以下、上記リンクよりストーリーのコピペです。
=====ここから。
第1夜。ある初秋の日曜の夜、ジャック(G・D・フォレ)は、ポン・ヌフの橋からセーヌ河に身投げしようとしている少女マルト(I・ヴェンガルテン)を救った。
第2夜。同所で再会した2人は、互いの身の上を語り合う。ジャックは、元美術学校の学生で今は自宅にこもって画を描いており、マルトは母と2人暮しで隣室を学生に間借りさせている。1年前マルトは、その部屋を借りている青年(J・M・モノワイエ)に恋する。が、青年はアメリカへ留学に行き、1年後にポン・ヌフの橋の上でマルトとの再会を約束した。そして彼女は今日で3日目、青年が3日前にパリに帰ってきているのを知りつつ、待っている。
第3夜。青年の影にさえぎられながら、ジャックとマルトの不安な心のうずく夜がすぎていく。
第4夜。約束の時が来ても、ついに青年は現われなかった。苦しむマルト。そして愛を告白するジャック。2人はパリの夜を、美しい月夜の下を幸福にさすらう。だが、突然、マルトの目が一点にとまった。そう、それは、彼女がさがし求めていたあの青年の姿だったのだ--。
=====ここまで。
“35mmフィルムでの最終上映”と言われると、見ておかないといけないような気持ちになるじゃん。
☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜☆゜'・:*:.。。.:*:・'☆゜'・:*:.。。.:*:・'゜
というわけで、ブレッソンです。スクリーンで見られる数少ない機会なので、行ってまいりました。
◆おフランス版オタク男子のラブコメ
原作はドストエフスキー(もちろん未読)だそうで、その原作のテイストは分からないのだけれども、同じ原作をヴィスコンティもやはり映画化している。ヴィスコンティ版は見ていないけど、多分、ゼンゼン違う雰囲気の作品になっているに違いない。
Blu-rayも出ているらしいけれど、それまでは“ブレッソンの幻の映画”などと言われていた本作。同じくドストエフスキー原作の『やさしい女』の印象が強いので、本作もそれと同じような感じなのかと構えて見に行ったのだけれど、、、ゼ~ンゼン違っていて驚いた! これは、もしやブレッソン流ラブコメか??
とにかく、主人公の青年ジャックがヤバい。開始早々、ヒッチハイクして郊外の自然豊かな所へやってくると、なぜか“でんぐり返り”を2回、そして鼻歌交じりでお散歩。本人はいたってご機嫌な様子なれど、通りすがりの家族連れには明らかにキモワルがられている。この郊外へはでんぐり返り以外に何をしに行ったのかが全くのナゾのまま、夜になって、ジャックはパリの街中を歩いている。……ううむ、いきなりのブレッソン節全開の幕開けに唖然。
でもよく見ると、このジャック、眉毛が異様に濃いけど端整な顔立ちで、まあ美青年と言えるでしょう。また、あらすじにある「第一夜」「第二夜」……というのは、そういう字幕が出るのです。ジャックが経験する4日間の恋(?)物語。
冒頭のでんぐり返りから、期待を裏切らないジャックの言動が続きます。
彼は、通りすがりのキレイな女性にすぐに恋してしまう性癖があり、しかもその女性の後を付ける、つまりストーカーみたいなことを日常的にしている。まあ、しばらく後を付けるだけで、実害は与えていないけど、、、。そして、家に帰ってくると、日記代わりにレコーダーに思ったことを喋って録音している。さらに、彼は売れない絵描き(美術家?)で、今で言う“ニート”みたいな感じなんだけど、そのことにコンプレックスがあるのか「こんなオレが生きていていいのか」みたいなことも言っている。
……もうここまでで、ジャック君をオタク認定しても怒られないと思うわ。
実際、学生時代の友人が訪ねて来ても、そこで美術の議論が盛り上がるわけではなく、友人が一方的に持論をまくし立て、ジャックは黙って聞いているだけ、、、。友人は喋るだけ喋ったらさっさと帰ってしまうという、妙なシーンもある。恐らく友人もほとんどいないのよね、彼。
そんなジャックが可愛い女性マルトに出会い、惚れっぽいから案の定マルトを好きになってしまう。で、マルトは、アメリカから帰って来ているはずなのに姿を現さない恋人とジャックの間で揺れる素振りを見せたりするんだけど、結局、4日目の夜にはマルトは姿を現した恋人の下に行っちゃった! っていう極めてシンプルなオハナシ。
そのラスト、恋人が現れてからエンドマークまでの数分が、もう、私にとっては笑えてしまって、、、。でも、回りの皆さんは笑っていないから、思わずこらえましたケド。
だって、マルトは、恋人の姿を認めた途端、ジャックの腕からするりと抜けて恋人のもとへ走り寄り、ジャックが見ているというのにお構いなしに抱擁&キス&キス、、、と思ったら、またジャックのもとに戻ってきて、また恋人が見ている前で抱擁&キス、、、と思ったら、またまた恋人のもとへ行って、今度は恋人がマルトの肩を抱いて歩いて去って行く、、、という、そらねーだろ、的な演出なんだもん。放置されたジャックの顔は、しかし、あまり表情がないというか、放心状態とも違うような。おまけに、振られた翌日、ジャックはその心境をまたレコーダーに録音している。
そう、だから、私は、これはブレッソン流のラブコメじゃないかと思ったのです。だって、ものすごく滑稽でしょ? 恋愛なんてそもそも傍から見れば滑稽そのものとも言えるわけで、それを、笑いを前面に出さないまま描くと、こういう映画になるんじゃないのかね、と。
◆恋するジャックの奇行
ジャックが録音する内容は、詩的な散文調で、でも決して心に残る文言ではない(実際、見終わってから覚えているフレーズがない)んだけど、唯一ギョッとなったものがある。
途中、マルトに頼まれて手紙をある人に渡しに行く場面があるんだけど、バスに乗ったジャック君、周囲に乗客がいるのに持っているレコーダーを再生させる。レコーダーから出てくるのは、「マルト、マルト、マルト……」と、マルトの名前をひたすら呼ぶジャック君の声。前に座るおばさん2人が訝しげに顔を見合わせるんだけど、私も一瞬、この描写を理解できなかった。は? 何してんの、ジャック君?? みたいな。どうしてバスの中でその録音を流す必要が???
すっかりマルトを好きになっちゃったものだから、こんな行動に出た、、、、ということだろうけど、ちょっとね……。
そうなっちゃうと、もう、街中で“マルト”の文字ばかりが目に入っちゃうジャック君。店の名前も、セーヌ川を行く船名も、“マルトじゃないか!”てな具合。恋に恋する中学生なら分かるが、ちょっとね……。
まあでも、ジャック君は、きっと、マルトに去られた後もまた、それまでと同じ暮らし・生き方を続けるのだろうな、、、と思う。そういう余韻を残したエンディングだったように思う。
◆コツコツ、、、
印象的だったのは、音。靴の音とか、鳥の声とか。もちろん、ジャックの録音した声も。
あと、音楽が結構長い時間流れるのも、ブレッソン作品としては珍しいのでは? と感じた。フォークっぽいのやボサノバ風の、ジャックとマルトが一緒にいるときに、彼らの側で演奏される音楽で、BGM的に流れるわけではない。
マルトが、アメリカに発つ前日の恋人と裸で抱き合うシーンはなかなかステキだった。母親と緊張関係にあるマルトが、母親がいるのに、恋人の部屋で(部屋の外では母親がマルトを探している)ただただ裸で抱き合う、、、。これは、見ていてドキドキするシーンだった。マルトと母親の関係を象徴する張り詰めたシーンだったように思う。
でも、『スリ』とか『ラルジャン』みたいに、一見無機質でありながら、見ていてヒリヒリするような感じは、この作品にはない。『やさしい女』で感じた冷酷さもない。ただただ、若い男女の心模様を、いつもどおりの極端にそぎ落とした演出で撮った作品のように思う。
ヴィスコンティ版も見てみたくなりました。
★★ランキング参加中★★
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます