《本記事のポイント》

  • 現代社会における「多様性」登場の背景
  • 「多様性」の問題点とは何か
  • 「多様性」の罠にはまらない方法

 

 

現代社会の中には、私たちの考え方を惑わすいろいろな価値観の罠(トラップ)が仕掛けられているように思います。

 

トラップというとすぐに工作員のハニートラップなどを連想しますが、今回は、多くの人にとっては身近なテーマとして「多様性」という考え方、価値観を取り上げたいと思います。それは、この考え方が、どうも必要以上に拡大解釈され、混乱を招く種として、一人歩きしているように思えてならないからです。

 

 

過激な逆差別の傾向も生み始めた「多様性」

そもそもこの「多様性」という用語は、本来、地球環境問題が叫ばれる中で、地球上に存在する多種多様な生物種を保護するという意味で「生物多様性(バイオダイバーシティ)の保護」という概念で登場し、その後「多様性」というところだけが、あらゆる場面で使用され、価値観として独立した意味を持ち始めたと言えます。

 

それも、「多種多様な価値の中で、特定の価値のみを排除してはならない」や、「少数者の権利を迫害するな」というどちらかと言うとマイノリティの立場に立つきわめて他責の念が強い左翼民主主義的な価値です。そして一見誰もがすぐに否定できない文脈で語られ出して、世の中には、あらゆるものが価値中立的に存在していて許されている、簡単に言えば、「みんな違ってみんな良い」と言われるような価値として広がってきたように思われます。

 

また、昨今では「交差性(インターセクショナリティ)」という考え方が登場しています。これは、あらゆる社会的不平等や差別の温床となる人種、性的マイノリティ、移民、貧富の差などの要因が、複雑に交差して存在しているというものです。こういう考え方も背景にあって、ますます受容すべき「多様性」という考え方そのものに複雑な解釈を生んでいると言えます。

 

その上で、とりわけ最近の特定の個人や集団へのヘイトスピーチ問題がそうですが、批判を加えると、「それは差別に当たる。ヘイトスピーチだ!」と批判された側が声高に叫び、自らの主張に合わない言論を封じ込め、むしろねじ伏せていくような過激な逆差別の傾向性も出てきました。とりわけSNSには、その意見の違いを先鋭化させ、増幅する機能がそもそも備わっているとまで言われていますので気をつけたいところです。

 

 

多様性の罠にはまらない方法:神仏の視点を持てるか

そもそも神に創られた人間として、仏性相等しきを神から祝福された尊厳ある存在として「みんな違ってみんな良い」とするならば、神の下の民主主義として一定の理解はできます。それこそ、この地上での判定のみならず、死後の世界も含めれば、その価値判断に必ず正邪の判定が下りますので、多様な価値観に基づく意見の相違や、その賛否についてもまずは両極端を排して、はじめから一方的に決めつけない姿勢は求めていくべきだと思います。

 

その上で、この地上世界の中で、社会的なルールに則って、社会規範を形成していく以上、やはり一定の社会的合意を得るための秩序だった選択が必要になり、すべてが常に同列にただ併存しているだけで良いと言うわけにもいかないはずです。

 

それが証拠に、本欄の過去記事にもあるように、最近は、社会制度の中で、行き過ぎた「多様性」への保護や配慮が、社会的不公平を生み出すとの認識が共有され出して、見直す動きも出てきており、社会的な揺り戻しも起きているように思います。

 

やはり、自らの心の中で、世に存在する多種多様な価値の中から、本来、神仏の視点に立って許される価値とはどのようなものなのか。現代社会にある多様な価値の中から、一つひとつ選び取っていくことが、智慧の介在でもあり、魂の成長になる。

 

これこそが現代社会の中に仕掛けられた価値観の「多様性の罠」にはまらない方法とは言えないでしょうか。

 

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