こ も れ び の 里

長崎県鹿町町、真言宗智山派、潮音院のブログです。平戸瀬戸を眼下に望む、人里離れた山寺です。

お手向け(おたむけ)

2010年05月05日 | 仏教
子孫は、50年の間、ずっと灯明をともし、香を焚き、花を捧げ、
水をかえ、仏飯をそなえ、そして手を合わせ・・・。
様々の形で心を養い、そしてその心をお供えしてきました。
この事を総称して「ご供養をする」とか、
「お手向けをする」とか言い習わしていますね。
そんで、50年忌を迎えたら、
「もう半世紀にもなるし、そろそろ節目を付けましょか」ということで、
「お手向け」してたのを止めてしまう、すなわち
手向けていた手を挙げてしまう、んですね。
で、「手あげ供養」。
手向けていた手を納めてしまう、
で、「手納め供養」となるわけですね。

さっそく、
一月前に手あげ供養を営まれた不良○○○さん、
いや失礼、末娘様より貴重な情報を提供いただきました。
 >昔は「霊(タマ)の木」と呼ばれていて
 >「霊」が宿る木とされていたんだそうですね。
 >そのタマが訛ってタブに成ったのではないかと?
ありがとうございます。
なるほど、かなりピンときました。
50年を過ぎたご先祖の御霊は、
その家をお守り下さる氏神様の位(あり方)へと変化をとげられるんだと、
そう聞き及んでいます。
神様ですから、離発着のための鳥居の類が必要になる。
その鳥居の役割を果たす卒塔婆の木は、
「霊」が宿る木でなければならない。
「タブの木」が使用される由縁はここにありそうです。
小枝とタブの葉を残した状態で卒塔婆をつくるわけは、
おそらく、「霊(タマ)の木」であることの表示の為か、
または、神位へ変化することを「小枝の新芽」でもって象徴させたものか、
それとも、「手あげ供養」だから「手を挙げた」卒塔婆にしましょうか、
ってくらいの洒落なのか?
真意のほどは・・・。


コメント
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