光縁寺は嵐電四条大宮駅南にある浄土宗強いで知恩院の末寺にあたります。


















創建は慶長18年(1613)頃と伝わり、天明の大火で堂宇は焼失してしまいます。



その後に再建され、現在に至っています。
本堂裏にある墓地には何度かお参りに来て来ていますが、本堂に上げて頂くのは初めてです。
ご本尊さまは阿弥陀如来像、向かって右には観音菩薩像、左には勢至菩薩像が、右脇には善導大師像、浄土宗の宗祖・法然上人像がお祀りされています。



本堂の裏(北側)には墓地が広がり、多くの新選組隊士関係者の墓があります




墓地には山南敬介や松原忠司、大石造酒蔵(新選組隊士・大石鍬次郎の実弟)の墓があります。

光縁寺の門前近くには新選組の馬小屋があり、毎日、門前を隊士達が往来し、その中には副長の山南敬介もいました。
山門の瓦には山南家と同じ「丸に右離れ三つ葉立葵」と同じ家紋が使われています。
当時の住職良誉上人は山南敬介と同じ年だったそうです。
この時代、筵(むしろ)に巻かれた死体がよくこの寺の門前に放置されていたようで、良誉上人はその様な死人でも分け隔てなく埋葬し弔っていたそうです。
屯所で切腹した新選組隊士の墓があるのも山南敬介の紹介によるものです。
山南敬介自身、三人目の新選組隊士として、ここ光縁寺に葬られる事になるとは思っていたのでしょうか?

次に幕府浪士組の本部となり、清河八郎が尊王攘夷の大演説を行った新徳寺を拝観します。