「ハノイ旅行(8)---ハノイの近況」から続く。
(3)タムコック
ハノイとホーチミンを結ぶ1号線をハノイから約80km南下するとニンビンのインターチェンジがある。観光案内書によると、ニンビンの南西約6kmに「陸のハロン湾」といわれるタムコックがある。ハロン湾はハノイのほぼ真東約180km、柱状石灰岩(タワー・カルスト)が林立する世界自然遺産(1994年)である。
タムコックからハロン湾にかけては、タワー・カルスト地形、約2億5000万年前に海底から隆起したといわれている。この地域の海岸部分は、11万年ほど前に沈下、ハロン湾の絶景が出現した。
旅行者のブログなどにはあまり良くない風評があるので、今回はハロン湾を避けて静かなタムコックを目指した。また、タムコックの近くには、千年ほど昔に栄えた古都ホアルーもあるので、帰りに立ち寄ることにした。
ニンビンまでの1号線は片道2車線、よく整備されていた。しかし、ニンビンのインターチェンジは工事中、その先の1号線は片道1車線の普通の田舎道だった。筆者たちのドライバーさんはベトナム人、しかし、インターチェンジから先は土地の人に聞きながら手さぐりでタムコックを目指した。
インターネットを「タムコック ニンビン」で検索するとGoogle地図がでてくる。しかし、その地図に「Tam Coc Boat Ride(タムコック・ボート乗り場)」とあるが、地図、航空写真、筆者の記憶、それぞれの情報の整合性がなく、上の写真の位置は確かではない。かなり有名な観光スポットだが、その正確な位置はなんとなくはっきりせずベトナムらしい。未知が多いベトナムはおもしろい。
下の写真はタムコックの舟溜りである。ここから往復約1時間半の遊覧の旅が始まる。ボートの定員は漕ぎ手を入れて4~5人、ライフジャケットはなしだった。
タムコックの舟溜り
舟溜りから数百メートルは、水草が水面まで茂っていた。水の流れはほとんどないが、水草の浄化作用で水はかなり透明だった。しかし、小魚の姿は見えなかった。
下の写真は、上流に向かって舟溜りを漕ぎ出したところである。今日は月曜日の午前中、観光客が少なくのどかな遊覧になった。
タムコックの風景1
下の写真は観光客の舟、日除け傘の舟はみやげ物屋や記念撮影のカメラマンである。途中で気づいたが、行き来するボートの漕ぎ手は、手でなく足の裏でオールを漕いでいた。その方法が楽らしい。
タムコックの風景2
切り立った山に近づくと、下の写真のように岩肌に浸食跡が見える。流れが石灰岩を削ったのはなく、石灰岩が水に溶け出したように見える。
タムコックの風景3
水で浸食された洞窟を抜けると、その先も同じような風景が続く。下の写真は、いくつ目かの洞窟を抜け出るところである。
タムコックの風景4
さまざまなタワー・カルストを巡って舟溜りに帰ってきた。舟溜りの有料トイレは清潔、しかし料金箱はなく誰に払っていいのかが分からず、結局は支払わなかった。記念写真の売り込みはあったが、みやげ物売りの付きまといもなく、全体にのんびりとした雰囲気だった。
(4)ホアルーの古都跡
タムコックからの帰り道、タワー・カルストと田畑の道を北上、ホアルーに立ち寄った。ホアルーは、ディン王朝(968~980)と前レー王朝(980~1009)の都があった土地である。その都は40年ほど続いたが、前レー王朝の終りにタンロン(現ハノイ)に移された。そのような歴史から、ホアルーは千年前に栄えたベトナムの古都といわれている。
下の写真は、レー王を祀るレ・ダイ・ハン廟の入口の門である。コンクリートの表面はカビや風化で汚れていた。
レ・ダイ・ハン廟の入口
この門の内側を一巡したが、ヨーロッパや日本の旧跡に比べると非常に質素だった。また、観光案内書には「古都ホアルー」とあるが、筆者にとってはコンクリート製の門や敷石は、古都という言葉になじまなかった。石灰岩の山々と田んぼは夢の跡、見るべきものは何もなかった。
歴史ある古都は別として、タムコックとレ・ダイ・ハンでニコン(ナイコン)やキャノンを手にした記念撮影屋さん(男女)が印象に残っている。彼らは日本製品の大切なお客さん、持ちつ持たれつの間柄なので記念写真を買ってみたら、できは良かった。この辺りで電動バイクの女性4、5人に音もなく後ろから追い越されたときはヒッヤとした。
ニンビン市付近でハノイとホーチミンを結ぶベトナム南北線の踏切を通過した。南北線は日本でいえば、東海道線である。下の写真は踏切、ときどき列車が通過するようである。踏切に遮断機はなく、列車が通るときに車輪付きフェンス(写真中央)を車道に移動するようである。
ハノイ-ホーチミン線の踏切---ニンビン市付近
上のような光景から、この国の交通インフラが未発達であることが分かる。日本の常識では、南北線の次のステップは、時間をかけて電化と複線化である。しかし、この常識は今の世では必ずしも常識ではない。インターネットやケータイは、先進国と途上国の区別なく、2000年代初頭に世界同時(グローバル)に普及した。
詳しい仮説は省くが10年もすれば、この辺りでは自動運転の車が走り回り、ニーズさえあれば定時性に対応した大量輸送が実現しているかも知れない。独裁国は別にして、最新のテクノロジーの普及には国境はなく、そのスピードは意外に速い。また、この種の改革には、人間が中途半端に介在せず、知能ロボットに任せる方がうまくいくかも知れない。しかし、もし任せるときは、知能ロボットがもつ法的な知識(国内法/国際法/グローバル・スタンダード/言語)が問題になる。
「ハノイ旅行(10)---ハノイの食堂」に続く。
(3)タムコック
ハノイとホーチミンを結ぶ1号線をハノイから約80km南下するとニンビンのインターチェンジがある。観光案内書によると、ニンビンの南西約6kmに「陸のハロン湾」といわれるタムコックがある。ハロン湾はハノイのほぼ真東約180km、柱状石灰岩(タワー・カルスト)が林立する世界自然遺産(1994年)である。
タムコックからハロン湾にかけては、タワー・カルスト地形、約2億5000万年前に海底から隆起したといわれている。この地域の海岸部分は、11万年ほど前に沈下、ハロン湾の絶景が出現した。
旅行者のブログなどにはあまり良くない風評があるので、今回はハロン湾を避けて静かなタムコックを目指した。また、タムコックの近くには、千年ほど昔に栄えた古都ホアルーもあるので、帰りに立ち寄ることにした。
ニンビンまでの1号線は片道2車線、よく整備されていた。しかし、ニンビンのインターチェンジは工事中、その先の1号線は片道1車線の普通の田舎道だった。筆者たちのドライバーさんはベトナム人、しかし、インターチェンジから先は土地の人に聞きながら手さぐりでタムコックを目指した。
インターネットを「タムコック ニンビン」で検索するとGoogle地図がでてくる。しかし、その地図に「Tam Coc Boat Ride(タムコック・ボート乗り場)」とあるが、地図、航空写真、筆者の記憶、それぞれの情報の整合性がなく、上の写真の位置は確かではない。かなり有名な観光スポットだが、その正確な位置はなんとなくはっきりせずベトナムらしい。未知が多いベトナムはおもしろい。
下の写真はタムコックの舟溜りである。ここから往復約1時間半の遊覧の旅が始まる。ボートの定員は漕ぎ手を入れて4~5人、ライフジャケットはなしだった。
タムコックの舟溜り
舟溜りから数百メートルは、水草が水面まで茂っていた。水の流れはほとんどないが、水草の浄化作用で水はかなり透明だった。しかし、小魚の姿は見えなかった。
下の写真は、上流に向かって舟溜りを漕ぎ出したところである。今日は月曜日の午前中、観光客が少なくのどかな遊覧になった。
タムコックの風景1
下の写真は観光客の舟、日除け傘の舟はみやげ物屋や記念撮影のカメラマンである。途中で気づいたが、行き来するボートの漕ぎ手は、手でなく足の裏でオールを漕いでいた。その方法が楽らしい。
タムコックの風景2
切り立った山に近づくと、下の写真のように岩肌に浸食跡が見える。流れが石灰岩を削ったのはなく、石灰岩が水に溶け出したように見える。
タムコックの風景3
水で浸食された洞窟を抜けると、その先も同じような風景が続く。下の写真は、いくつ目かの洞窟を抜け出るところである。
タムコックの風景4
さまざまなタワー・カルストを巡って舟溜りに帰ってきた。舟溜りの有料トイレは清潔、しかし料金箱はなく誰に払っていいのかが分からず、結局は支払わなかった。記念写真の売り込みはあったが、みやげ物売りの付きまといもなく、全体にのんびりとした雰囲気だった。
(4)ホアルーの古都跡
タムコックからの帰り道、タワー・カルストと田畑の道を北上、ホアルーに立ち寄った。ホアルーは、ディン王朝(968~980)と前レー王朝(980~1009)の都があった土地である。その都は40年ほど続いたが、前レー王朝の終りにタンロン(現ハノイ)に移された。そのような歴史から、ホアルーは千年前に栄えたベトナムの古都といわれている。
下の写真は、レー王を祀るレ・ダイ・ハン廟の入口の門である。コンクリートの表面はカビや風化で汚れていた。
レ・ダイ・ハン廟の入口
この門の内側を一巡したが、ヨーロッパや日本の旧跡に比べると非常に質素だった。また、観光案内書には「古都ホアルー」とあるが、筆者にとってはコンクリート製の門や敷石は、古都という言葉になじまなかった。石灰岩の山々と田んぼは夢の跡、見るべきものは何もなかった。
歴史ある古都は別として、タムコックとレ・ダイ・ハンでニコン(ナイコン)やキャノンを手にした記念撮影屋さん(男女)が印象に残っている。彼らは日本製品の大切なお客さん、持ちつ持たれつの間柄なので記念写真を買ってみたら、できは良かった。この辺りで電動バイクの女性4、5人に音もなく後ろから追い越されたときはヒッヤとした。
ニンビン市付近でハノイとホーチミンを結ぶベトナム南北線の踏切を通過した。南北線は日本でいえば、東海道線である。下の写真は踏切、ときどき列車が通過するようである。踏切に遮断機はなく、列車が通るときに車輪付きフェンス(写真中央)を車道に移動するようである。
ハノイ-ホーチミン線の踏切---ニンビン市付近
上のような光景から、この国の交通インフラが未発達であることが分かる。日本の常識では、南北線の次のステップは、時間をかけて電化と複線化である。しかし、この常識は今の世では必ずしも常識ではない。インターネットやケータイは、先進国と途上国の区別なく、2000年代初頭に世界同時(グローバル)に普及した。
詳しい仮説は省くが10年もすれば、この辺りでは自動運転の車が走り回り、ニーズさえあれば定時性に対応した大量輸送が実現しているかも知れない。独裁国は別にして、最新のテクノロジーの普及には国境はなく、そのスピードは意外に速い。また、この種の改革には、人間が中途半端に介在せず、知能ロボットに任せる方がうまくいくかも知れない。しかし、もし任せるときは、知能ロボットがもつ法的な知識(国内法/国際法/グローバル・スタンダード/言語)が問題になる。
「ハノイ旅行(10)---ハノイの食堂」に続く。