<1920年から1930年頃。朝鮮半島は金堤「大聖寺」の住職肖像画。
私の祖父「石田光心」です。開教活動のなか、新寺を建立し
教宣拡張に心血を注いでいた頃の若き住職です。>
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年忌のお話しを少しさせて頂きます。
みなさんは、お寺から承ける年忌供養のお知らせを知って、なんとなく予定を組んでなんとなく供養を施し
なんとなく安心してなんとなく・・・ってところが実際のところだと思います。
実際は、毎年お祥月の命日はやってくるわけですから、その命日供養をきっちりやってれば、
ことさら年忌供養に心を注ぐ必要はありません。
しかしながら現実の生活は、日々家事や仕事や趣味、地域活動etc.。多忙な毎日。
また、時間の経過と共に故人への思いもついつい薄れてきてしまいます。
もちろん、それは人間の至極自然なありかたです。それが悪いわけではありません。
しかし、人生という時間の流れのなかに、少しだけ手間と時間をかけて、日常とは違う非日常の時空を
あえてこしらえる、ということも大切なことであると思います。その中で、日頃おろそかになっている
故人への感謝や菩提を祈る心を持つ。それから、何より大切なことは、日頃疎遠になってしまう親戚の方々が
一堂に会し、昔話に花咲かせ、親睦と絆を深めるまたとない貴重な時間となることです。
そこで、年忌の設定というシステムが重要になってきます。
だから、年忌と年忌の間は、間合いがすごく長くなっています。一例を示します。
潮音院では、1周忌、3回忌、7回忌、13回忌、17回忌、25回忌、33回忌、49回忌(50回忌)という
8種類の年忌をおすすめしています。
実は、この8種類には、簡単な法則が秘められてるのです。
1周忌は、「今生のお別れをして、初めての月日が一巡りしましたよ」、という意味です。
3回忌は、「今生のお別れをした日を含めて3度目の命日がきました」、という意味です。3という数字は、
古来より物事の基本となる数字です。また、調和や安定をもたらす数字でもあります。
五徳って、三本足だから安定します。七五三、三三九度、三位一体、などなど、枚挙にいとまありません。
7回忌は、次の13回忌に対応する年忌設定です。13回忌までおよそ半分のところ、折り返し点まできましたよ、
ということ。昔から、13回忌は故人の魂が最も安定する時期であると云われてきました。
昔は土葬でしたから、ご遺体はお墓の土中に埋められ、その上に山から拾ってきたたくさんの野石を積んでお墓にしました。
で、13年という時間の経過と共に、土葬の状態も落ち着いて墓所そのものが安定する。
そんななかで生まれた魂の完全安定説!
この13年を期に、野積みのお墓を改葬し、その場所に立派な石塔墓を建立していました。
13年目に、きちんと石塔建立のできる家、もしくは世帯主を、一人前と認められていたようです。
17回忌は、先の例と同じく、33回忌の半ばまできましたよ、という意味です。
さて、33回忌という年忌がポイントになりますが、この33年というのは、昔の「弔いあげ」(打ち止め供養)なんです。
所謂「手あげ供養(手納め供養)」が33回忌だったんですね。お寺にある戦前の各種資料を眺めていると、
たしかに、33回忌までの年忌の記述しかありません。平均寿命が延びた現代にあって、弔いあげの供養も、
自然と先延ばしになったと思われます。17回忌は、昔の弔いあげまでの折り返し点です。
25回忌は、現代の弔いあげ供養の定番である49回忌(50回忌)の折り返し。
こうやって、命日が遠くなればなるほど、年忌と年忌の間も長くなっていく。それが自然のあり方です。
・・・とまあ、こんな具合。
ひとつひとつ説明を施していると、いささかしつこいような、めんどくさいような気もしますが、
近年、必要以上にたくさんの年忌設定をしてある印刷物が目に入って、気になってしょうがありません。
皆さんには、是非本来のあり方をご承知おき下さって、いろんな情報が飛び交う現代の魔物に
惑わされることなきよう、よろしくお願い申し上げます。合掌