「まず、日本人たれ(2)」から続く。
2.コンピューターの知識
江戸時代の寺子屋は、庶民教育に大きく貢献したと思う。当時、寺子屋のおかげで「読み書きソロバン」ができることは当たり前、できなければ恥ずかしいという風潮があったと想像する。このためか、今日でも日本人の高い識字率と暗算能力は国際的に定評がある。
「読み書きソロバン」のソロバンは江戸時代の必須知識、同様に今日の情報化社会では、コンピューターの知識は必須条件である。ここでは、ソロバンをコンピューターに置き換えて話を進める。
まず、コンピューターの歴史とその本質を振り返る。
(1)コンピューターの歴史
ソロバンの起源には諸説があり特定し難いが、紀元前の時代から存在したのは確かである。紀元前のソロバンの他に、人類はさまざまな計算機を考案してきた。パスカルの加算機(1649年)やライプニッツの乗算機(1674年)などは、歯車を利用した機械式計算機として有名である。
1940年代に入って、数字そのものを扱うデジタルコンピューターがアメリカとイギリスに現れた。1942年に軍事目的のABC(Atanasoff-Berry Computer、米国)、45年のノイマン型コンピューター(英国)と46年のENIAC(米国)など、目的に応じたコンピューターが開発された。たとえば、ENIACは真空管 18,800本 リレー1,500個を使用する弾道計算用のコンピューターだったという。
さらに、50年から60年代には月面着陸を目指すアポロ計画に応じて、コンピューターは大きく進展した。それらは汎用コンピューターと呼ばれ、ロケットなどの技術計算ばかりでなく、会計などの事務計算にも利用されるようになった。その後、数々の技術革新を重ねて今日のコンピューターに至った。
60年代と現在のコンピューターの違いを整理すると次のようになる。
1)CPU(Central Processing Unit:中央処理装置)の小型化と高速化
CPUは記憶・演算・制御をつかさどるコンピューターの中枢である。40年代のCPUは真空管、リレー、トランジスターを使用していたが、60年代からIC(集積回路)やLSI(大規模集積回路)を使用するようになり、CPUの小型化と高速化が実現した。
2)データ記録の高密度化
コンピューターはデータを磁気テープなどに記録する。その状態を「データを記憶している」という。60年から70年代にかけて、データの記録方法が大きく進展し、記憶密度が非常に高くなった。したがって、単位面積当りのデータ記憶量が増大した。この頃は、磁気ディスク、磁気ドラム、磁気テープ、ICやLSIなど、データの記録媒体は日進月歩だった。その結果、数値や文字データだけでなく、白黒画像、カラー映像、さらにデータ量が多い動画の処理が可能になった。
3)通信ネットワークの進展
60年代には、アメリカの大学や研究機関のコンピューターを結び、広域ネットワークを構築しようとするアーパーネットプロジェクト(Arpanet Project)がスタートした。その目的は、宇宙開発、コンピューター技術、臓器移植などの先端技術を国全体で推進することにあった。
このプロジェクトで開発されたコンピューター同士を結ぶ通信規約、TCP/IP(Transmission Control Protocol/Internet Protocol)は、60年代中頃から実用段階に入り、現在のLANやインターネットでも使われている。
ヒューストン大学の授業でも他大学やNASAなどにTSS(Time Sharing System)を接続していた。TSS端末の画面はソニーテクトロ二クス製、67年頃には有人カプセルのシミュレーション実習などに使っていた。教室で、ソニーテクトロの画面が一番良いと先生に褒められ、日本人として嬉しかった。
通信ネットワークの媒体も、銅線(電線)と電波の他に光ファイバーに進化し、高速・多量データ伝送が地球規模で実現した。
4)データベースソフトの発達
データベースソフトの分野では、アポロ計画と共にIBM社が開発に乗り出したIMS(Information Management System)、さらに生産管理システムに必要な部品展開用のBMプロセッサー(BOM Processor)は、データベースソフトの原点になった。
データとデータを結び付るポインターやオンライン処理中の排他制御(Exclusive Control)は、データベースソフトの基本機能である。これらの基本機能は、60年代後半から実用段階に入り、その後も改善を重ねて、今日の高度なデータベースソフトが実現した。この頃から、通信機能付きデータベース(DB/DC:Data Base/Data Communication)が主流となり、遠隔地からデータベースを利用できるようになった。
高速CPU、大容量メモリー、通信技術、データベースソフトが互いに相乗して、80年代には大型汎用コンピューターは全盛期を迎えた。次に、90年頃から大型汎用機のダウンサイジングが流行語になり、企業ではコスト削減のために、安価で手軽なクライアント/サーバーシステムへの乗り換えが盛んになった。この頃には世界の通信ネットワークの信頼性も向上し、英語圏ではe-mailやインターネットが急速に広がった。
このようなコンピューター技術の大躍進を背景に、「工場管理7月号」で紹介したグローバルシステムの開発が90年代初頭に可能になった。グローバルシステムの実現は地球規模の通信ネットワークの賜物だったが、開発作業(各国の共同作業)そのものが国際ネットワークで容易になった点も大きい。
その一社はアリゾナの半導体製造業、他の一社はカリフォルニアのソフト製造業、2つのグローバルシステムだった。それぞれのプロジェクトでは、関係書類(標準語=英語)を本社の文書管理サーバーで一元的に管理し、各国の事業所はその情報を共有した。
各国選出のジョイントプロジェクトチームは、定例会、個別打ち合わせ、各国持ち帰り宿題の成果を文書管理サーバーに提出し、プロジェクトの進捗状況やシステムトラブルの解決状態も全世界に公開した。このようなプロジェクト管理のおかげで、筆者は2社のプロジェクトに同時に参画することが可能になった。
今日の情報化社会では、個人、企業ともにコンピューターの本質を理解していることが望ましい。コンピューター教育では出遅れた日本、次回は、65年頃のアメリカの教科書と筆者が社員教育用に作った珍しい資料(76年/95年)で、現代の「ソロバン」を“見れば分かる”ように説明する。
「コンピューターの知識(2)」に続く。