映画 ご(誤)鑑賞日記

映画は楽し♪ 何をどう見ようと見る人の自由だ! 愛あるご鑑賞日記です。

誰も守ってくれない(2008年)

2016-11-08 | 【た】



 船村沙織(志田未来)の18歳の兄が近所の幼い姉妹を殺害し逮捕された。中学3年生(15歳)の沙織は学校から事情を知らされ帰宅させられる。

 自宅には警察やら役所やらの人たちが大勢詰め掛け、せわしなく沙織の両親らに諸々の手続きをさせる一方、外にはマスコミが押し掛けており、加害者家族といえども負担が大きすぎることから家族らを分散させて警察が保護することとなる。

 過去の事件でトラウマを抱える刑事・勝浦(佐藤浩市)は沙織の保護を担当することに。しかし、避難しようとしても、どこまでもマスコミが追って来る。こうして、勝浦と沙織の、さながら逃避行の避難の日々が始まるのだが、、、。

 、、、出ました、トラウマ刑事!! いい加減、この設定、やめたら?

 

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 借りるDVD間違えました、『誰も知らない』と。オープニングから、???状態だったけど、勢いで最後まで見ちゃいました。


◆佐藤浩市は仕事を選んだ方が良いと思う。

 また佐藤浩市かぁ、、、。仕事を選ばない人なのね、彼。なんか、この手の映画に必ず出ているような。あんまりイロイロ出ているから、どの映画がどれだったか、混乱しそう。

 本作は、刑事モノ、というわけでもないけれども、刑事が主役のハナシって、大抵その刑事が何かトラウマ抱えているんですよねぇ。過去の事件の失敗とか、自分の家族死なせちゃったとか、親も刑事で殉職しているとか、、、。こういうのって、必要?

 たまたま最近、Eテレの「100分de名著」で、アドラーの「人生の意味の心理学」について見ていたんだけど、アドラー先生曰く、トラウマなんてないらしいよ。トラウマってのは、その人が目的を持ってその事象に拘り続けているだけ、らしい。

 別にアドラー教の信者じゃないので(共感する部分も多々あるけど)、そこまでは思わないにしても、トラウマなんてものすごく安っぽいスパイスはいらんと思う。そういう手垢のついた、誰でも思いつきそうな設定は、そろそろやめたらいかがでしょう。見ている方は、「また虎馬かよ、、、」としか思いません。

 でもって、そういう役を演じるのが、見飽きた(と言っちゃ失礼ですが)佐藤浩市。何か、苦悩の表情を浮かべています、ずっと。どの作品でも、こういう感じの映画では同じですよねぇ、彼。別に彼のファンではないので、どーでもよいといえばどーでもよいのですが、もう少しお仕事選んだ方が良いと思います、彼ほどのキャリアの人は。でないと、小百合さんとか、キムタクとかのように、“何の役をやっても佐藤浩市”になっちゃうよ、、、。もうなっている気もするが、、、。


◆警察が表に出せない仕事しているのは当たり前。

 本作で、一番違和感を覚えたのは、“警察が税金を使って加害者家族を保護するなんてけしからん!”という描写です。

 けしからんと思う人、どれくらいいるのかなぁ。私は、アリだと思うし、むしろそれは警察以外にできる人がいないのではないかと思うんですけれども。

 冒頭のテロップ「警察はそれ(加害者家族の保護)を認めていない」(正確じゃないです)からして違和感あります。認めちゃいないかもしれないけど、そんなのやっててもおかしくないだろ、と思うし、警察のお仕事で表に出せないことなんてほかにもゴマンとあるはずでしょう。

 どうして“けしからん”なんていう描写がされるのか。

 それは、佐々木蔵之介演ずるところの新聞記者のセリフ「加害者の家族が制裁うけてトーゼンだろ!!」に集約されているのでしょうかねぇ。「被害者は守ってくれなかったくせに、加害者(家族)は守るのか?」って、、、。

 しかも、本作の意地の悪いところは、実は沙織は兄が犯人であることを、犯行当時から知っていた、とラストで明かすんですよねぇ。これで、ますます「加害者家族だからって犯罪者じゃないと言えねーだろ」と言いたげな。ある意味、家族も共犯だろう、と。

 監督・脚本の君塚良一氏が、どういう意図でこのシナリオを書いたのか分からないけど、、、。未見ですが、『藁の楯』と、趣旨は同じですかね。何で警察が悪いことしたヤツ守ってんだよ、という、、、。本作は、家族ですけれども。

 法治国家なんで、そんなの愚問過ぎて答えようがありません、よねぇ。


◆これを見た現職刑事は何を思う……?

 でもまあ、軽いサスペンスだと思って見れば、そこそこ見ている間は楽しめると思います。ネット社会の恐ろしさとかも一応描いていて、どんどん加害者家族の身元が明かされていく過程などは、リアルにありそうなことだし。

 ただまあ、本作があくまでもシリアス系の真面目なサスペンスを目指して作られたものだとすれば、やっぱりこれはイタいと言わざるを得ないよなぁ。

 本作は、既に一部でイロイロとかなり批判されているようなので(あまりそちらを詳しくは読んでいませんが)、ここでは、ツッコミどころをいちいち書くのは控えました。

 ちなみに、私は、設定上の大きなウソはゼンゼン構わないと思います。よろしくないのは、細かなウソ。細かなウソってのは、リサーチ不足や制作サイドの不勉強が原因であることがほとんどだと思うけど、そういうのは実に白けます。どんな世界を描いたフィクションであれ、観客の中には必ずその筋のプロがいることを肝に銘じ、映画を作ることに謙虚であって欲しい、とは思います。

 そういう意味じゃ、警察官は、必ず組織的に動きますので、勝浦の様に、上の了解もなく、自宅に被保護者を連れ込んだり、ペンションに連れて行ったり、ってことは、まぁ、ないんじゃないですかね、、、。これ以上は野暮になるので書きませんが。


◆その他モロモロ

 皆さん熱演だったけど、意外にも、一番印象的だったのは柳葉敏郎ですねぇ。通り魔に息子を殺された、という犯罪被害者の家族を好演していたと思います。

 木村佳乃の役は、イマイチ存在意義が不明。佐々木蔵之介と東貴博も。佐々木蔵之介には、あのセリフを言わせたかったんですかねぇ、、、? だとしても新聞記者である必要なくない?

 見て後悔する、ってほどじゃないけど、やっぱりDVD間違えたのは痛かったな、と感じる程度にはイケてない映画です。

 






背筋が凍るねぇ、、、。




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