今回の巨木訪問の特徴は、過去の事例と異なり個人宅の屋敷内に存在すること、従って家庭訪問と言う訳にもいかず、前面道路から覗ける範囲でご紹介しようかと思う。訪問先は、吉年邸(河内長野市)だ。その前に3月16日付け記事(長野神社のカヤノキ)を立ち上げ戴き、両者併せ持ってご覧頂けたら幸いです。実は両者はお隣どうしで、連続してご紹介したかったのですが時間が空きました。ご容赦を。
所在地は南海電車の河内長野駅前で、これまた、「駅近徒歩5分、但し駐車場は無し・・・・・・」の条件は全く同様です。吉年邸は「吹屋」と呼ばれる業種のようで、河内鋳物師の系統に属する流れの模様。内部には多分だが、遺構が残されているのでしょう。現場が高野街道の集結地であるのは過去のレポートのとおり、交通の要衝でもあったようです。
件のクスノキは屋敷内に所在するのですが、余りにも巨木なので、外部からも容易に覗えます。画像でお解りのように、大きなクスノキがそびえ立っているでしょう。現場にあった河内長野市教委の解説板によると、大きさは幹周りが凡そ5メートル、樹高が約20メートル、樹齢は不明だが数百年は経過してるでしょう。長い歴史と所在地の特異性から長らく保存されてきたのでしょう。街道の旅人にとっても一里塚代わりだったのかも。クスノキは巨木になりやすい傾向があるようですが、この樹も資質に恵まれたようですね。
佇む細い路地がかっての「高野街道」で、京大阪と高野山とを結ぶ大街道だったようですが徒歩旅行の時代のこと、現在では狭い路地にしか見えませんね。現在地から山裾を回りながら「三日市宿」へと繋がり、旅人の大半は三日市宿で宿泊されたようです。「油屋」と呼ばれる本陣がありましたが、近年解体されてしまいました。
最後に吹屋について少し触れておきますが、金属の精錬や鍛造を行う仕事や職人或いは工場群を指していたようです。どんな商品を作っておられたのかは不明ですが、鉄を使って工具や日用品を加工されていたのでしょう。