ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

「人間味」についての妄想ーその1-

2018年12月11日 09時59分12秒 | ことば
世間ではある人を評して、「あの人は人間味あふれる人だ」とか言うことがありますね。今日はそれらのことについての私の妄想です。
まず此の言葉はどんなときに何に対して使われるのかを考えて見ましょう。
映画や小説の登場人物または実生活で出会った人に対して持つその人に対する印象や感情を言い表すときに使われています。
言うまでもなく此の言葉は人間に対してその人の人柄や生き方を表すときに使われていることに気がつきます。
「人間味」の内容には様々な要素があり、一言では言い表せないでしょうが、いま仮に「人間味」を「人間らしさ」と言い換えてみましょう。

「あの人は人間味あふれる人だ」をそのように言い換えると次になります。「あの人は、<人間らしい>人間だ」となるでしょうね。
これでは何を言ってるのかは分かりますか。実はこれは人間について何も言ってないのではないでしょうか。

さて、此の言葉は人を評するときに肯定的な意味で使われることが多いと思われます。例えば、次の使い方です。
他人を思いやり困っていそうな人に優しい言葉をかける人は「人間味」がある人だと私たちは思います。
しかし、人間というのはそんな人ばかりではないでしょう。
自己中心的で冷酷で自分勝手な行動をとる人は今の世間にはよく見られることです。
今般の「あおり運転」の罪に問われている被告などはそのような人なのでしょうね。
このように人間には他人を思いやり優しい言葉をかける人もいれば、自己中心的な独善的な人もいるわけです。
後者の人物はそれでは「人間」ではないのでしょうか。
いいえ、そうではないでしょう。後者も人間が持つ人格の一面と思われるのです。
そのように考えると「人間味」と言う言葉には肯定的な意味とそうではない意味の「両義性」が備わっていると考えざるを得ません。

しかし、「人間味という言葉」にはそうありたいと願う「理想とする人間像」が投影されているのかもしれませんね。

あおり運転の罪に問われている被告に対して23年と言う長期の懲役刑が求刑されたとの報道に接しての私の妄想なのです。




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