当地は山間部の棚田地帯である。狭小な田畑が階段状に連なる、典型的な山村風景だ。当然ながら田畑も上下に分かれ、少なくとも1メートル程度から数メートルの段差が生じている。平面である田畑を作り上げるには擁壁が必要だった模様で、石垣で積み上げた直立な壁で平面の田畑を支えている。恐らくだが、積まれたのは数百年以上の昔かと思われる。楠公さん(楠木正成)が活躍した頃、つまり鎌倉時代中期には当地でも稲作が行われていたようで、石垣構築はそれ以前だったのかも知れない。
当初に組まれた石垣は現在も使用され、棚田の保全に大きな役割を果たしている。地域の村人は今も修理しながら石垣を使い続けているのだ。画像でもお解りのように、自然石を使ってそのまま積み上げてある。俗に言う「野面積み」と呼ばれる技法だろうと思う。石を加工して積み上げる技術が無かった時代の産物だ。メリットは排水性が高いので壊れにくいこと、デメリットは高い石垣には不向きなこと、だろうか。当地の石垣棚田も高くて数メートルの段差である。
石垣というと大阪城を思いだすが、彼の石垣は石を加工して精密に積み上げてある。野面積みの時代から大分後の世の構築であろう。城郭建築で言うと、山城→平山城→平城と辿っていった最終版である。大阪城の話が続くが、現状の大阪城は確か徳川時代の構築、何かの報道で見たのだが城郭内から豊臣時代の大阪城の石垣が出現したとか何とか。その石垣は野面積みだったように記憶している。
さて当地の石垣だが、流石に施工する石垣職人はほぼ見当たらない。近江国には穴太衆と呼ばれる技術者集団が存在されるようだが、当地では聞かない。従って石垣の補修には現代技術を用いるしか無いのだろう。
最後の画像は師匠の田圃の石垣だ。実は数年前の台風襲来で、従来の石垣が破壊されてしまった。困った師匠は修復を依頼したようだが石工集団の技術者が見当たらず、現行の工務店に依頼された模様。コンクリートで立方体を作り、トラックで現地に搬送、重機を使って積み上げるという手法だったようだ。棚田の見事な景観にイレギュラーな構築物の存在、何とも殺風景なんだがやむを得ない事情だったのだろう。
自然石で積まれた棚田の光景は何とも美しい。台風等の災害に負けず劣らず、生き残って後世の世の人々をも楽しませて欲しいものだ。