ヒマジンの独白録(美術、読書、写真、ときには錯覚)

田舎オジサンの書くブログです。様々な分野で目に付いた事柄を書いていこうと思っています。

「物理学と神」

2018年02月07日 20時55分38秒 | なぜ?どうして?
いま、手元に「物理学と神」という本があります。この本の著者は池内了(イケウチサトル)という物理学者によって書かれたものです。

この本のあとがきに著者は次のように書いております。
「本書のもう一つの狙いは、難解そうに見える物理法則の特徴を神の性格に託して語る事にある」と記述されています。
そしてまた、次のようにも言っております。
「専門用語を使わずに、物理学の概念を説明する為の助っ人として神にご登場を願ったのである」と。

この本の内容をすべて記述することは、この本そのものを引き写すことなので、ここではごく簡単に触れておきます。

アリストテレスの自然哲学からニュートンの古典力学を経て、原子物理学そして量子論とに渡る物理学史の概略を知るには手頃なものと思います。
最終章には現代の宇宙物理学の様々な考え方を、紹介しております。

この本のカバーの裏には次のような文章があります



著者が後書きの最後に述べている言葉を引用してみましょう。
「科学者は、まだ部分しか知らないのに全体を知ったかのように思い込み、科学の力によってすべてが解決するかのようにふるまいがちであるからだ。しかし、科学によって得た知はあくまで部分であり、未知の領域は大きく広がっている。」

さて、この本を「チラ見」した程度のわたくしには、科学の一定程度の段階では、ものについての「なぜ?」が追及されてきた事。
その「なぜ?」の疑問の解決の為に科学はあったこと。
そして、次から次へとその「なぜ?」は果てしなくどこまでも行くのかなど、分からないことだらけです。

「ものがあるのはなぜなのか?」に至っては、もはや「禅問答」の様相まで呈しているのです。

私などのぼんくらはそんな心配などせずに、「うまい酒を飲むにはどうしたら良いのか?」ぐらいで留めておくのが無難という事でしょうね。

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