篇、、、だそーです。
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岩波ホールで鑑賞。珍しく、かなりの人混み。相変わらず年齢層は高い。開場までロビーの椅子に座って待っていたときの、隣のマダム2人の会話。ちょっとウケちゃいました。
マダムA「結構混んでるわね」、マダムB「ホント、珍しい。いっつもここ、ガラッガラなのよ」、マダムA「え?(耳が遠いご様子)」、マダムB「いっつも人いないの、ここ!」
◆愛されない私、、、
、、、んまぁ、こんなことを書くとヒンシュクだとは思うんですが、本作を見ていてず~っと感じていたこと。それはつまり、本作は 「モテない女ゆえの捻くれ人生譚」じゃない?
本作でもしつこく描かれているけど、エミリは、もの凄い強烈な容姿コンプレックスを持っていたのね。たった1枚残されている彼女の若い頃の写真を見ると、決してそんなにブスじゃないと思うけれども、とにかく、本人は激しく“私はブスなんだ!”と思い込んでいる。
これって、ある意味、もうどーしよーもないんだよなぁ。家族であれ、友人であれ、とにかく身近な誰かに「そんなことない、あなたは美しい」とか言われたって、そんなのは気安めにもならない。かえって腹立たしくさえなる。「テキトーなことばっか言いやがって!!」みたいな。もちろん、こんなお下品な言葉はエミリの脳裏に浮かばなかったでしょうが。
唯一、彼女が過剰なコンプレックスから救われるとすれば、それは、エミリが尊敬し好意を抱く相手から愛されること。全人格的に受け容れてくれる(親きょうだい以外の)人と出会い交わること。
エミリは、結局、誰からも(恋愛という意味において)愛されなかったのよねぇ、、、。これはツライよなぁ、と思う。結婚しない理由を、「家族と離れることなど考えられない」などと言っているけど、それは恐らく半分本音で、半分は強がりと思われる。あの時代、女性が肉食獣的生き方を実践するのは難しかったろうから、やっぱし、強引に彼女を家から引っ張り出してくれる男がいれば、彼女は結婚していたはず。
少なくとも、本作を見ていて、彼女は恋愛に関心がないわけじゃないことは間違いない。憧れ、願望は大いにあったのは明らか。けれども、自分にはチャンスが巡ってこない。
それが、結婚しない理由の“強がり”であり、詩作へと向かわせる原動力になったのだと思う。実際、彼女の書いた詩(劇場で、岩波文庫の詩集を買ってしまった)を拾い読みしたけど、まあ、世間への恨み辛み、ってのが第一印象だったし、、、。他の詩もじっくり読めば違う印象になるのかも知れないけど。
◆過剰な自虐は鬱陶しい
正直なところ、本作に描かれるエミリは、まるで魅力がない。自己主張するのも良いし、知識先行の頭でっかちなのも良いけど、とにかく笑顔がないし、話し下手だし、プライドの高さが邪魔をするのか素直じゃないし、、、これじゃあ、人は寄ってこないわね、特に男は。
いくら才能があっても、自分を過剰に卑下している人って、あんまり関わりたくないのが凡人の情じゃないかしらね。自虐ネタをしょっちゅう言う人のフォロー、面倒くさいでしょ。「そんなことないよ~」と言って欲しいのだろうけど、そう言ったって素直に受け容れないのはみんな分かっているし。実際、「そんなことある」し。自らの魅力を、自ら減殺する、もう致命的な性格・思考回路です。
こういう人は、私は嫌いなので、全然エミリに同情も共感も、何も抱けなかった。詩人としてどれほどスゴイ人であろうが、映画のヒロインとして見たとき、“鬱陶しいオンナ”でしかないのよ。エミリを敬愛している方々には申し訳ないけれど、それが本音。
◆その他もろもろ
そんな、容姿コンプレックスのエミリだけど、若い頃のエミリを演じたエマ・ベルは、実にチャーミングです。役柄、あまり笑わないけど、でも若い頃はまだしも笑顔の場面がそれなりにあったのよね。あんなにチャーミングで、教養もあって、家柄も良くて、、、だったら、普通は結婚相手に困らないと思うけど。まあ、現実にエミリは結婚しなかったし、求婚者もいなかったところを見ると、やはりあの残された写真は、実物よりかなり良く撮れたものだったのかも知れない。
いくら容姿より中身、とか言ったところで、結局、第一情報は視覚から入る場合が多いので、そうすると容姿の要素は大きいことは真理であって、、、。エミリは、やっぱりそこに考えが行き着いちゃって、綺麗事などとても言えない気分だったのだろうな、とも思う。
妹のラヴィニア(ヴィニー)を演じたジェニファー・イーリー、どこかで見たなぁ、と思ったら、ドラマ版の「高慢と偏見」に出演されていたのね。実際のヴィニーも美人だったようです。ヴィニーは、控えめに描かれているけど、結構、言うことはキツい。エミリにとっては耳の痛いことを言う。でも、ヴィニーも結婚せず、エミリの死後にエミリの詩を世に送り出したのは彼女なのだとか。家族の繋がりがひときわ強いディキンスン家だったのかも。
兄のオースティンは美青年という設定なんだが、演じたダンカン・ダフは、???な感じ。このオースティンが、結婚後、人妻とダブル不倫するんだけど、その不倫現場をエミリが目撃しちゃうシーンがあって、そのときのエミリの激昂の仕方がスゴイ。確かに、オースティンのその後の言動はサイテーだけども、不倫を、あそこまで激しく責め立てるのは、やっぱりエミリにあまりにも免疫がないからじゃないか、と思ってしまう。
中年以降のエミリを演じたのは、シンシア・ニクソン。あの「セックス・アンド・ザ・シティ(SATC)」の4人の1人らしい。私は、SATCはシーズン1の1話目で挫折したので見ていないから知らないが、容姿コンプレックスを持ち、どんどん偏屈になって引き籠もるエミリを熱演。屈折した役を演じるのって、面白いだろうなぁ、と思う。
2時間ちょっとある作品で、あまり長さは感じなかったけれど、肝心のヒロインが、同じ女性として決して素敵だと思える人ではなかったのが残念。
これは世の中に宛てた私の手紙です/世間から私に便りはなかったけれど――(エミリの詩から)
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