
季節は、きっぱりと寒さに向っていることは確かなのですが、今日の秋田市は、小春日和といってよい天気です。
一週間ぐらい前には霙(みぞれ)や霰(あられ)が降ったこともありました。
先日何気なく、学生の時に読んだ詩集を見ていたら、「霰」という詩を見つけました。
表題の画像の詩集です。石原吉郎(いしはらよしろう)という方の詩集です。
この中に、「霰」という詩があったのです。紹介してみます。
霰
まちがいのような
道のりの果てで
霰はひとに会った
ひとに会ったと
霰は言った
(ひとに会うには道のりが要る)
会わなけらば もう
霰ではなかったろう
霰は不意にやさしくなり
寄りそってしずかな
柱となった
忘れて行くだけの
道のりの果てで
霰は ひとに
道のりをゆずったが
おのれのうしろ姿が
見えない悲しみに
背なかばかりの
そのひとを
泣きながら打ちつづけた
<背なかばかりの
そのひとを
泣きながら打ちつづけた>というところが気に入りました。
「ばか!ばか!アホー!」と言いながらでも霰は打ちつづけたのか? などと考えてしまいました。
<追記>
背なかばかりの
そのひとを
というのは「霰」からするとどんな人なのかを考えてみました。
自分に背を向けている人、ですね?
ここで注目したいのは<背なかばかりの>の語句です。
<ばかり>いうからには、自分に対面したことがないと取れますね。一度も自分に向いてくれなかったと取れます。
自分に対面していないのは何故なのでしょうか?
その人は初めから<背なかばかり>を向けていたのでしょうか?
それともある時から、<背なかばかり>になってしまったのでしょうか?
つぎの語句を見ると、「霰」と「背なかばかりのそのひと」との関係性を想像することが出来ます。
<泣きながら打ちつづけた>からには、何かその理由があるのでしょう。
そのひとに自分の方に向いてほしいのだが、そうではない事に<泣いた>のでしょうか?
初めから背を向けている事に、<泣いた>のでしょうか?
「霰」は<そのひと>に向き合ってほしくて、<打ちつづけた>と見ることもできます。
きょうは国語の読解のお勉強をしてみました。
一週間ぐらい前には霙(みぞれ)や霰(あられ)が降ったこともありました。
先日何気なく、学生の時に読んだ詩集を見ていたら、「霰」という詩を見つけました。
表題の画像の詩集です。石原吉郎(いしはらよしろう)という方の詩集です。
この中に、「霰」という詩があったのです。紹介してみます。
霰
まちがいのような
道のりの果てで
霰はひとに会った
ひとに会ったと
霰は言った
(ひとに会うには道のりが要る)
会わなけらば もう
霰ではなかったろう
霰は不意にやさしくなり
寄りそってしずかな
柱となった
忘れて行くだけの
道のりの果てで
霰は ひとに
道のりをゆずったが
おのれのうしろ姿が
見えない悲しみに
背なかばかりの
そのひとを
泣きながら打ちつづけた
<背なかばかりの
そのひとを
泣きながら打ちつづけた>というところが気に入りました。
「ばか!ばか!アホー!」と言いながらでも霰は打ちつづけたのか? などと考えてしまいました。
<追記>
背なかばかりの
そのひとを
というのは「霰」からするとどんな人なのかを考えてみました。
自分に背を向けている人、ですね?
ここで注目したいのは<背なかばかりの>の語句です。
<ばかり>いうからには、自分に対面したことがないと取れますね。一度も自分に向いてくれなかったと取れます。
自分に対面していないのは何故なのでしょうか?
その人は初めから<背なかばかり>を向けていたのでしょうか?
それともある時から、<背なかばかり>になってしまったのでしょうか?
つぎの語句を見ると、「霰」と「背なかばかりのそのひと」との関係性を想像することが出来ます。
<泣きながら打ちつづけた>からには、何かその理由があるのでしょう。
そのひとに自分の方に向いてほしいのだが、そうではない事に<泣いた>のでしょうか?
初めから背を向けている事に、<泣いた>のでしょうか?
「霰」は<そのひと>に向き合ってほしくて、<打ちつづけた>と見ることもできます。
きょうは国語の読解のお勉強をしてみました。
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