ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

昼と夜はどちらが先か?

2018年08月04日 08時53分52秒 | ことば
人は夜になるとその活動を休止して休みます。
中には夜に活動をする人も居るのですが、それらの人々も夜中一杯活動をしている訳ではありません。

さて、世界が創造主である神により造られたとする考えに立てば、昼と夜のどちらを先に造ったのでしょうか。
古事記と日本書紀では若干の相違はあれ、一度は昼が先に作られ、その後に夜の時代を経て昼が再生されたと言われています。天岩戸(アマノイワト)の神話です。
その後は昼と夜が交互に繰り返されてきている訳です。

西洋の場合はどうなっているのでしょうか。

ユダヤ教の旧約聖書の創世記の第一章には次のように書かれています。
「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」
「神は光あれ、と言われた。すると光があった。神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。」

これを見ると世界の初めは夜であったとされています。
このことは何を意味しているのでしょうか。

わたくしは聖書や天地創造に関する事を研究している訳ではなく、一介の物好きに過ぎませんが、これらの記述から読み取れることが何であるのかを考えてみました。

これは、人の誕生に関する記述ではないかと読み取ることが出来ます。
すなわち、人は母体の中で受精をしてその後にこの世界に生まれ出てきます。
母親の胎内にいる間は、当然のことながら外界の事は知る由もありません。
母体の胎内から出てからこの世に存在できるようになるわけです。
胎内にいる間は目をひらくこともないので、光の存在を知覚することもできない訳です。
ですから、人の存在の初めは、やみの中であったと旧約聖書では記述しているのではないかと思われるのです。

胎内での後期の段階では胎児は昼と夜の時間の区別が出来てきているとする研究もあるようですが、それは母体である母親の生活が、昼と夜の区別の在る生活をしているから、そのことが胎児にも影響を与えているのだとの考えもあるようです。」

さて、人類が最初に光を自らの手で獲得したのは、「火」によってです。
木の摩擦などにより偶然に発生した火を、それを人が模倣することにより火を作り出す技術を獲得したのだと想像できます。

「火」は熱と光を伴うものですが、「火」の使い道を誤るととんでもない災禍をもたらすものでもあるのは、人類の歴史を見れば明らかです。

武器の威力の事を「火力」と言っていますが、「火」の取り扱いには細心の注意が求められているのです。

もちろん「火遊び」が厳禁であるのは言うまでもありません。














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