前回、「私たちの思いや言動は、すべて心の奥底に「記録」され、
そしてその人の人格を形成する原動力、人生を操るおおもとになる」と言うことを話しました。
これは、仏教の基本的な考え方です。ですから、十善戒の実践をとても大切にしますね。
行動と言動と思いに、いつも心を注ぎながら生活しなければなりません。
ところで、近年では、アルツハイマーなど認知症予防を目的とした「脳科学」の発達もめざましく、
インターネットやマスメディアを通してわかりやすい解説や予防法が説明されています。
その中でも、今脚光を浴びているのが、
<人への悪口や怒りは、自分の脳にダメージを与えている>
という科学です。
悪口や怒りをぶつけることは、その時だけストレス発散が出来て爽快で…かもしれません。
しかし、脳にとっては嫌な言葉や思いによるダメージの蓄積にもなっているそうです。
なぜか?
実は、<脳には、誰に言っている言葉なのか理解できない>のだそうですよ。だから、脳は、
自分が攻撃されていると判断し、ストレスをためてしまうそうです。
人の悪口を言ったり怒りちらしたりしたあと、なんだか気分悪いなあ~っ...てことありませんか?
自分に言っているわけではないのに、まるで自分が攻められているような錯覚に陥ってしまう
後味の悪さ。これは、脳が「自分が悪口を言われている」と勘違い、
「自分が罵倒されている」と勘違いしてダメージを受けているからだそうです。
<悪口や文句を普段から言っていると脳はどんどん劣化する>
普段から悪口や文句ばかりを言っていると、脳は日常的に攻撃されてばかりいる状態になってしまい、
ネガティブな言葉が脳にどんどん蓄積され、考え方も荒んでいくことになるそうです。
そして、蓄積された巨大なストレスは、脳の老化を早め衰弱させてしまう。
(参照:http://magald.com/column/n30-waruguti.php)
ということは、出来るだけ人をほめたり優しい言葉を掛けたりすることが、
大事なことのようですね。そのことで、恐らく自尊心も養われますし、
心地よい気持ちで過ごせるのでしょう。もちろん、脳の老化も防げるわけです。
これら先端科学のお話しを聴くにつけ、二千数百年の昔から説かれ続ける仏教の教えに、
ビックリするばかりです。拝
多くの人が心打たれている言葉に、
「心が変れば態度が変る、態度が変れば行動が変る
行動が変れば習慣が変る、習慣が変れば人格が変る
人格が変れば運命が変る、運命が変れば、人生が変る」
というのがあります。...
これはおそらくヒンズーや仏教的な土壌から生まれた言葉でしょうね。
私たちは皆、人生で何が最も大切なことなのか(価値観)、ということを、
無意識に思いながら生きているんだと思います。(「無意識に思う」って矛盾してますが、
まあ察して下さい。)
一瞬一瞬に口をついてくる言葉、行為、思いは、その価値観によって支えらている。
そして、その一瞬一瞬の言動や思いが人生をつくりあげていくんです。
その人を操っていく、と言っても良いでしょう。操られるのです。
私たちの思いや言動、行為は、すべて心の奥底に蓄積される、といいますか、
「記録」されていきます。ただ記録されるだけではなくて、その人の人格を形成する原動力
になるんです。人生を操る動力。芝居でいえば、ステージでは見ることのできない脚本や
演出家なんです。
この演出機能付き記録装置を、仏教では「阿頼耶識(あらやしき)」と言います。
アラヤシキを変換すると、「荒屋敷」となりますが、これは違います。
しかしながら、自らの価値観によって作り上げられる(操られる)人生が、
その人やその人の周囲にとって、望まれる姿であるのかどうか、
・・・そこが大きな大きな問題となってきます。
思い悩み苦しむ人生の原因はなんなんだろう?
何で私だけがこんな目に遭うんだろうか?・・・
その原因を外に求めていくことをやめて、自らの心に求めた時、
自分の思いや言動が、その人生を作り上げてしまっていることに気づく事が出来る。
自ずからその突破口が開けてくる。
そんなスキルを、仏さんは示してくれています。合掌