4月10日から続く。
今回は、都市の住みやすさと大きさを比較する。
下の表は、マーサー(注)「2013年世界生活環境調査‐都市ランキング」から引用したものである。ウィーンは、表に示すように2011年と12年で1位、また、表にはないが2010年と2013年(最新)でも1位だった。ウィーンだけでなく、上位10番までは毎年同じような顔ぶれである。【注:マーサーはアメリカのコンサルティング会社】
この表の上位を占める都市の大まかな人口は次のとおりである。
1位ウィーン:170万人、2位チューリッヒ:37万人、3位オークランド:130万人、4位ミュンヘン:130万人、5位バンクーバー:57万人
これらの都市の人口は200万人以下、ウィーンは京都(150万人)程度の都市である。巨大なニューヨークや東京は、毎年40~50位辺りに現れる。
ウィーン、チューリッヒ、ミュンヘンは古くて落ち着いた大人の街、典型的なヨーロッパの都会である。そこは、垢抜けた人々、石畳の広場と建物、静かな路面電車が行き交う空間である。毎朝、ていねいに磨いたショウ・ウインドウの専門店が並び、その街独特の文明と文化が生まれ育つ。【補足:文明=ハード系(道具、設備、建築、技術、工場など)、文化=ソフト系(言語、習慣、芸術、学問、ルールなど)】
下の図は、1963年のロンドン地下鉄(Tube)の路線図である。船乗りとして筆者が初めてロンドンを訪れたときの記念品である。その歴史は古く、1854年頃から建設が始まったという。地下鉄の乗換駅では地底深くに延びるエスカレーター、そのエスカレーターでは人は右端に立ち左側を急ぐ人に譲るというルールがあった。地下鉄というハードにルールというソフト、そのソフトはパリやウィーンなどに共通だった。
歴史ある西欧の近代都市とは対照的に、ここ3、40年で急速に発展した若くて成長盛りの都会がある。中心地のショッピング・センターは子供連れでにぎわう。
たとえば、筆者が仕事で2012年まで行き来したバンコクも急速な近代化を遂げた街である。
1970年代後半、初めて仕事で訪れたバンコクは、主な道路はあちこちで工事中だった。この頃は、欧米や日本のODA(政府開発援助)で道路網の建設と社会インフラの整備が始まった時期だった。
その後、2000年に長期滞在で訪れたバンコクは交通渋滞で世界に有名だった。渋滞の中には昔懐かしい旧式の日本車、ポンコツのトラックやバスがあふれていた。時には、ベトナム戦争で活躍した木造ボディーのトラックも見かけた。また、バス強盗が乗客の金品を強奪したという記事(日系紙)もたびたび目にした。
やがて、バンコクから周辺の工業団地に延びる高速道路が次つぎと開通し、ポンコツ車はいつの間にか消えてしまった。
下の写真は、通勤時間帯の市内の風景、金曜日の夜と事故以外の渋滞はまれである。
日本以上に広々とした高速道路網、その料金所に集まる車を見ていると、日本以上に日本車が多いと感じるほどである。世界のデトロイトを目指す政府の方針にもうなずける。
99年12月から運行し始めたスカイトレイン(市内高架鉄道)も2005年頃までは空席が目立ったが、景気が回復するにつれて、乗客が増加した。近年の通勤時間帯は下の写真のとおりである。最近、混雑で危険なためフォームドアを導入する駅が増えという。04年にはメトロ(地下鉄)も開通したが、スカイトレインとメトロともに延伸中である。
上の写真から分かるように、女性の社会進出は盛んである。たとえば、経理、生産管理、購買、品質管理、顧客管理などの女性部課長はよく見かける。筆者の知る大学院卒は、なぜか男性より女性が多い。また、全国の屋台ではおばさんが主役、一般に男性の影は薄い。
国王を心から尊敬するタイ人、皇室レベルでタイと親交のある日本、日本欧米の経済支援による社会インフラの整備、日系企業の進出と雇用機会の増加など、さまざまな要因でスーパーに日本食品が多くなった。【11年のデータ;日系企業3133社(工場1735社)、工業団地62ヶ所、推定日本人約7万人(短期出張や旅行者を含む)】
下の写真は、バンコクの大手スーパーの食品売り場である。数字はタイ・バーツ(約3円/バーツ)である。
街の屋台でもキッコーマンや味の素が当たり前、牛乳、ヨーグルトはコンビニの定番である。スーパーやデパ地下の食品売場では、にぎり寿司のパックなどに人気がある。
調味料だけでなく、下の写真のように日本の食品が出回っている。
家庭用クーラーや冷蔵庫が珍しかったバンコクでも、スーパーの家電売り場で炊飯器、冷蔵庫、クーラー、テレビ、パソコン、ケータイ、デジカメが安く手に入るようになった。家電が普及するにつれて、以前は屋台に頼っていた食事も自宅で作るようになった。【補足:一般家庭の台所は、流し台だけの簡単なものが多い。しかし、その食生活が変化し始めている。・・・筆者の見聞】
生活水準の向上、調理器具の普及と食生活の変化、食品添加物と残留農薬の心配、これらは食材への関心を高めた。「あの地区は農薬を多用するので野菜の虫食いが少ない」などという噂が、急速に普及したケータイで広がるとたちまちその野菜の売れ行きが落ちるという。
下の写真は、バンコクに4店舗を展開する日系スーパーの店内である。特に、写真のように日本直送の農産物には人気がある。「卵ご飯」に使える日本直送の「生卵」は日本人の隠れた貴重品である。
ここで、日本の農産物の輸出状況に触れておく。下のグラフは、NHKクローズアップ現代(2014/4/14)とFAO(国連食糧農業機関)と朝日新聞のデータから作成したグラフである。
2010年の日本の総輸出額は63.9兆円、そのうち農産物の輸出額は下のグラフに示す3400億円、単純計算では総輸出額の0.5%に過ぎない。日本の農産物は評判が良い割に輸出額は少ない。最近はTPPで悲観論もあるが、農産物の海外進出まだまだ有望である。
グラフ右下に示す日本政府の2020年の目標はわずか1兆円、その時の世界需要は680兆円で日本の目標は680分の1のシェアーに過ぎない。
話を戻すが、近代化に数百年を費やした西欧諸国、戦後の焼け野原から出発した日本、3、40年で発展したタイ、その道筋は国ごとにさまざまだった。しかし、程度とタイミングの違いはあるものの、現在の地球は、成長の次にくる高齢化の局面にさしかかっているのは間違いない。その高齢化は、人間だけでなくハードとソフトにも進み始めた。「歴史は繰り返す」は昔の話、現代ではそうではない。たとえば、移民の受け入れも時代遅れの手法である。そもそも、移民に出る側でも高齢化が進み移民にでる余裕がなくなるかも知れない。
幸か不幸か、急速な発展を遂げた日本は、トップバッターの形で急速な高齢化に直面している。下のリストは、2100年を視野に入れて筆者がこころに描くなすべき事項を示している。
ここで、横浜発明振興会の発展を祈り、このセミナーを終了する。今後はこのリストに掲げる項目を具体的にこのブログで展開する。
なお、予定を少し変更して、次回はハノイ旅行の紹介、その後に上のリストの項目を順次検討する。
続く。