京都つれづれなるままに

京都好きの旅日記。お寺、神社、グルメからスイーツまで!思いつくままに。

東本願寺 諸殿 京の冬の旅②

2025年01月18日 07時54分00秒 | 日記
 1月10日、建仁寺塔頭西来院に続いて東本願寺に来ました。









WEB予約で「僧侶がご案内する特別拝観」の15時30分〜の分に申込みしていました。

同じ拝観でも解説付きだと個人で拝観するより遥かに理解度が違います。







先ずは御影堂(重文)から拝観します。

明治28年に15年もの歳月をかけて建てられた御影堂は文字通り宗祖・親鸞聖人の御真影を安置している世界最大級の木造建築物です。

次にご本尊の阿弥陀如来立像を安置している阿弥陀堂を拝観。





内陣は天井から柱、お厨子まで金箔が貼られ、東本願寺の本堂に相応しく非常に荘厳さを感じます。

次の宮御殿(重文)からが今回の特別拝観になります。











菊門を右手に見ながら左へと進むと宮御殿があります。
大宮御所から移築された御殿で、内部は「撰虫図(むしえらびず)」や「大鷹狩図」など美しい大和絵の襖絵で宮中の年中行事が描かれています。





南に面した障子を開けると宮御殿庭園が望めます。
過去4度も火災に見舞われている東本願寺です。
御影堂を借景にした美しい庭園ですが、伽藍との間に池を配置し、傾斜を設けるなど防火対策を重視した庭園です。

池の水は以前は蹴上から本願寺水道を通して運ばれた琵琶湖の水が使われていたそうです。

次に桜下亭(おうかてい)を見学します。(重文)
残念ながら桜下亭は撮影禁止です。



「僧侶がご案内する特別拝観」では宮御殿・桜下亭の案内に加え、「僧侶がご案内する特別拝観」でのみ、桜下亭の曲り木の床柱やくりぬきの書院棚がある部屋への入室や能舞台外観(重文)も拝観できる特別感があります。



桜下亭(重文)は、数寄屋風の洗練された意匠が施された美しい建物です。





松の間、竹の間、梅の間の三室にはそれぞれ円山応挙59歳頃の襖絵「稚松(わかまつ)図」「壮竹(そうちく)図」「老梅図」が残っています。

もうひとつの特典が茶室の見学です。
8畳の茶室ですが、今は茶室として使われていないそうです。







最後に能舞台(重文)です。

明治13年(1880)に建てられ鏡板には幸野楳嶺(こうのばいれい)が描いた松の絵がありますが、保護の為にシートが被せられています。

僧侶の案内は非常に良かったです。
・詳しく説明が聞ける
・わからない点はその場で質問が出来る
・通常拝観なら叶わない入室して襖絵を間近で見れる
などメリットが多いです。

これだけの内容で"京の冬の旅"の料金800円に1400円をプラスするだけですから十分に価値があると思います。

なお、桜下亭の写真はネットからお借りしました。




京都「都和旅館」本格茶室・静佳庵ではじめる優しい茶会

2025年01月16日 08時59分00秒 | 日記
 1月12日は、Otonami 企画で京都「都和旅館」本格茶室・静佳庵ではじめる優しい茶会 −茶懐石をアレンジした彩り豊かな点心付き−に参加しました。









場所は西本願寺と東本願寺との間、東中筋通沿いに京都らしく路地の奥にひっそりとあります。







通されたのは地下にある大広間。
参加者は5名ですが、2名の方は遅れるとの事で僕を含めて3名で昼食から始まります。









大徳寺の縁高弁当箱に盛り付けられた花籠弁当は彩りも綺麗で食欲をそそります。

「いつも京都らしさを大切に
季節の味を尊び、素材を活かす。
一品一品、手をかけて技を凝らす。
目に美しく、味も良い。
それが都和旅館のお料理です。」
をモットーにされているだけに一品一品が吟味された食材で非常に美味しく頂きました。



次に茶道体験です。
色々な茶会には参加して来ましたが、本格的な作法を学ぶ機会は意外と無いものです。



「静佳庵」と名付けられた茶室は街中にありながら、心落ち着く本格的な茶室です。

それもそのはず、裏千家家元・16代坐忘斎宗匠が命名した、静謐で美しい茶室なのです。

職人による本格的な数寄屋の設えは、手仕事に囲まれた空間で、時間をかけて育てられた繊細な物達もちりばめられています。

大切な人をおもてなしするために、
若い人たちに和のこころを伝えるために、
気軽ではありながら本物の文化体験ができる場として、都和旅館では茶室「静佳庵」をお貸しすることで、これからの伝統文化の未来に貢献されています。

茶席での手水の使い方から始まり基本的な所作や作法を、女将が細やかにレクチャーがあり、知らなかった作法も多く教えて頂き勉強になりました。

少人数でこの様な体験が出来るのがOtonami 企画のいいところです。


食堂デイズ 夜の洋風居酒屋

2025年01月15日 09時14分00秒 | 日記
 1月10日、"京の冬の旅"で東本願寺をお坊さまの案内で諸殿をめぐり再び四条河原町まで戻って来ました。







18時に食堂デイズを予約していました。
何度も書いているお店ですが、こちらのオーナー清水正さんの作る料理は絶品です。

ランチタイムはふわふわのオムライスや数量限定の白オムライス目当ての若い方でなかなか予約が取れない人気のお店です。







しかし、夜は一転、「大人の洋風居酒屋」に変身し清水さんのオリジナル料理が店内の黒板にずらっと書かれています。

① カキミキュイ





広島県産の大粒のカキです。
シンプルに頂くのがベスト、、、
半分火が通った半生のミキュイ、、、海水のジュレで頂きます。

カキの濃厚なうま味とジュレの塩味とがバッチリです。

② ホタテポワレトリュフ





ホタテの貝柱の表面がカリッと焼かれ、その上にトリュフがたっぷりと載っています。

ホタテの貝柱からはホントいいうま味がでます。
それにトリュフをトッピング、、、
美味しくないはずがないです。
「洋風居酒屋」の極みではないでしょうか。

③ デイズ風炭火焼きハンバーグ





この日のメニューには無かったですが、お願いしました。(150g)

ランチタイムのオムライスに次ぐ看板メニューです。

世間では、肉汁たっぷりなジューシーなハンバーグがもてはやされていますが、僕は牛肉100%の「肉々しい」ハンバーグの方が好みです。

炭火で炙られた香ばしさ、肉の旨み、ソースとの相性はまさに抜群です。

これを頂かないと"食堂デイズ"に来た意味が半減してしまう感覚です。

④ ほうれん草とホタテ貝のリゾット





最後の〆は「ほうれん草とホタテ貝のリゾット」

見た目にもホタテ貝がたっぷりと盛られ、ほうれん草の緑色が鮮やかです。
糸状に削られたチーズが添えられています。

よく混ぜて、それぞれの食材のうま味のハーモニーを堪能しました。
また、熱々で出されるので寒い冬にはぴったりの一品です。



昨年の10月に食堂デイズを"貸切り"である会をしましたが、その中のひとりの方が「ここ、、、何を食っても旨いなぁ」との一言が印象的です。




京都ゑびす神社 十日ゑびす

2025年01月14日 08時33分00秒 | 日記
 1月10日、建仁寺塔頭のひとつ禅居庵を参拝し、直ぐ東側にある京都ゑびす神社を参拝しました。

8日から12日まで露店も沢山出て昼夜問わず賑やかな5日間です。

昔懐かしい"スマートボール"や"射的"の露店もあり、この一角だけは懐かし"昭和"を感じます。

京都では「商売繁盛」の願いを一心に集める京都ゑびす神社です。
参拝者の数も凄い人数がお詣りに訪れます。







京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれています。

その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。











今日多くの方々はゑびす神と言えば「商売繁盛の笹」をイメージされますが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったものだそうです。

笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となりました。





この日は鳥居のえべっさんに投げる硬貨や南側にある へのお詣りは出来ないようになっています。
(境内が狭いです。)




室町時代に京都で民間信仰として日本で最初に七福神信仰が興り、全国に拡がっていきました。
七福神は日本・中国・インドの神仏がうち連れて人々に幸運をもたらすとされています。
ちなみに、「ゑびす神」だけが七福神で唯一日本生まれの神様です。



参拝記念に切り絵の御朱印を授与して頂きました。





禅居庵 建仁寺塔頭寺院

2025年01月13日 08時57分00秒 | 日記
 1月10日、西来院を拝観し次に禅居庵をお詣りしました。
この日は禅居庵の新年祭、、、
しっかりとお詣りしました。







建仁寺塔頭の禅居庵 (ぜんきょあん)は、「摩利支天堂 (まりしてんどう)」とも呼ばれています。

この摩利支天堂は日本三大摩利支天のひとつです。



1333年に建仁寺第23世の清拙正澄(せいせつしょうちょう)禅師により創建され、摩利支天が祀られています。摩利支天とは陽炎が神格化した、仏教の守護神・古代インドの女神「マーリーチ」のことです。

サンスクリット語で〖陽炎〗という意味のMarici(マリーチ)の音を漢字で摩利支天としています。









摩利支天はその名の通り、陽炎のように変幻自由な捉えようのない実体で、進路を障害されずに光の速さで突き進むとされています。

そのため開運勝利の御利益があるといわれており、毛利元就、楠木正成、前田利家、大石内蔵助など、ときの武将や戦国大名なども摩利支天を信仰していました。







境内には狛猪をはじめとして数多くの猪の像や彫刻があります。これは猪が摩利支天の使いとされていることに由来しているといいます。

摩利支天像も7頭の猪の上に乗っている姿をしていて、その猪を従えたお姿から亥歳生まれの人の守護神として深く信仰を集めているほか、毎月最初の亥の日「ご縁日」や12年に一度の亥年の際には多くの参拝者が訪れます。



次に直ぐ西側の縄手通沿いにある京都ゑびす神社の十日ゑびすに向かいます。