京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

南禅寺塔頭 天授庵

2021年11月10日 06時46分00秒 | 日記
 11月6日は、午後からJR東海「そうだ 京都、行こう。」のイベントで南禅寺別荘群の中でも最高傑作と言われる「對龍山荘」に行く予定です。

その前に南禅寺周辺を拝観します。





先ずは大好きな塔頭寺院のひとつ天授庵を拝観します。





天授庵は南禅寺塔頭の中でも寺格の高い寺院で南禅寺開山大明国師(無関普門)の開山塔を有する寺院です。







受付を終え書院の前庭には桔梗や秋明菊、石蕗など季節の花々が咲いています。









本堂前庭は南禅寺三門を背景にした枯山水庭園で春の新緑、秋の紅葉が庭の白砂と見事に調和しています。







本堂前庭との境を示すかのような小さな門を潜ると、もうひとつの庭園・書院南庭が現れます。
後世に一部改造されたようですが、ダイナミックで雄大さを持つ池泉回遊式庭園です。
天授庵創建当時の庭園が残されています。











ご覧の通り、一部は紅葉が見頃となっていました。

次に南禅寺発祥の地と言われる南禅院を拝観します。











日向大神宮

2021年11月09日 07時17分00秒 | 日記
 11月7日は少し早い紅葉を求めて日向大神宮へと来ました。



途中には"びわこ疏水船"の発着場所があります。
煉瓦造りの建物は"旧御所水道ポンプ場"で設計は片山東熊です。

琵琶湖疏水の主任技師を務めた田邊朔郎の姉が片山東熊に嫁いでいるので義理の兄に当たります。








参道を歩く事、約15分で立派な神明造りの鳥居が迎えてくれます。





見えてくるお社は"外宮"で、境内のさらに奥には皇室の祖先とされる天照大神をご祭神とする"内宮"が鎮座されています。





また、境内の端には伊勢神宮遥拝所もあります。

昔から"京の伊勢"とも呼ばれ、親しまれています。







内宮からさらに20m程進むと巨石をくり抜いた戸隠神社が鎮座されています。



御朱印を授与して頂き、帰り道に大日山墓地の"現場案内会"の貼り紙を見つけ寄って見る事に。



先程も書きましたが、琵琶湖疏水の主任技師を務め、外国の力を借りる事無く、自前の力で見事に完成された田邊朔郎の墓があります。帰りにお参りしました。

彼は東京の出身ですが東京工学校(東京大学工学部の前身)の卒業論文で琵琶湖疏水を取り上げ、それが第三代京都府知事の北垣国道の目に止まり京都府の技官に採用されます。

途中に水力発電への設計変更などの紆余曲折を経て明治23年に完成します。

北垣が北海道知事に異動した際にも帯同し、北海道の鉄道施設に貢献しています。









彼の思い出の地はやはり京都なんですね。
琵琶湖疏水を見下ろす大日山墓地に妻の静子(北垣国道の娘)と共に永遠の眠りについています。




東福寺塔頭 南明院(なんめいいん)

2021年11月08日 20時09分00秒 | 日記
 光明院の次に東福寺境内南端にある南明院(なんめいいん)を訪ねました。
今回が初訪問です。





南明院の開基は足利幕府第四代将軍義持で第二世住持は画僧として有名な吉山明兆です。

大正10年の火災で全ての堂宇を失いますが、西宮績翠寺の庫裏を譲り受け本堂としています。



ご本尊の釈迦如来坐像です。
鎌倉時代に再建された東福寺法堂のご本尊釈迦如来像(東福寺大仏)の化仏のひとつと言われています。

南明院に移された当時は激しく損傷していましたが、現在は綺麗に修復されています。





床の間には豊臣秀吉の異父妹の旭姫の肖像画が掛かっています。

当時、旭姫は既婚者でしたが離婚させられ徳川家康の正室として駿河に嫁いでいます。
しかし、4年後に病により47歳で死去しています。

徳川将軍家は浄土宗ですが、臨済宗における菩提寺はこたらの南明院になっています。





境内の墓地の一角には旭姫の墓があります。
歴代の将軍が上洛するたびに墓参に訪れていたそうです。

豊臣の世になり戦は無くなりましたが、徳川の力を恐れた秀吉は妹を家康に嫁がせる事で政権の維持をはかろうとしました。

旭姫はこの政略結婚の犠牲になられた方です。





境内のドウダンツツジが真っ赤に紅葉しています。







御朱印には藤原俊成の像と"冷泉家ゆかり"とあるのは、この一帯は冷泉家の所領だった事に由来しています。






東福寺塔頭 光明院-京都非公開文化財特別公開③-

2021年11月08日 07時20分00秒 | 日記
 知恩院三門を拝観後、東福寺塔頭の光明院へと来ました。





通天橋周辺のもみじはまだ"色づく"の状況で"見頃"は2週間後くらい先になると思われます。







山門を入ったところにある「雲嶺庭」です。
青石を使った三尊の石組が見事です。
すぐに重森三玲ワールドが始まります、







「波心庭」と名付けられた庭園は、重森三玲が昭和14年(1939)に東福寺本坊庭園の作庭と同時並行で作庭されました。
当時の光明院住職が直接、重森三玲に以来されたそうです。

庭園の中心には枯池があり大海を表現しています。
その枯池には三ヶ所の三尊石組を配置し、そこから放射線状に光を放つ様子を立石で表現しています。

奥にはサツキやツツジの刈り込みがあり雲を表現しています。
さらに上には茶室「蘿月庵」がありますが今回は非公開です。



別の茶室からの「波心庭」の眺めです。







今回の特別公開では通常非公開の書院二階が公開されていますが、生憎写真撮影は禁止になっていました。
(過去に2度、二階に上げて頂いています。)



光明院の藤田ご住職は、ご実家はごく普通の会社員の家庭で育てられた方ですが、どんなきっかけがあったのか?戒律の厳しい禅宗の僧侶になられた方です。

妻帯せず東福寺、自坊の光明寺の法灯を守られています。

将来を嘱望されている和尚さまで将来は東福寺本坊の管長猊下になられるかも知れない方です。









知恩院三門-京都非公開文化財特別公開②-

2021年11月07日 08時24分00秒 | 日記
す 「食堂デイズ」でハンバーグ定食を頂き四条通を東へ。知恩院へと来ました。





三門内部が来月7日まで公開されています。

知恩院は浄土宗総本山で末寺約七千を有する大寺院です。

豊臣の時代から徳川の時代となり知恩院は徳川将軍家から庇護を受け大寺院となります。

それを象徴するのが二代将軍秀忠が寄進した三門です。





2階内部には宝冠釈迦牟尼像(重文)をご本尊に脇侍に、善財童子と須達長者(共に重文)が安置されています。

また、宝冠釈迦牟尼像を囲むように十六羅漢像(重文)がお祀りされています。





天井には龍や迦陵頻伽が描かれ、浄土の世界を彷彿させる極彩色に彩られています。





楼上には霊元上皇宸筆の「華頂山」の巨大な額が掛かっています。

毎年4月18日から8日間行われる「ミッドナイト念仏in御忌」の初日には三門二階では夜通し"お念仏"が唱えられます。

内部及び楼上からの撮影は禁止です。
写真はネットからの転載です。