写真を美術の一分野と考えるならば、絵画と同じように平面の美術と言えます。
それに対して、建築や彫刻とオブジェなどは立体の美術と考えることが出来ます。
実世界に存在するものは印刷物や映画のスクリーン、テレビの画面などを除けば必ず3次元の立体として存在しています。
この立体物を平面上に描こうとしたのが言うまでもなく絵画や写真、そして映画などであったのです。
人物の肖像画、風景や静物を描写した絵画において、いかにしてその存在があたかもそこに実在するかのように描くことを画家は苦心してきました。
その絵画で画期的な技法として考えられたのが、遠近法でした。
観察者から遠くに位置しているものはその形が小さく見え、近くにあるものは大きく見えるという今では誰でもが知っている事を絵画に取り入れて成功したのが、イタリア・ルネッサンス期のレオナルドダヴィンチでした。
「最後の晩餐」に見られる遠近法は、学校の美術の教科書にものっているので見かけたことがある人は多いと思います。
遠近技法(単に遠近法とも言う)は遠くのものを小さく描くだけではありません。
遠くのものは近くの物よりはっきりとは見えませんね。これは形が小さくなるだけではなく、物の形状や色も近くにある物よりぼんやりと見えるからなのです。
海に行ってはるか沖を通る船を考えてみましょう。
その遠くにある船は、形も色もはっきりとはしてなくて、かすんで見えています。
これは対象物が遠くにある場合に、観察者と対象物の間には何もないのではなくて、目には見えないけれど「空気」が存在しているからなのです。
空気があるために、対象物の形状や色がぼんやりと見える訳です。
遠くにある山などをかすんだように描くのはそのためです。
この遠近法を「空気遠近法」と言うのだそうです。大きな山でも遠くにある山はかすんで見えますね。
この性質を利用すると、大きなものを遠くにあるように描くことが出来ます。
空気遠近法は、大気が持つ性質を利用した空間表現法だと言えますね。
一例をあげてみます。
墨絵などで使われている表現方法です。
近くの対象は濃い墨色で描き、遠くのものは薄墨で描かれています。
これによって、見る人は遠くにあるものと近くの物の区別が可能になります。
さて、前置きが長くなりましたが、写真の場合はこの遠近法がどの様なものかを実例で考えてみましょう。
先日のわたくしが撮ってきた写真を例にとります。
典型的な遠近法による写真です。
手前から向こうに延びる石畳の歩道が先の方で消失しているように見えるかと思います。
この遠近法は「線遠近法」と言うのだそうで、任意の線が先に行くに従い、お互いが接近して行き最後は一点で交差をして消滅していきます。
その点を消失点と言います。
この写真の撮影データーをあげておきます。
S 1/50,F3.2です。レンズの開放F値は2.8のレンズですので割合、開放に近い領域で撮ったものです。ちなみに焦点距離は28mmでした。35mm換算では42mmになります。
絞り値をもっと大きくすると全域にわたってシャープな画像になったかもしれませんが、当日の天候はどんよりした曇り空のため、こんな写真になってしまいました。
遠近の全域でシャープになるようにあえて絞りは開放値より少し絞ったのです。
この写真の場合、近くに焦点を決めて、遠くをぼんやりと写るように絞りを開放にすれば、もっと立体感が増したかもしれませんね。
風景を撮るときには意識しないでも遠近法になるので、写真に立体感を持たせることが出来ます。
これに対して、近くにいる人物や花などを撮る場合はどうでしょうか。
直ぐ近くの人物の顔を撮りたいと思っても遠近法ではどうしても撮れませんね。
それはカメラのレンズから人物の顔の眼鼻などの距離の差があまりないからです。
こんな場合の人物像の立体的な表現は写真では、不可能なのでしょうか。
そんな時には顔の眼や鼻や頬の部分の明暗の区別を際立たせるように撮る方法があります。
人物の顔の正面に向ってレンズを向けるのではなく、やや横向きに撮ると、光の当たり具合で対象を立体的に撮ることが可能になるわけです。
ここで話は変わりますが、映画監督にテオ・エンゲロブロスと言う人がおります。
その人の撮る映画は、遠近法を駆使した場面が多くあります。
例えば、こんな場面です。
これは「エレニの旅」のオープニングのシーンです。
線遠近法と空気遠近法のお手本のような場面です。
テオ・エンゲロブロスがこれから始まる物語の展開の奥深さと広がりを観客に提示していると、思えるのです。
写真を勉強するのには、プロが撮ったものを多く見た方が良いという人がおりますが、写真以外でも映画や絵画を観ても写真の勉強にはなります。
わたくしも、遅まきながらそれらを観る機会を多くして勉強をしたいと思っている次第です。
それに対して、建築や彫刻とオブジェなどは立体の美術と考えることが出来ます。
実世界に存在するものは印刷物や映画のスクリーン、テレビの画面などを除けば必ず3次元の立体として存在しています。
この立体物を平面上に描こうとしたのが言うまでもなく絵画や写真、そして映画などであったのです。
人物の肖像画、風景や静物を描写した絵画において、いかにしてその存在があたかもそこに実在するかのように描くことを画家は苦心してきました。
その絵画で画期的な技法として考えられたのが、遠近法でした。
観察者から遠くに位置しているものはその形が小さく見え、近くにあるものは大きく見えるという今では誰でもが知っている事を絵画に取り入れて成功したのが、イタリア・ルネッサンス期のレオナルドダヴィンチでした。
「最後の晩餐」に見られる遠近法は、学校の美術の教科書にものっているので見かけたことがある人は多いと思います。
遠近技法(単に遠近法とも言う)は遠くのものを小さく描くだけではありません。
遠くのものは近くの物よりはっきりとは見えませんね。これは形が小さくなるだけではなく、物の形状や色も近くにある物よりぼんやりと見えるからなのです。
海に行ってはるか沖を通る船を考えてみましょう。
その遠くにある船は、形も色もはっきりとはしてなくて、かすんで見えています。
これは対象物が遠くにある場合に、観察者と対象物の間には何もないのではなくて、目には見えないけれど「空気」が存在しているからなのです。
空気があるために、対象物の形状や色がぼんやりと見える訳です。
遠くにある山などをかすんだように描くのはそのためです。
この遠近法を「空気遠近法」と言うのだそうです。大きな山でも遠くにある山はかすんで見えますね。
この性質を利用すると、大きなものを遠くにあるように描くことが出来ます。
空気遠近法は、大気が持つ性質を利用した空間表現法だと言えますね。
一例をあげてみます。
墨絵などで使われている表現方法です。
近くの対象は濃い墨色で描き、遠くのものは薄墨で描かれています。
これによって、見る人は遠くにあるものと近くの物の区別が可能になります。
さて、前置きが長くなりましたが、写真の場合はこの遠近法がどの様なものかを実例で考えてみましょう。
先日のわたくしが撮ってきた写真を例にとります。
典型的な遠近法による写真です。
手前から向こうに延びる石畳の歩道が先の方で消失しているように見えるかと思います。
この遠近法は「線遠近法」と言うのだそうで、任意の線が先に行くに従い、お互いが接近して行き最後は一点で交差をして消滅していきます。
その点を消失点と言います。
この写真の撮影データーをあげておきます。
S 1/50,F3.2です。レンズの開放F値は2.8のレンズですので割合、開放に近い領域で撮ったものです。ちなみに焦点距離は28mmでした。35mm換算では42mmになります。
絞り値をもっと大きくすると全域にわたってシャープな画像になったかもしれませんが、当日の天候はどんよりした曇り空のため、こんな写真になってしまいました。
遠近の全域でシャープになるようにあえて絞りは開放値より少し絞ったのです。
この写真の場合、近くに焦点を決めて、遠くをぼんやりと写るように絞りを開放にすれば、もっと立体感が増したかもしれませんね。
風景を撮るときには意識しないでも遠近法になるので、写真に立体感を持たせることが出来ます。
これに対して、近くにいる人物や花などを撮る場合はどうでしょうか。
直ぐ近くの人物の顔を撮りたいと思っても遠近法ではどうしても撮れませんね。
それはカメラのレンズから人物の顔の眼鼻などの距離の差があまりないからです。
こんな場合の人物像の立体的な表現は写真では、不可能なのでしょうか。
そんな時には顔の眼や鼻や頬の部分の明暗の区別を際立たせるように撮る方法があります。
人物の顔の正面に向ってレンズを向けるのではなく、やや横向きに撮ると、光の当たり具合で対象を立体的に撮ることが可能になるわけです。
ここで話は変わりますが、映画監督にテオ・エンゲロブロスと言う人がおります。
その人の撮る映画は、遠近法を駆使した場面が多くあります。
例えば、こんな場面です。
これは「エレニの旅」のオープニングのシーンです。
線遠近法と空気遠近法のお手本のような場面です。
テオ・エンゲロブロスがこれから始まる物語の展開の奥深さと広がりを観客に提示していると、思えるのです。
写真を勉強するのには、プロが撮ったものを多く見た方が良いという人がおりますが、写真以外でも映画や絵画を観ても写真の勉強にはなります。
わたくしも、遅まきながらそれらを観る機会を多くして勉強をしたいと思っている次第です。
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