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以下、WOWOWのサイトよりストーリーのコピペです。
=====ここから。
スウェーデンのヨーテボリ。20歳のカタリナは母親ブリジッタが飲んだくれであるなど家庭環境に問題が多く、けんかっ早かったり売春をしたりと、恵まれない少女時代を過ごした。
現在はマチアスという恋人がいてやや落ち着いたが、モーツァルトの音楽を好きになったカタリナはコンサートホールで受付係として働きだし、人生を再出発させようと目指す。そこで出会った知的な指揮者アダムに魅了されたカタリナは、彼と肉体関係を結ぶ。
=====ここまで。
アリシア・ビキャンデルの長編デビュー作とのこと。根性あるわ~、アリシア。
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『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』で、カロリーヌ・マチルデを演じていたアリシア・ビキャンデルの作品を見てみたくなり、日本では劇場公開されなかった本作を見てみました。
◆ヤサグレのカタリナ・キラキラのカタリナ
カタリナは作中20歳ということなんだけど、20歳にして、“ヨーテボリの半数の男と寝た”とかいう設定の少女です。その理由は、機能不全家族により、経済的な事情から売春に手を染めた、ってことになっています。
オープニング、カタリナを演じるアリシアのアップに、カタリナのモノローグ。正確にはモノローグを再現できないけど、要は、「モーツァルトに出会って私は変わった。もうこんな生き方やめてやる!」みたいな感じ。その時のカタリナの顔は暗いけれど、どこかこう、、、モノローグの内容通り、決然とした感じを受けます。
……とはいえ、決意したからって現実はそんなに簡単に変わらない。周囲を見回しても、360度、うんざりするような現実に覆い尽くされており、カタリナはイライラしてヤサグレている。まあ、とにかくこのカタリナちゃん、もの凄い喧嘩っ早い。すぐ手じゃなくて、足が出る。蹴り入れちゃうのね。……気持ちは分かる。私も、1日1度は心の中で誰かに蹴りを入れている。しかし、現実には、生まれてこの方ウン十年、誰かに蹴りを入れたことは、当然ナイ。カタリナちゃん、この辺りの精神的訓練は大変そうだ、、、。
と思って見ていたら、案外そうでもなかった。指揮者のアダムと恋に落ちたら、あっさり喧嘩っ早い性分は鳴りを潜めてしまった。
なんでそんな彼女が、ハイソなアダムと恋仲になったのか。
彼女は、たまたま戸口が開いていたコンサートホールに入り込み、リハーサル中のオケと指揮者のアダムを客席から覗いてしまう。そんなカタリナを、ホールの職員の女性は、面接に来た少女だと思い込み、カタリナは面接を受けることに。ここで彼女は、瞬時に決断するのだ。
「母親はピアニストでした。でも、若い頃に病気で亡くなったんです」
この真っ赤な嘘が職員女性の目には真実に写ったのか、カタリナは仮採用される。ここから、カタリナは、ヤサグレから一変、キラキラし始める。この変わり様、、、。希望って、人をこんなにも変えるものなのか、、、と、見ている者は驚かされる。
キラキラな若い女性が受付に座っていたら、目に留める男がいないわけがない。……というわけで、目に留めたのは指揮者のアダムだった、、、。
が、このアダム、私の大嫌いな、頭の良いコズルイ男だったのだ。まあ、簡単に若い娘に手を出す様な男にロクなのはいないのはお約束ですが、、、。それにしても、って感じな典型的、今で言うところの“ゲス”野郎だったのよ。
◆ヤな男、、、その名はアダム。
頭の良いコズルイ男、ってのは、自分が意のままに組み伏せそうなオンナを一瞬で見抜くのよね。アダムの様に、不倫したいだけの男の場合、不倫だけできるオンナを。お飾りなオンナを妻にしたいだけの男の場合、お飾りにされることをトロフィーワイフとかって喜べるオンナを。、、、という具合に、目的別にきちんと見分ける。
で、アダムはカタリナを誘惑し、あっという間に男女の関係になるんだけど、最初に結ばれるときのカタリナちゃん、まさしく獰猛な肉食獣、って感じで圧倒される。すげぇ、、、。
まあ、カタリナにとってみれば、アダムは、何というか、自分の世界を激変させてくれる人であり、自分の知らないことを何でも知っている師であり、オーケストラを華麗に統率する神なわけよ。こういうところが、やっぱし20歳の小娘だよなぁ、、、。
アダムのやり口が極めてイヤらしい。アダムは、カタリナの身の上話をウソと見抜いているのよ、最初から。その上で、カタリナが絶対に読んだことのないはずのキルケゴールの詩集をこれ見よがしに貸したり、カラヤンの音楽を彼女の感性を試す様に聴かせたり。いちいち感動するカタリナに、「だろ? いいだろ? 知らなかっただろ? こういうのくらいちゃんと身につけろや」なアダムの調教師的な眼差しと態度が、まぁ、オバハンの私から見ると、ムカツクことこの上ない。張り倒してやりたくなるわぁ。20歳の小娘に何をぶってるんだよ、オッサン。
だいたい、カラヤン崇拝しているなんてアタリマエすぎるし、そんなの聴かせるなんてセンス悪すぎ。……ま、これは私の好みの問題なんだけど。
妻が長期留守中に、カタリナを自宅に引っ張り込んで、やりたい放題のアダム。若いカタリナが本気になるのもムリはない。でも、頭の良いコズルイ男は、当初の目的通り、きっちりカタリナをぶった切る。あらゆる手を尽くして、自分に火の粉が掛からない様にする。
結果、カタリナは、本採用される予定だった仕事を失う。同棲中のマティアスにも家から追い出され、彼女はホームレスに、、、。嗚呼、カタリナ!!
……と思って心配していたら、カタリナ、タダ者じゃなかった!!
◆泣き寝入りなんかしてられっか!!
カタリナは、もう一度、面接してくれた女性職員に会いに行き「もう一度雇ってください」と懇願するんだけど、女性は「私は戻ってきてもらいたいのよ。でもアダムがダメって言うから、それには逆らえない」と答える。
で、カタリナは、意を決して、アダムに直談判に。コンサート本番中に、アダムの控え室に入り込み、アダムが戻ってくるのを待っている。果たして、満足のいく演奏を終えたアダムは戻ってくる。カタリナを見るなり不快感全開にするが、カタリナに「私をもう一度雇う様に言って」と懇願され、意地悪な笑みを浮かべる。「踊ったら、下品な踊りを踊ったら雇ってやる」と言って。
カタリナは、踊るんだな、これが。哀しそうに。私は、彼女の喧嘩っ早さが再び出現して、アダムを蹴り倒すんじゃないかと思って見ていたんだけど、素直に踊るのよね、、、。もう、見てられない、痛々しいシーン。
もちろん、踊り終えたカタリナにアダムは「雇うわけねーだろ」と罵声を浴びせ、窓枠に腰掛けてたばこを吸い始める。ここで、もしや、、、と思ったら、案の定。
カタリナは、窓からアダムを突き落とす、、、。アダムくん、読み間違ったね、最後の最後で。残念。さようなら~~。
そしてラストシーンでは、彼女は、コンサートホールでマネージャーの様な仕事をしている。キラキラのカタリナに戻って、その美しい顔がアップになってジ・エンド。
というわけで、この展開で、私は本作に
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そう、やられたらやり返す、これくらいの意気がなくてどーするよ、お嬢さんたち。泣いてる場合じゃないんだよ。自分の人生は、自分で取り返さなければ! 身勝手な男ばかりが思い通りに生きて良いわけがない。ちゃんと落とし前付けさせるのよ!
……というわけで、私はカタリナちゃんのしでかしたことを全面的に支持します。不道徳だろうが犯罪だろうが、ヨヨと泣いたり自殺しちゃったりする女に同情しているだけの観衆の横面を張るような本作は、十分存在意義があると思いますね。
テーマは古典的だけれども、なかなか思い切りの良い、面白い映画じゃないでしょーか。
◆音楽について
モーツァルトに目覚める、、、。なかなか若い娘にしては渋い設定だなぁ、と思う。クラシック音楽に最初に触れて目覚める音楽としては、むしろロマン派じゃないか、という気がするけれど、カタリナは古典派に感性を強烈に刺激されたのね。うーむ、渋い。
私が最初に刺激されたのはブラームスとかドビュッシーで、モーツァルトもそうだけど、ベートーベンも、その良さに気付いたのは30歳過ぎてからだった。モーツァルトもベートーベンも、スコアの面からは想像もつかない演奏の難しさ。ただ演奏しただけでは曲にならない御しがたさ。まあ、ブラームスもその音楽は渋いと言われるけど、モーツァルトに痺れちゃうカタリナの感性はやっぱり渋い。
で、本作中、アダムがオケを指揮している音楽は、それこそベートーベンなのね。交響曲第7番が使われているけど、これがかなり下手クソでビックリ。あれはプロのオケ? まあ、シーンを追うごとに若干上達している感はあったけれど、、、。
おまけに、アダムの指揮っぷりも、あんまし洗練されていない。指揮の姿って、ホントに、指揮者の感性そのものだから、あんなスタイルの指揮では彼の才能の程度も知れるという気がするのだけれども、、、。アダムがどんくらいの指揮者なのか、イマイチ作中で描写がないので分からないけど、まぁ、三流オケ専門指揮者ってところじゃないですかねぇ、、、。もう少し、カッコ良い指揮になる様に指導してあげて欲しかったなぁ。物語に説得力が出ないじゃんか。
◆その他もろもろ
それにしても、アリシア、今やオスカー女優になっちゃいましたけれども、この頃から凄まじい根性の女優だったのがよく分かりました。
別に、気合い入りまくってるとか、必死すぎるとか、そんな演技ではもちろんありませんよ。『湯を沸かすほどの熱い愛』のりえさんみたいな痛々しさはないにもかかわらず、とっても芯のある女優であることが画面を通して伝わってくる。これはタダ者じゃないわぁ、、、と思いました。
アダムに捨てられそうになって、カタリナは必死にすがりつき、コンサートホールのロビーで、何と口淫に及びます。誰か来ちゃうんじゃないかと、見ている方がヒヤヒヤする。そういうシーンを、実に上手く演じている。本作を撮影したとき、21歳か22歳で、カタリナとほぼ同年齢。肝の据わった、しかも、非常に演技も確かな俳優です。
アダム役のサミュエル・フレイレルがスキンヘッドだったもので、どうも、パーヴォ・ヤルヴィとダブってしまい、困った、、、。パーヴォ・ヤルヴィは、別に好きでも嫌いでもありませんが、、、。
かつて私が所属していたアマオケを振ってくれていた指揮者(一応プロ)のオッサンは、飲み会の席でこう言っていた。「色恋は芸の肥やしだから。妻もその辺は分かってるはずだし、私も既婚者だからってセーブしない」、、、、はぁ、そーですか。でも、芸の肥やしにされた女性たちは堪ったモンじゃありませんね、自分を肥やしにしたアンタがアマオケしか振れない四流以下の指揮者にしかなれていないんだから、、、と、喉まで出かかったけどグッと押さえましたよ、そりゃもちろん。
話が逸れたけど、、、。アリシアは、きっとこれからますます飛躍するだろうと確信する映画でした。
カタリナ、天晴れなり。
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