10月28日は、NHK文化センター京都教室の企画で『知られざる京の美 清流亭特別公開講座」に参加しました。
講師は桐浴邦夫先生です。
滅多に公開の機会のない南禅寺別荘群のひとつです。
東側は野村証券グループが所有されている碧雲荘です。
今回の清流亭の敷地内は撮影禁止なので掲載する写真はHPからの転載です。
清流亭は南禅寺山門の北に位置し、かつての塔頭楞厳院があった地に、静かなる趣をなす山荘、いわゆる南禅寺別荘群のひとつです。
数奇屋造の表構えや茶室に書院、糸桜が美しい庭園が広がり、東郷平八郎元帥が「清流亭」と命名した往時の姿を、今もそのまま受け継いでいる、大正初期の建築です。
明治・大正きっての[数奇屋工匠]北村捨次郎が創意をこらした家屋、[植治]こと七代目小川治兵衛の手になる庭園。
琵琶湖疎水から水を引き入れた瀟洒な佇まいは、現代も静かなる趣を漂わせる佇まいです。
植治は琵琶湖疏水から取水する権利を持っていたようです。
文人墨客が訪れ、やがて美術工芸家にとって憧れのサロンになり、当時のモダンボーイ達は、この清流亭で夢を語らいました。
その後さまざまな曲折を経て、現在は大松株式会社が所有しておられます。
平成22年(2010)には清流亭は国の重要文化財に指定されています。
沓脱石
京都市の北部にある、鞍馬の山でとれる石ですが、今では採取が禁止されている貴重な石です。
まっすぐ、もしくは少し膨らんでいる程度のものが、水もたまらず、沓脱としてとても価値があるものとされています。優しい赤みを帯びた色は、鉄分を含んでいる為です。
智識寺塔心石
十三重石塔の前に据えられています。
この心礎は智識寺のものと伝えられています。
智識寺の心礎は、現在「石神社」にもおさめられており、そこに残存する東塔心礎は一部欠損していますが、清流亭におかれている心礎はほぼ原型を保っていて貴重な心礎です。
八角の灯籠。丹後国興謝郡の、宇良神社にあったものが移された灯籠です。
大同年間(806年〜809年頃)の作品。
七畳の庭の手水鉢
苔で覆われた水鉢は、涼しげに水をたたえています。
背の低い手水鉢に役石をおいて趣を加えたもの。
欄間の扇
残月の間と名付けられている書院にある、欄間です。
筆をとったのは、いずれ劣らない16人の著名な日本画家たちの手による、扇絵の共作が、そのまま欄間のデザインに組み込まれています。
この日は片方の欄間が外され修復中でした。
書院 残月の間
書院は入母屋作りの桟瓦葺屋根の建物で、柿葺が軒葺きとして屋根をふちどっています。
表千家伝来の残月亭に習った間取り+書院の格調を高めたデザインが、清流亭の書院の特徴です。
残月の間から眺める景色は、まるで一枚の絵画を切り取ったかのような、美しい緑の森が広がります。
こちらから、庭を眺めているだけでも贅沢な時間に感じます。
水石居(氷炭亭)
寄付のさらに南方に、水石居があります。水石居とは、土間席の茶屋をさします。別名を「氷炭亭」といい言うそうです。
土間の中央に白川石を組み、大きな炉をしつらえています。立席茶席としてだけではなく、寄付、応接、食事など様々な催しに利用されていたようです。
桐浴先生の解説もわかりやすく、イヤホンガイドの使用もあり、聞き漏らす事も無く清流亭を初めて見学しました。
持主が代わっても、現状を維持されているのは素晴らしい事と思います。
地図にも載らない南禅寺別荘群、、、
企業が迎賓館として使われ、一般には公開が無いのが残念です。
しかし、ニトリが所有する對龍山荘は似鳥会長の方針で公開されるようになったのは喜ばしい事です。
以前に宿泊施設として営業されていた"洛翠"はその後に日本調剤が所有され、その後、ユニクロの柳井会長が個人で購入されたそうです。
こちらも公開の機会は無さそうです。