3月25日から続く。
ここで、総務省統計局のデータで日本の過去と将来の人口を説明する。
下のグラフによると1925年(大正14年)に約6000万人だった人口は、60年後の1985年(昭和60年)に約1億2100万人に倍増した。その後、成長率は鈍り2008年に約1億2800万人のピークを迎え、人口は減少に転じた。
現在も人口減少は徐々に進行し、2050年頃に1億人を割り込み、さらに2100年頃には4600万人とピーク時の3分の1近くまで落ち込むとみられている。
ちなみに、1903年(明治36年)の日本の人口は約4600万人、この頃の日本は日露戦争(1904年開戦)、欧米では、F.Taylorの科学的経営(1911)やF.Gilbrethの動作研究(1911)などで工業の近代化が進んだ時代だった。
1903年から約100年後の2008年には、1億2000万人、さらに2100年の人口は4600万人とまるでジェット・コースターのように急上昇と急下降を繰り返す。この間、1900年代の蒸気機関車や蒸気船に頼る時代はジェット機やグローバル・ネットワークの時代に進展した。近代化と人口増の100年に続き、老化と人口減の100年がやってくる。
ここで、近未来の40年先に目を移すと、下のグラフのように少子高齢化が具体的に見えてくる。
上のグラフでは、0~19歳の人口比率がすでに60年代から2000年にかけて急速に減少する反面、2000年頃から75歳以上の人口比率が直線的に増加し始めた。
下のグラフと表は、上のグラフを人数で表している。
上の表の2060年では、65歳以上の人口(11,279+23,362=34,641千人)が総人口(86,737千人)の40%を占めることになる。この3464万人のうち、65~74歳は1127万人でかなり大きな数字である。気力と体力のある65~74歳の人々が生産活動に参加すれば、統計上の悲観論も少しは改善する。
話は変わるが、少子高齢化の話題には「移民受け入れ論」が付きまとう。移民1000万人を受け入れるとの記事を数年前に目にしたが、最近も似たような記事に出会った。【参考:「移民受け入れで人口1億人維持『年20万人』内閣府試算」朝日新聞朝刊、2014/2/25】
下の図は、朝日の記事を再現したグラフである。政府の「選択する未来委員会」は年内に報告書をまとめて、15年以降に毎年20万人の移民を受け入れるという。
上のグラフで、移民の総数や出生率の意味が分らないが、もし出生率の回復で9136万人を達成できるならば、移民の受け入れは不要だといえる。
もし、出生率は回復せず、かつ移民を受け入れると2100年の総人口はどうなるか。この数字は記事にない。
この案は毎年20万人の移民を受け入れるというが、製造業の空洞化が進む国内に毎年20万人の雇用を創出できるのだろうかと疑問に思う。
雇用創出には東北地方だけでなく、他の自治体も苦労している。
富山県の例:国の交付金を活用して「緊急雇用創出基金事業」を実施しています。これにより、平成21年度から平成27年度までの7年間で合わせて17,500人程度の雇用創出を目指しています・・・富山県のHPから引用、ただし基金の金額は不明。
雇用創出ばかりではなく、ヨーロッパ諸国と違って、歴史的に多民族&多言語に馴染みがない日本、約1億1000万人のうち2~3000万人が移民系になれば、国の存亡にかかわる問題になる。
現在、日本ビジネスのグローバル化はめざましい。この流れと同時に、移民受け入れで日本の国民が多民族化すると、必然的に言語の問題が浮かび上がる。オーストリアのように、ドイツ語(国語)能力を移民の必須条件にしても決め手にならない。
日常生活とは別に、ビジネスでは英語が幅を利かすことになる。もともとグローバルな英語とローカルかつマイナーな日本語が並立すると、日本語が急速に退化する恐れがある。やがて、英語が準公用語または第二公用語になる可能性も出てくる。もし、準公用語/第二公用語になれば官庁や公共サービスや報道の英語化も必要になる。
さらに、移民系の人口が増えるにつれて勤勉、誠実、和、向学心、整理整頓を重んじる日本の国民性が変化する恐れがある。現在の国民性が生み出す日本固有の文学、芸術、建築、工芸品、技術や食文化は、有形・無形の資産であり、そこから優れた仕事や製品が生まれてくる。もし、この国民性が変化/退化すれば取り返しがつかない失敗になる。そのときの日本は、多民族が好き勝手に暮らす寄り合い国家、さらに国家財政が傾けば最悪である。
世界に知られた日本文学、芸術、建築、工芸品、工業製品や食文化を守り、それらを発展させて人類に貢献する。これが日本の道であって、ただの数合せ的な移民策は、移民を受け入れる日本国民と移民する人々の双方を不幸にする。
余談になるが、筆者は、船乗り時代から今日まで東南アジア、中東、欧米、太平洋諸国を渡り歩いた。ここ30数年間は主に日系工場の生産管理にかかわった。日系工場が生産する製品は現地では少々高いが品質は“買い”である。また、工場で働く人々の「行ってみたい国」や「研修を受けたい場所」は日本だった。また、欧米の下宿、アパート、ホテルでも「きれいに住む日本人」は歓迎、アラビアの田舎でも日本人と分かると屋台の焼き鳥を只で勧められた。50数年にわたる海外経験では、行く先々で多くの親切を受けたが、幸い不愉快な思いは一つもない。これは個人的ものでなく、日本と日本人に対する人々の信用である。
「数は力、力は金」を信奉する政治家や経営者はさておき、この地球には、人口が少なくても国民は文明を享受し、かつ経済的に豊かな国も多い。
筆者もよく知るオーストリアやオランダは、それぞれ真似のできないユニークな国々である。
オーストリアとオランダの産業は、すでにこのブログ2013-09-10と09-25で説明したので省略するが、3ヶ国の経済指標は下の表に示すとおり隣り合っている。しかし、これら3ヶ国の人口と国土は大きく違っている。
下の表は3ヶ国の概要である。山がないオランダの人口密度は約400人/平方Kmであるが、山国の日本やオーストリアと単純に比較できない。ちなみに、もし日本の人口が4200万人程度に減少すれば人口密度は約110人/平方Km、この数字は現在のオーストリアに近い。この程度なら、実際に住んでいても寂しくは感じない。
ここで言いたいことは、人口が多いことと国の豊かさは別問題、たとえば、GDPの総額より、国民一人当たりの額が大切である。
日本、オーストリア、オランダの一人当たり名目GDPと実質経済成長率は、グラフのとおりよく似ている。
現代は国際経済の時代、先進国においては特殊な事情で数年間にわたる特異な動きも、やがてグローバルな流れに乗って平均的な動きに戻っていく。
下に示すオランダの失業率は、オランダ病とワークシェアリングの功罪で80年代から2000年頃まで大きく変動したが、その後は小康状態だった。しかし、今後はふたたび悪化するとの見通しがある。
オランダ病の根底には、1960~70年代の好況と人手不足と主にインドネシア(旧植民地)からの寛容な移民受け入れがある。現在では一部、移民のゲットー化も進み、若い技術者が自国に失望して移民するケースもあるという。
続く。