51年前と言うとわたくしは東京の私立大学の学生であった。1968年のことである。
その年の4月に思いがけないことが世間の注目を浴びた。
それはベトナム戦争に投入されていた米空母「イントレピッド」の乗組員の4人の若者が空母を脱走してソ連を経由してスウェーデン に渡ったことが明らかにされたのである。
当時彼らは「イントレピッドの4人」と呼ばれた。
彼らの国外退避を手助けしたのが「べ平連」であった。べ平連自らの発表により世間はこれを知ることになったのである。
「イントレピッドの4人」の行動の意味は決して軽いものではないだろう。
個人の意に沿わないことを「国家」から強制されたとき、個としてとるべき態度をどうするのか、と言う古典的な問いがそこには存在しているからだ。「個」の集合が「共同体」であるとしてもその中での「個」が果たす役割には多彩な側面があっても良いだろう、との考えもある。
51年前に起こったことの意味はいまだに色あせてはいない。
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