序章 目覚め
夏の暑い日であるが、まだ昼前なので木々の間を渡って来る風が心地よい。
長野新幹線の上田駅から千曲バスで70分ほど走った鹿教湯温泉(カケユ)に在る湯治場では、都会の街中に比べて過ごし易さが格別である。
また、この地に有る旅館は温泉の効能と共に、人情味溢れる土地柄と、おかみさん達の飾らないもてなしとで、湯治に来た年配者は、来たというよりも帰って来たという親しみからリピーターが多く、ご主人を亡くされて年配の奥様からは
『おもてなしの気持ちがひしひしと感じられ、寂しい思いも無く、退屈もせず、楽しく過ごすことができ感謝いたしております。』
との御礼状が寄せられたりしている。
食事は、特別な料理は無いが、地元で採れた山菜と、新鮮な川魚料理が楽しめるのも湯治客にとっては大きな魅力となっている。
そして、人間と共存している動物達も猿と鹿が多いが、ここは人間の領域なので熊の出没は殆ど無く、夏になると多くのセミが種の存続のために力強く雌を求めて叫び始め、夏真っ盛りの今、湯治場の温泉宿の木々のセミができるだけ遠くの雌に愛が届けられるように忙しく鳴いている。
その時、治子は窓の外の鹿の「ギューイ、ギューイ。」という鳴き声で目を覚ました。
治子は温泉宿の朝食の片付けと部屋の掃除も終り、転寝をしていたのだった。
治子は体がまだ寝ている中で、何時ものように自分が辿ってきた道のりを思い起こしていた。
治子がこの温泉宿に来てから十年になるが、辿り着いた時の死への願望から、生きることの執着への変化の過程に、窓の外に居る雄鹿が大きくかかわっている。
それは、この雄鹿がまだ小鹿の頃に、猟師によっては母鹿が命を落とし、この小鹿も頭に傷を負っていた時に、その小鹿を治子が温泉宿に連れて帰って介抱してやり、自殺をしようと考えていた自分が、生きるということを小鹿から学んだのであった。
そして、この鹿とはそれ以来ずっと一緒で、小鹿は治子を母親のように慕っており、治子もこの鹿がいとおしくてしかたがなかった。
小鹿は次第に成長して立派な雄鹿となってからは、治子に対して次第に恋人への想いに近いものを持つようになって、治子を潤んだ瞳でじっと見るようになっていった。
治子も母親の代わりとして成長を見守ってきたが、鹿の潤んだ瞳に戸惑うことがあった。
夏の暑い日であるが、まだ昼前なので木々の間を渡って来る風が心地よい。
長野新幹線の上田駅から千曲バスで70分ほど走った鹿教湯温泉(カケユ)に在る湯治場では、都会の街中に比べて過ごし易さが格別である。
また、この地に有る旅館は温泉の効能と共に、人情味溢れる土地柄と、おかみさん達の飾らないもてなしとで、湯治に来た年配者は、来たというよりも帰って来たという親しみからリピーターが多く、ご主人を亡くされて年配の奥様からは
『おもてなしの気持ちがひしひしと感じられ、寂しい思いも無く、退屈もせず、楽しく過ごすことができ感謝いたしております。』
との御礼状が寄せられたりしている。
食事は、特別な料理は無いが、地元で採れた山菜と、新鮮な川魚料理が楽しめるのも湯治客にとっては大きな魅力となっている。
そして、人間と共存している動物達も猿と鹿が多いが、ここは人間の領域なので熊の出没は殆ど無く、夏になると多くのセミが種の存続のために力強く雌を求めて叫び始め、夏真っ盛りの今、湯治場の温泉宿の木々のセミができるだけ遠くの雌に愛が届けられるように忙しく鳴いている。
その時、治子は窓の外の鹿の「ギューイ、ギューイ。」という鳴き声で目を覚ました。
治子は温泉宿の朝食の片付けと部屋の掃除も終り、転寝をしていたのだった。
治子は体がまだ寝ている中で、何時ものように自分が辿ってきた道のりを思い起こしていた。
治子がこの温泉宿に来てから十年になるが、辿り着いた時の死への願望から、生きることの執着への変化の過程に、窓の外に居る雄鹿が大きくかかわっている。
それは、この雄鹿がまだ小鹿の頃に、猟師によっては母鹿が命を落とし、この小鹿も頭に傷を負っていた時に、その小鹿を治子が温泉宿に連れて帰って介抱してやり、自殺をしようと考えていた自分が、生きるということを小鹿から学んだのであった。
そして、この鹿とはそれ以来ずっと一緒で、小鹿は治子を母親のように慕っており、治子もこの鹿がいとおしくてしかたがなかった。
小鹿は次第に成長して立派な雄鹿となってからは、治子に対して次第に恋人への想いに近いものを持つようになって、治子を潤んだ瞳でじっと見るようになっていった。
治子も母親の代わりとして成長を見守ってきたが、鹿の潤んだ瞳に戸惑うことがあった。