「戯論(けろん)」という言葉があります。
これは、とても大切な言葉で、
物事に対して、勝手なレッテルを貼ってそのものごとを観てしまうこと、
色眼鏡を通した見方をしてしまうこと
すなわち、物事の本質や、ありのままの姿を見ていない、見逃してしまうこと、・・・そんな意味です。
たとえば、山本太郎という人が居るとします。その人の行動や発言を聞いて、
「あ~、この人は自己陶酔型の非常識で短絡的な人だなあ」っていったん思えば、
そういうレッテルを貼ったままで、この人を観てしまう。
すると、本来の姿や本質、ありのままを見ることができない状態に陥ってしまうんです。
山本太郎という人物に対して、こんな色眼鏡で見続けてしまいますので、
どんどんその虚像が勝手に広がっていってしまいます。これを戯論(けろん)に陥るといいます。
その人の本質、ありのままの姿を見ることができれば、
ほんとは、「純粋な心を持った正義に生きる、たぐいまれなピュアな人間」
と言うことになるのかもしれません。
・・・ちょっと喩えがまずかったかもしれませんが、
800円のワインのラベルと8万円のワインのそれとを貼り替えてみれば、
多くの人が、そのラベルが示すレッテルに惑わされることでしょう。・・・う~、これも例えがいまいち。
ま、要するに、ありのままの本質を見抜いた状態、それが、「無戯論(むけろん)」であり、
空に生きるということでもあります。ものの本質は、空性である、とも表現します。
垢や埃をぬぐい去った「本来清浄心(しょうじょうしん)」、とも表現できます。
さあ、色眼鏡をはずして、ありのままの姿を見つめましょう。
思い切って、そのレッテルを剥がして見つめてみて下さい。
きっと、あなたの環境は激変するはずです。穏やかで豊かな社会生活に変わっていくことと思いますよ。