荒城の月 ハーモニカ演奏

2010,3,28 中日新聞 24面より引用
荒城の月
土井晩翠 作詞
瀧廉太郎 作曲
1、春高楼の花の宴
めぐる盃かげさして
千代の松が枝わけいでし
むかしの光いまいずこ
2、秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数見せて
植うるつるぎに照りそいし
むかしの光いまいずこ
3、いま荒城のよわの月
替わらぬ光たがためぞ
垣に残るはただかづら
松に歌うはただあらし
4、天上影は替わらねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお
嗚呼荒城のよわの月
二十世紀最初の1901年(明治34)年に
発表されてから、長年にわたって歌
われる日本の名歌。作曲した瀧廉太
郎が少年時代に見た富山城や、石垣
がある大分県竹田市の岡城を脳裏に
浮かべて作ったといわれ、富山城に
も岡城の城址にも碑が立つ。他にも
作詞の土井晩翠ゆかりの福島県会津
若松市の鶴ケ城、仙台市の青葉城、
岩手県二戸市の福岡城跡にも立って
いる。ところがこの歌、最初に発表
された際の普面では、「♪春高楼の
花の宴…」の「はなのえん」の「え」
のところが、今普通に私たちが歌って
いる音よりも半音高くなっている。
つまり最初は、そこに(♯)音がつけ
られていた。その♯を外したのは、
なんと山田耕作。(中略)
実はこの♯音はジプシー音階の特徴で
そのままだとハンガリー民謡に間違え
られてしまうためだった。その後、ほ
とんどの歌唱や演奏は、♯のつかない
ものに定着したのだった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
▼そんな事情があったんですね。童謡
には、半音がないわけがわかりました。
私たちの子供の頃はハーモニカが授業
でありました。そんな時半音があると
とても子供には無理でしょうね。半音
があることが分かったのは随分と後の
ことです。今でも半音がないために、
ハーモニカを何本も口にくわえて演奏
していますね。

2010,3,28 中日新聞 24面より引用
荒城の月
土井晩翠 作詞
瀧廉太郎 作曲
1、春高楼の花の宴
めぐる盃かげさして
千代の松が枝わけいでし
むかしの光いまいずこ
2、秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数見せて
植うるつるぎに照りそいし
むかしの光いまいずこ
3、いま荒城のよわの月
替わらぬ光たがためぞ
垣に残るはただかづら
松に歌うはただあらし
4、天上影は替わらねど
栄枯は移る世の姿
写さんとてか今もなお
嗚呼荒城のよわの月
二十世紀最初の1901年(明治34)年に
発表されてから、長年にわたって歌
われる日本の名歌。作曲した瀧廉太
郎が少年時代に見た富山城や、石垣
がある大分県竹田市の岡城を脳裏に
浮かべて作ったといわれ、富山城に
も岡城の城址にも碑が立つ。他にも
作詞の土井晩翠ゆかりの福島県会津
若松市の鶴ケ城、仙台市の青葉城、
岩手県二戸市の福岡城跡にも立って
いる。ところがこの歌、最初に発表
された際の普面では、「♪春高楼の
花の宴…」の「はなのえん」の「え」
のところが、今普通に私たちが歌って
いる音よりも半音高くなっている。
つまり最初は、そこに(♯)音がつけ
られていた。その♯を外したのは、
なんと山田耕作。(中略)
実はこの♯音はジプシー音階の特徴で
そのままだとハンガリー民謡に間違え
られてしまうためだった。その後、ほ
とんどの歌唱や演奏は、♯のつかない
ものに定着したのだった。
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▼そんな事情があったんですね。童謡
には、半音がないわけがわかりました。
私たちの子供の頃はハーモニカが授業
でありました。そんな時半音があると
とても子供には無理でしょうね。半音
があることが分かったのは随分と後の
ことです。今でも半音がないために、
ハーモニカを何本も口にくわえて演奏
していますね。