京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

奈良興福寺 五重塔初層特別公開

2021年11月15日 09時56分00秒 | 日記
 11月10日はアスニー山科で天龍寺宗務総長の小川湫生師の講座「天龍寺と長州藩」の講義を受講し奈良へと向かいます。





やって来たのは興福寺五重塔です。
初層に入るのは初めてです。



来年から本格化な修復工事に入る予定で費用捻出の勧進の意味合いもあるのでしょうか?拝観料は1000円です。



興福寺五重塔は天平2年(730)に光明皇后の発願による建立されたのが最初です。
以降、火災や兵火で5回にわたり焼失しています。

公家の最高の地位に居続けた藤原氏の氏寺だけに、その度に再建されて来ました。

現在の五重塔は室町時代の応永33年(1426)に再建されたもので国宝に指定されています。

高さ約50mあり、東寺の五重塔に次いで2番目の高さを誇ります。



内部は心柱を中心に東に薬師如来坐像、西に阿弥陀如来坐像、南に釈迦如来坐像、北に弥勒如来坐がそれぞれ三尊形式でお詣りされています。

須弥壇の一部からは心礎の上に据えられた心柱を見る事が出来ます。





東側には一部足場が組まれています。

今回の公開は11月23日までですが、来年3月1日から31日までも公開されます。



次に14時に予約している正倉院展に向かいます。






山科地蔵と徳林庵

2021年11月14日 07時17分00秒 | 日記
 11月10日はアスニー山科で天龍寺宗務総長の小川湫生さまの「天龍寺の歴史と禁門の変」の講演に申込みをしていました。





いつものように1時間早く着き、山科地蔵にお詣りしました。







山科地蔵は852年に小野篁により造られた6体の地蔵尊像のひとつで当初は伏見の六地蔵の地にありました。





後白河天皇は都の守護、都往来の安全、庶民の利益結縁を願い、平清盛、西光法師に命じ、1157年に都の出入口6ヶ所に一体ずつ分置されました。

旧東海道が通るこの地に一体が安置され、東海道の守護となり人々の崇敬を集めて来ました。



毎年の8月22日、23日の「六地蔵巡り」では多くの参拝者で賑わいます。



境内には仁明天皇の第4皇子・人康親王のお墓があります。
病気の為に出家し、山科四ノ宮に山荘を造営し隠棲された事から「山科宮」と称されています。



御朱印は本坊の門に「書置き」と「地蔵幡」が箱の中に置かれていて、それぞれ300円です。



代金は賽銭的に入れるシステムです。
日本は平和なんですね!
外国では考えられない事だそうです。












永観堂禅林寺 夜間拝観

2021年11月13日 06時58分00秒 | 日記
 11月6日は、南禅寺別荘群のひとつ「對龍山荘」を見学し、その後、永観堂の夜間拝観に来ました。
今日が夜間拝観の初日です。





新聞の「紅葉だより」では"色づく"の状態ですが一部のもみじは紅葉が進んでいましたが全体的にはまだ青葉が多かったです。







こちらのメインは放生池を挟んで見る多宝塔ですね!









多宝塔を背景に真っ赤に紅葉したもみじの光景は素晴らしく"もみじの永観堂"の名に恥じない景色です。

全体が色づく頃にまた、来て見たいと思います。




南禅寺三門

2021年11月12日 08時33分00秒 | 日記
 勅使門を真っ直ぐ東に向かうと南禅寺のシンボル的存在の三門が見えて来ます。





禅宗寺院の七堂伽藍のひとつで現在の三門は藤堂高虎が寛永5年(1628)に"大阪夏の陣"の戦死者の菩提を弔う為に再建された建物です。

京都の三門、山門では唯一、常時公開されています。





南側の山廊の急な階段を登ると絶景が待っています。

上の写真は先程拝観した天授庵です。









歌舞伎「楼門五三の桐」で石川五右衛門の"絶景かな"の台詞を思います。

歌舞伎は創作なので、この山門が出来た時期と石川五右衛門が生きた時期とは一致しません。





内部には宝冠釈迦如来坐像をご本尊に脇士に月蓋長者、善財童子、左右には十六羅漢像が安置されています。

天井の鳳凰、天人の極彩色の絵は狩野探幽、土佐徳悦の筆によるものです。

(内部には入堂は出来ません。また、内部が見れるようになっていますが撮影禁止です。
写真はネットからの転載です。)



以前には無かった山門の御朱印も"新発売"されていました。



南禅寺 南禅院

2021年11月11日 06時34分00秒 | 日記
 南禅寺境内を通る水路閣(疏水分線)のさらに上に南禅院があります。







南禅院は亀山天皇が造営された離宮の跡で正応2年(1289)こちらの離宮で出家され法皇となられました。

その後、離宮を寄進され大明国師(無観普門)を開山に迎え禅寺とされ、南禅寺発祥の地となりました。





方丈中央には南北朝時代の作の亀山法皇御木像(重文)が安置されています。



襖絵は狩野常信と子の如川、随川の筆による水墨画です。







方丈から見た庭園も趣きがあります。





亀山法皇の御遺言で御遺骨が分骨されています。









庭園は国の史跡及び名勝に指定されている亀山法皇遺愛の庭園で、地中に心字池を浮かべた鎌倉時代を代表する庭園です。

お寺では亀山法皇の作庭としていますが、天龍寺曹源池庭園や西芳寺(苔寺)などを作庭した夢窓疎石の作との説もあります。



書置きですが南禅院の御朱印を授与して頂きました。
(今まで、御朱印をされているのを知りませんでした。最近に始められたのでしょうか?)

次に久しぶりに南禅寺三門に登りました。