木漏れ日の雑木林

金剛山の西山麓で里山の保全活動を行っています。自称若者集団ですが、実態は?

水利組合への出役

2024年03月01日 05時05分32秒 | 耕作放棄地

水利権という財産権がある。と言っても条文上の根拠は無いようで、専ら慣習法上の権利とか何とか言われている。通常は河川管理者の許可を得た上で、一定の流水を排他的・継続的に使用出来る権利と理解されている。ダム、水道、農業用水等が該当するだろう。水田稲作に於いては流水の利用が必要不可欠だ。其処で用水路を開設し近隣の水田に流水が行き渡るように工夫されている。我田引水、等の言葉もここらから生まれたものであろう。用水路には開削工事と日常のメンテナンスが要求される。開削工事は数百年の昔・・・・・と解され、問題は日常のメンテナンスだ。

用水路も工作物である限り、時の経過によって劣化する。補修と維持管理が要求される次第。其処で利用者は「水利組合」なるものを立ち上げ、維持管理に当たっている。各地で用語は異なるかも知れないが、管理団体が存するのは同じだろう。つまり農業は単独では出来ず、共同作業が必要となってくる。相身互いが農村の習わしなのだ。

前置きが長くなったが、要は当地にも水利組合が存在し、共同作業の必要性があると言うことだ。定例的なものは、稲作前の水路の清掃や総会の開催等が存在する。例年5月の初旬に実施されるのが通例だ。我々が関与する農地群には3名の地権者が存在する。所有者責任で水利組合への参加が要求されるのだが、A氏は参加、B氏とC氏は我々に丸投げ・・・・・・・といった状況だ。そこで長老と子狸が代理として参加している。

この代理参加だが、長老と子狸が参加するのに異論は無いが、他の仲間達が知らぬままとなっては継承上問題が生じるかも。従って「交代参加」のシステムが必要かとも思案している。若しも長老や子狸が耕作不能となった場合、水利組合の事が継承されない可能性がある。

繰り返しになるが、農作業は個々人で実行するのが大半だが、それだけで終了するのでは無い。地域との共同作業が必要不可欠なのだ。自己流の理屈で自前農法に走るのもよろしいが、生態系の維持や地域環境の保全には地域社会との連帯が必要不可欠。どうかすると自前の農法を引っ込める必要性があるのかも知れませんね。

 

 

 

 

 

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