Sweet Charity - #Dance Scenes (The Aloof, The Heavyweight, The Big Finish)
先週は雪積もりましたね。 コロナのおかげで、職場も学校も「いざとなったらオンラインで~(^^♪」みたいなヨユーが生まれ、雪国はかなーりラクになりました。 コロナで結果的に進化した部分や断捨離できたモノも結構ありますよね。
あとだしが有利になっている現状はどうかとおもいますが~~~💦💦💦
なんでこんなに必死なんや? マイナカード。 あんたら、うちの大事な
ばーちゃんをけんもほろろに追い払ったやんか3カ月前は~~~💦💦💦
ニュースで道路が詰まった(膠着した)っていうニュース見ても 詰まってるのはトラックばかりで、まあ自家用車は抜けさせてもらってるのかもしれませんけど、基本的に職場や学校から「何が何でも来い」みたいなことがなくなっているのかなあと。 社会の進化ですよね。 あとは、荷主への体裁のために とまるってわかってる道路にクルマをださなければいけない運送業界が変わるといいんですけどね。 雪が降りだしたら 経済活動をとめて ゆっくり雪をたのしめる、人口の年代比率に応じた熟成した社会生活があってもいいなあとおもいます。 あって、2,3日のことですしね。
高1と小5の姉弟、ずっとうちのまわりで雪遊びしていました(2時間!)
そう、社会って変わっていくことができるんですよね。 きっかけがなんでも。
児童手当の所得制限を撤廃の方向へ、なんてニュースがありましたが、これもきっかけはコロナですよね。
コロナで少子化が進んだ、これなんて 一度でも出産したことがある方なら そりゃそうでしょ~っておもってらっしゃるとおもいます。
今って、コロナ対策のために 妊婦が出産のために入院してから退院するまで 家族は(オットですら)面会もできないんですよ。(ガラス越しにあかちゃんを見学はできるとおもいますが。)
わたしは 下の子を帝王切開で手術で産んだ時ですら オットに立ち合いを求めました。 上の子のときの経験から ひとりで産めるとはとてもおもえなかったから。
低血圧のせいでほとんど麻酔なしでおなかを切開されたんですけど、オットはメスを入れた瞬間、血が噴き出して 医師スタッフはおろか分娩室の天井まで血が撒き散らされているのを見て、ニンゲンがこの世にたったひとつのいのちを受けることの凄さを感じたらしいです (あとで、医師に 奥さんが立ち合いありきで切開に同意したので特例的措置でしたと聞かされたオット)
そういう立ち合いもいっさいなし、マスクや防護服にかこまれて たったひとりで産まなければいけない・・・・(テレビ電話とかはあるんでしょうけど) 立ち会って臨場感を共有した家族もいなくて、ぽっと出現したような扱いのあかんぼ・・・・・ よっぽどじゃなかったら この時期の出産は避けますよね 産み控えますよね。 初産だったりしたら わたしなら産める気がぜんぜんしない・・・・ てか、なんで家族が増えるって瞬間に その製造者がそろってないんだってハナシよね、製造者責任(PL法)はどっちもあとあとずっと問われるのに。
炊飯器キッシュ~~~
少子化対策に所得制限に手をつけるっていいとおもいます。 以前こども手当だっけ? 民主党政権下で 所得制限なしに こどもひとりにつき毎月2万6千円手当てをつけるってやつ、あれがあったら うちも三人目産んでたかも~(いや、年齢的にそれはないか)当時は、2万6千円くらいもらっても 保育料のはんぶんにもならんしな~くらいにしかおもってませんでしたが、そのあとこどもたちが進学していくにつれ、小中はおもったよりお金がかからないんですよね(公立なら)その9年間に26,000×12カ月=312,000円×9年間=2,808,000円ためることができたら、学資保険用意できたみたいなもんだし、それを元手に奨学金で補てんしていく設計図も描きやすいですよね。 まあ、そのくらい大学資金が こどもの数をかんがえるときのネックにはなっているかとおもいます。
カレーライスとジャーマンポテト
そもそも、親がこどもの最終学歴まで責任をもたなきゃいけないっていうのも、かんがえてみればおかしなハナシですよね。 じつは なければないで、わたしみたいに 授業料免除や給付型の奨学金を組み合わせてなんとかなっちゃったりもするんですが、それも親に収入がなかったからできたこと。 親がなまじちゃんと稼いでたら、こどもはぎゃくにそんな互助の道も絶たれちゃうんですよね。 だから、親は安全弁までかんがえて あるていど多めに貯金せざるを得ない。
ほうれんそうのミモザサラダ、チキン南蛮、鮭の黄金焼き
高校まではまあともかく(未成年なので)、そこから先はもっとこどもに自活させる方向になったほうが、個人にとっても家庭にとっても社会にとってもいいんじゃないかとおもいます。
プレ実社会みたいにして、いきなりお金まんまじゃコワいから、まずポイント集めて(成績あげたりバイトしたりボランティアしたりして)そのポイントを使って大学に行く、そこでポイントを利殖したり、技術や技能、知識を得てライフを増やす、そういうモラトリアム期間。
いまみたいに 大学に助成金をあげるんじゃなくて、成年になる瞬間、高校を卒業するときに 各こどもに500万円をクーポンみたいなカタチで支給して、大学に入学したらそこから入学金分、1回生の授業料のクーポンが切られて、進級できなかったら 次の年のクーポンはもうなし、じゃあ手に職つけるかって 専門学校に入りなおしたら またそこでクーポン(上限500万で)、残金は国が運用して、5年後10年後 その子が学びなおしたいとか事業を起こしたいとかそういうときに引き出せるようにするとか?
ムスメ焼肉プレート
制度は失敗したらまた組み立てなおしたらいいので、もっと柔軟にいろいろためしてみて、こどもたちにチャンスと展望をあたえてあげてほしいです。
建設会社や私学の大学に勤めましたが、公共工事をもらうための、補助金をもらうための書類作り、公的なところで働いたときは議会で質問されたときの資料作り・・・・ 民間にいても報告書稟議書相見積もり・・・・ そのための職員、総務課、営業補助・・・・・ 社会全体が膠着してるし、再分配のためにお金と人手と時間をつかいすぎですよね。 パイがちいさくなってきているのに そのパイに乗りたい人がいっぱいいて、いつもケンカばかりしているみたいな。
いちどこどもに「失敗してもええからやってみ?」って じぶんにどう投資するかかんがえる機会をあげたらどうでしょう?
プルコギつくってみた~ うまかった~
なにかの待ち時間に 河合隼雄氏の「対話する人間」をダウンロードして読んでたんですが、おもしろいなとおもったお話をここに書いてみます~
ネグレクトぎみに育ったこどもが小学校にあがってきました。 まわりの子との距離感がわからないので、いつももめています。 そんななか担任の先生が優しい言葉をかけてくれ、その子は卵からかえった雛が初めて見たものを親とおもうような衝動で、しつこいくらい担任の先生につきまといます。
先生がちょっとでもその子から目をはなそうものなら、その子は先生の腕をつねってくるそうです。親からは得られなかった愛情を取り逃がすまいととにかく必死です。
先生は、その子を抱き上げて、そのままずっと過ごすことにしました。 授業中も片手でその子を抱いて もう片手で授業します。
クラスのほかの子たちは 目の前で 先生がひとりの子をずっとだっこして授業してる異様な光景に、だれひとりなにもいいませんでした。
その子はだんだん安心を得て、ちょっとずつ先生から離れられるようになりました。
それでも、たまに先生がその子を抱き上げていると、クラスの子たちが「先生、それはひいきだよ」とかいってくるようになったそうです。「ボクもだっこしてほしい」。
河合隼雄氏がいうには、こどもには本質的なものを見抜く目があって、ある子が心から本当にそれを必要だとおもって 先生がそれをしてあげているぶんには、それが一般常識からはありえないほど遠くの行為でも、ひいきだとかずるいだとかおもわない。
ただそれが惰性になって もう必要がそれほどないのに 与えられすぎている子がいると それはおかしいといいはじめる。 その本質加減を見る目こそが信頼に足る指標ではないか。
オトナはよかれとおもってムダの多い再分配システムを構築してしまい、いまやそれにふりまわされて、肝心の教育される主体を見失っている気がします。 もっとこどもを信用して、まかせてみてもいいのでは。
新鮮な牡蠣が売りのお店にいきましたら、まさかの牡蠣生産者が老齢で今日は海にでられなくて~と
てんぷら3つだけ~
でも、ほかのお料理もおいしかったので満足~
サービスの小鉢に野菜があるとうれしい。
いいよね、老齢に、てゆーか高齢者の健康にふりまわされる経済
つっけんどんだけどいつもいるワカモノよりも血がかよってる気がする。
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