「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と言ったのはかのチャーリー・チャップリンであった。この場合クローズアップで見るのは、その悲劇の当事者やその人に近い人だろう。一方、ロングショットでそれを見る人は、当事者から離れている人となる。これは何も関係性が希薄な人だけがそうなのではなく、その悲劇の当事者であっても『悲劇』から時間が隔たっていたり彼が関わった「悲劇」を当人が「 . . . 本文を読む
「香りや匂い」を言葉で表すにはどんな言葉があるのかを調べてみました。
人間が持つ感覚の中でも「香りや匂い」に関する言葉ほど実は表現が乏しい言葉は、ないのではないかと思うのです。
人は何かのにおいを感じたことがあるので、その匂いを何かに似ていると、表すことは出来ます。
例えば「きんもくせいの香り」とか「バラの香り」とかと言ったりします。
これは「きんもくせい」や「バラ」の香りや匂いを体験したこと . . . 本文を読む
女性タレントが結婚や婚約をしたときに、相手の方が同業であればその方の氏名などは公表されていますね。ところが相手の方が同業ではない場合、活字や放送ではそれを「相手の方は一般人である」とか「会社勤めの一般男性である」とか表明していることを目にすることがあります。
そんな時、私はその言葉に違和感を感じるのです。
このように女性タレントと結婚する会社勤めの男性を「一般人」と呼ぶのはなぜなのでしょうか。
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世間ではある人を評して、「あの人は人間味あふれる人だ」とか言うことがありますね。今日はそれらのことについての私の妄想です。
まず此の言葉はどんなときに何に対して使われるのかを考えて見ましょう。
映画や小説の登場人物または実生活で出会った人に対して持つその人に対する印象や感情を言い表すときに使われています。
言うまでもなく此の言葉は人間に対してその人の人柄や生き方を表すときに使われていることに気がつ . . . 本文を読む
私たちは写真を撮る人を一般には「カメラマン」と呼んでいます。
そもそも、私たちがカメラマンと呼んでいる人たちは「カメラを操作する人」を指していました。映画撮影の時のカメラを操作する撮影技師をカメラマンと呼んでいました。
映画の最後に、「カメラ、誰それ、スチール、誰それ」というクレジットを見たことがあると思います。
この場合のカメラとは「ムービーカメラマン」の事であり、スチールは「スチールカメラマ . . . 本文を読む
わたしたちのモノの見方や評価の仕方には何らかの尺度(モノサシ)に基づいていることが多いのに気付きます。
何かの基準をもうけてその地点から他を見る方法です。
大抵の場合はそのようにして、ものを見ることが多いと思います。
これは芸術や学問・思想そして世間の様々な分野で普通に行われている思考の方法です。
たとえば次のことがありました。
明治初期の知識人、福沢諭吉や植木枝盛などは「西洋の進んだ知識を取り . . . 本文を読む
わが国の精神医学会での重鎮ともいえる人の著作を読んでみた。
著者の名前は木村敏と言う。書籍の名を『命のかたち、かたちの命』という。
50年ほど前に木村氏の名を眼にしたことを思い出した。
世界的な精神分析医のビンスワンガーの「精神分裂病」の訳者の一人として記憶にあったのだ。
今回、ちょっとした理由により木村氏のこの本を手にしてみた。
まだ本の全文を読み終わったわけではないのだが、この本の中でなるほ . . . 本文を読む
人は夜になるとその活動を休止して休みます。
中には夜に活動をする人も居るのですが、それらの人々も夜中一杯活動をしている訳ではありません。
さて、世界が創造主である神により造られたとする考えに立てば、昼と夜のどちらを先に造ったのでしょうか。
古事記と日本書紀では若干の相違はあれ、一度は昼が先に作られ、その後に夜の時代を経て昼が再生されたと言われています。天岩戸(アマノイワト)の神話です。
その後は . . . 本文を読む
わたしたちは日常で様々な製品を消費しています。
それらの作られた物が今、わたしたちの目の前にあります。
生活上の便利なものが多くあります。
ある日突然、何かが出来上がっているなどという事はあり得ない事です。
物が出来上がるまでには、それなりのプロセスがあって初めて可能になるのです。
便利なものを手に入れるまでには無数の出来なかった物がその背後にあったからなのです。
工業製品のみならず、個人が物 . . . 本文を読む
無病息災という言葉を私たちは何気なく使う事があります。
「病気をせず健康であること」を言うのであるが、少しぐらいの病気ならそれでも結構、と最近は考えることにしております。
「病気になっていても、健康?」それって変でしょ。と人々は思うでしょうが、少しぐらいなら病気であっても、かまわないだろう、と考えるからです。
健康増進を目的に日々を過ごす人たちがいることは知っております。
例えば、毎日ジョギ . . . 本文を読む